時と翼と英雄たち


詩人の旅    9







 私の妻はゾーマに殺されたんだと淡々と語る男の表情からは、何を考えているのかまったく読み取れない。
既に怒った事実を話している彼からは、何の感情も感じられない。
時が経てば、いかに最愛の妻を亡くしたとしても怒りや悲しみが薄れてしまうのだろうか。
賢者というのは、それほどまでに目覚めた存在でなければならないのだろうか。
こちらが知るルビスの愛し子は情緒不安定で喜怒哀楽の激しいお調子者だが、彼が一族の枠に当てはまらない規格外の異端者というだけなのだろうか。
彼の兄も同じ人間に躊躇いなく火球を向け殺そうとしていたくらいだから、人を導く賢者たる者多少の有事の際にも動じない強い心を持つべきなのかもしれない。
なんだ、うちの賢者は異端者じゃなくてただの未熟者だったのか。
未熟者は磨けば熟練者になるから、見捨てるわけにはいかない。
バースが未熟者で良かった。
彼まで感情の起伏に乏しい男だったら、バラモスは倒せていなかった。
リグはエルファの膝の上で昏々と眠るバースを思い、ふっと笑みを浮かべた。





「私が知るバースも寡黙な子だったが、彼は変わったのかな?」


「あいつが寡黙? そんなバース見たことないけど。この家本当に家庭崩壊してるんだな、会話がないのか」


「母を、妻を見殺しにした父と話すことなどないだろう」


「バースはエルファのこと一番に考えてるけど一応俺らのことも見ててくれるし、腐ってもアホでも馬鹿でも賢者だからそこそこ役に立つ。
 訳ありの俺らの気分紛らわせてもくれたしな」


「彼が? ありえない」


「現実を見ろよ。もっと息子のこと見てやれよ。そりゃ何十年も見た目変わってない気味悪い息子かもしれないけど、あいつは成長してるんだ」





 出会ったばかりの頃は、エルファのことばかり気にかけているお調子者の彼が正直鬱陶しいと思ったこともあった。
どこの誰ともわからない奴を仲間にしたのは、外の世界を何ひとつとして知らないこちらの役に立ち、エルファの記憶を取り戻す手がかりを持っているかもしれないという
思惑があったからだ。
触れてはいけない過去や事柄が多くその度にバースは爆発してきたが、今ではそんな彼を好ましいとすら思うようになっていた。
己の感情を押し殺し能面になることが賢者の世界で良しとされているのならば、それは賢者のしきたりがおかしい。
誰が定めたかももはや定かではなさそうな古いしきたりに縛られるのが嫌だから、若く才あるバースやその兄は家を捨てたのだ。
アレフガルド最後の希望賢者一族が潰れてしまうのも時間の問題だ。
賢者の力に、いや、バースと彼の兄以外の賢者に頼るのはやめた方が良さそうだ。
リグはバースの父にくるりと背を向けると、一言言い放った。





「感情捨てた人間は、人間って言わない」





 たとえそれが負の感情であれ、物事に対して何かを感じていられるうちはまだ人間でいられる。
心を失くした人はただの人形だ。
リグは神殿の外に出ると、バースを蹴り起こした。






























 長い旅だった。
プローズはようやく辿り着いたドムドーラの宿屋でぽつりと呟くと、モシャスの呪文を解除した。
目的地はまだまだ先だが、ここまで来れば魔物も弱くなり旅もメルキド周辺にいた頃に比べると格段に楽になる。
マイラに向かうには船が必要になるが、問題はどうやって船を調達するかだ。
さすがに船を生み出すことはできない。
ルーラでマイラまで連れて行ってもいいが、それはガライやライムのためにもやめた方がいいだろう。
ルーラは痕跡が残る。
何のために故郷に戻ったのだと訊かれ、はぐらかすのは面倒だ。
魔王に仕えている人間は大変なのだ。
勇者の仲間を連れ旅をしていると魔王が知っているかどうかはわからないが、いい顔はされないに決まっている。
ライムは守るべき存在ではなく、排除すべき敵なのだ。





「あれ、戻ったんだねプローズ」


「さすがに疲れるんだ。それにここに彼女はいない」


「女の子にモシャスしたら、今ならライムと一緒にお風呂入れるよ」


「・・・・・・」


「冗談だからそんな目で僕を睨まないで。ふふ、僕はやっぱりこっちのプローズの方が好きだな。その髪その目、まるで語り継がれる古の大賢者マイラヴェルのようだ」


「偉大なる大賢者、ルビスの愛し子マイラヴェル。彼は本当に偉大だったんだろうか・・・」


「偉大だから君や弟くんみたいな天才が今もぽっと現れるんだろう? 再来した天才がアレフガルドをまた救う。その様を僕は早く歌いたいよ」


「新しく生まれるその伝説に僕はいない。いてはいけない」






 まただ。
また彼はそうやって自らの存在を儚くさせようとしている。
絶対に消すものか、消させてなるものか。
ガライはベッドに腰掛け寂しげに笑うプローズに顔を寄せた。
どうしたガライと尋ねてくる彼はとても穏やかで、これから待ち受けているらしい結末をすべて受け入れようとしているとわかる。





「僕は君を消さない。君が消えてしまうくらいなら世界なんて」





 このままずっと闇に閉ざされていていい。
ガライの魔力の込められた歌がプローズの耳に入り込む。
静かに目を閉じベッドに横たわったプローズに布団をかけ、じっと見下ろす。
この町の人々はもう、誰もルビスの愛し子プローズのことを知らない。
時間は確かに進んでいる。
ガライは部屋を出ると、風呂から上がり隣の部屋で夜支度を整えていたライムの手を取り門へと向かった。







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