時と翼と英雄たち


勇者への路    1







 帰れる家があるのはいい。
本人にとっては居心地は少なからず悪いかもしれないが、それでも、帰りを待ってくれる人がいるのはいい。
リグはラダトームと同じくらい荘厳で、かつ清楚な部屋の白い天井をベッドの上から見上げていた。
馬鹿だろうがアホだろうがバースはアレフガルドで一、二を争う名門のお坊ちゃまだ。
神殿の敷地に入るなり待ち構えていた大勢の神官たちに手を取られ足を取られ、あれよあれよという間に治療やら何やら施されて今は客室に寝転がっている。
賢者には2通りのタイプがあり、バースのような攻撃呪文に長けた者とエルファのように回復呪文が得意な者がいるらしい。
リグたちを治療したのは賢者一族の中でもトップクラスの実力を誇る回復特化の賢者たちだ。
あなた方は我らアレフガルドの希望ですから。
そう微笑みながら介抱してくれた賢者の娘は、なるほど確かに穏やかな目をしていた。
どこぞのマヒャド賢者とは癒し度がまるで違う。
リグは体を起こすと、傷跡が薄くなった体を見下ろした。
人につけられた傷は完全に消えることはないようだ。
あいつほんとに、バースとは比べ物にならないくらいに強かったもんな。
今でも思い出せばぞっとする恐ろしさを持つプローズを脳裏に浮かべたリグは、突如襲ってきた寒気を振り払うべく壁にかけられたマントを手に取った。
失礼しますリグ様、治療の時間です・・・。
今日は聖水に浸した薬草を飲んでみましょうね人体実験の試薬のような劇物を手に現れた娘が、マントを羽織る直前の上半身を露わにしたリグの姿にきゃあと悲鳴を上げる。
きゃあなんて久々に叫ばれた。
ライムはともかく、エルファも治療でだけだと信じているが男の裸などいくらでも見ているから今更可憐な悲鳴など上げない。
随分と新鮮な反応だ。
リグは慌ててマントを体に巻きつけると、ぷいと背を向けてしまった娘にごめんと素直に頭を下げた。





「ごめん驚かせて。その、さ、別に変な趣味があるとかじゃないから」


「わかっています、わかっています・・・っ。すみません、私の方こそ大きな声なんか出してしまって・・・」


「いいっていいって、それが普通の女の子の反応だと思うし。でもその変な色の薬湯を飲ませるのだけはやめてくれる?」


「いいえ、それだけは譲れません。バース様からも、どんな手を使ってでもリグ様を治せと仰せつかっております」


「あの馬鹿、余計なことしか言わないのな・・・」





 治療賢者の名にかけてと凄まじい意気込みを見せる娘にたじろぎながら、彼女が支度をしている間に改めて着替える。
ぱさり、ぽとり。
マントから落ちてきたのか、何かが床に転がる
何だこれ、アクセサリー?
正体不明のそれを拾い上げたリグは、不意に脳内に響き渡った声に思わず叫んだ。




『頑張ってリグ・・・。わたしはいつでもあなたを見守っていますよ・・・』

「うわっ、ルビス!?」


「リグ様、どうされ・・・、そ、それは!?」


「知らない! 知らないけどなんか急に喋った気がした! なぁこれ何かわかるか? これ、相当やば「ああ・・・! ルビス様・・・!」





 大人しかった娘が、床に薬湯をぶちまけリグに向かって平伏する。
おいおい俺は人に跪かれるような大層な男じゃないぞ。
確かに俺の母さんも先祖も由緒正しすぎる王族の出だけど、俺自身はただの薄汚れた旅人だから!
リグはしゃがみ込むと、娘に顔上げなよと急いた。
ルビス様が、ルビス様は本当に復活されたのですね・・・。
涙まで流しながら顔を上げた娘に、リグははっとして手の中の物体を見つめた。





「これ、ルビスがくれたやつか・・・」


「リグ様、これはルビス様が下さったとても貴重なものです。ああ、長老様にこの旨報告しなければ・・・!」


「え、あ、おい」






 俺の治療が最優先だって胸張って言ってたついさっきのあんた、どこ行ったんだよ。
賢者と名乗る者は変わり者が多いようだ。
リグは数分後バースよりも遥かに威厳のある老人を伴い現れた娘に、強引に神殿の奥へと連行された。


































 静かな環境で療養させてくれと命じたはずだが、長く家を空けていた者はたとえ直系の生まれであっても意見を軽んじられるらしい。
バースは自室や客室から呼び出され神殿へ集められたリグたち3人を見回すと、何したと尋ねた。





「すごい騒ぎになってるんだけど、心当たりは?」


「ないわ」


「私も何もしてないと思うよ」


「・・・俺かも」


「やっぱりリグか。何したんだよ、うちにフィルちゃん似の子なんていないのに」


「そういうんじゃなくて。ルビスがどさくさに紛れて俺に加護?とかいうの渡してたんだ。それを看病してくれてる子に見つかって・・・」


「ルビス様の加護!? いつの間にそんなのもらってたんだよ、見せてくれ!」


「取られた。でもって今はじいさんが持ってる」


「長老って言ってくれ、頼むから。・・・長老! これはいったいどういうことですか!」





 新調したらしい水色のマントを颯爽と翻したバースが、神殿の奥にある台座の元にいる長老へと大股で歩み寄る。
次期当主が確実視されているバースの向かう先では、人がさざ波のように道を開けていく。
バースは長老の前に立つと、多くの一族の者たちが固唾を飲んで見守る中口を開いた。





「深手を負い治療が必要な彼らを呼び立てるとは、どういうことですか」


「これを見よバース。これが何かわからぬほど愚かではあるまい」


「これは・・・ルビスの加護の証と思われます。ルビスがリグに授けたと聞きました」


「いかにも、我らが精霊ルビスは異界の若者に祝福を与えたもうた。賢者バースよ、お前は何をしていた?
 ルビスの愛し子と呼ばれるお前ともあろう者が、あの場で何をもたついていた?」






 当主を喪い兄も倒せず、ルビスの救出すら他の者にさせたお前は何をしていたのだ。
世界は結果がすべてだ。
賢者の力と威光を第一と考えるプライドばかりが高い古い思考の持ち主は、愛し子ではないリグがルビスの加護を受けたことが気に入らないのだろう。
元はと言えば彼らの力が及ばなかったためにルビスは封印されたのに、現実を自分たちの都合良くにしか見ようとしない、あるいは見えていない大人たちが嫌でたまらない。
言葉では説明できないほどにたくさんのことが塔では起こったのだ。
過去を見せれば卒倒するようなことばかりが起こったのに長老はそれを知ろうとせず、ただ、ルビスの祝福を受けられなかったことを責めている。
このような所が嫌で兄が出奔したのだと、なぜ彼は気付かないのだ。
人を貶めているだけの男にルビスが祝福など授けてくれようはずがない。
バースは不安げな目でこちらを見続けているリグへちらりと視線を向けた。
身内の汚いところを見せてしまって申し訳なかった。





「バースよ、わしはこれを一族で守るべきと考えておる」


「・・・は?」


「我らは精霊ルビスをお守りすることを遥か古き世から使命とする一族。ルビスが地上に残された祝福の結晶も同じく、悪しき存在よりお守りすべきである」


「自分が何を言っておいでかおわかりか!」


「いかにも存じておる。そこな若者よ、このような宝を持ち運んでくれて感謝する。これは我らアレフガルドに民にとっては命と同じほどに稀有な宝。
 以後は我らが一族を挙げ守るゆえ、安心して旅を続けられよ」

「長老!」


「そうなのか、バース」


「そんなわけないだろ!!」


「これは既に決まったことだ。皆、これを宝物庫へ」






 言い出したら聞かない、自分が一番だと思っている男だ。
老害以外のなにものでもない。
バースは取り巻きたちによって持ち去られようとしているルビスの守りに手を伸ばそうとして、体を強く押し返された。
ついに内紛か。
そうどこからともなく聞こえてきた不穏な声に耳を塞ぎたくなる。
やめて、待って下さい!
周囲のざわめきよりもひときわ高く大きな声で叫んだエルファが、長老派の前へ両手を上げ飛び出した。







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