時と翼と英雄たち


勇者への路    10







 また落ちてしまった。
ギアガの大穴でアレフガルドにやって来てから、穴に落ちてばかりのように思える。
しかも今度はただの落とし穴ではない、魔王が大地を引き裂いた末にできた世界の割れ目だ。
落ちてしまって戻って来た者はいないと言われるここは、確かにいつまで経っても地面に足がつかない。
落ちているのか止まっているのか、感覚すら麻痺してくる。
もしかしたらずっとこのまま暗闇の中にいるのではないかとわずかに肩を震わせたリグは、すぐにその考えを打ち消した。
暗闇と魔王が最も好むのは恐怖だ。
わかっているのに易々と餌を与えるほど勇者はお人好しではない。
帰ると思えばいつか帰ることができる。
精霊ルビスの加護に包まれたアレフガルドにいる限り、たとえ地中深くでも恐れることはない。
それに魔王の住処に近付くということは、奴の弱点を見つけられるいい機会だ。
バースすらまだ知らないゾーマの弱点をつかめば、来たるべき決戦の時に必ず役に立つ。
リグは知らず知らずのうちにきつく瞑っていた眼を開いた。
意外にも周囲は明るい、というよりも穴の中ではまず見られない光景が広がる。
人が通いえぬ世界との狭間にいるからなのだろうか、テドンの夜と似ている。
リグは視界に直接入り込んできた物語を見つめた。
































 雲ひとつない空の下、草原を2人の男女が歩いている。
柔らかな風に揺れる草花を見下ろし温かな笑みを浮かべる女性と、その姿を目を細め見守っている青年だ。
2人ともにリグは見覚えがあった。
精霊ルビスとバースだ。
青いマントを翻し歩く白銀の美しい青年といえば、悔しいがバースくらいしか思い浮かばない。
でもバースにしては眼元が涼しげだし、ということは兄貴の方か。
仲が良さそうなのはさすがは精霊と守護賢者といったところか。
闇に閉ざされたアレフガルドで、まだこれほど澄み切った空があるとは思わなかった。
これが賢者や精霊の力だとすれば、彼らですらこうすることができなかった魔王の強大さがより明らかになる。
リグは2人の会話に意識を集中させた。





『・・・やはり、考えを改めてはくれませんか』


『決めたことです。人として生まれた私は、人として在り続けたいと思っています』


『・・・いくつになりましたか』


『さて、数えることを忘れてしまったもので』





 戦いと国づくりに明け暮れている間に時は確かに過ぎていたようですと飄々と語る青年が、口元に小さく笑みを浮かべる。
バースやプローズ、彼らの父ですらあれほど穏やかには笑えまい。
賢者が悟りを開いた者だというのならば、リグが知る彼らはまだ賢者ではない。
あれはいつの時代の賢者なのだろうか、とても美しい人だが。
花に触れていたルビスが立ち上がり、青年を見上げる。
ルビスの寂しげな瞳に、青年は困ったような笑みを浮かべた。





『強大な魔力だけではなく人の身でありながら竜の魂を持つ類稀なる才能を持った人物が、今度現れるとは私は思えません』


『力は受け継がれるものです。1人でなくとも多くの者が私を継ぎ、あなたとアレフガルドをお守りいたします』


『けれどもそれはあなたを継いだ者であって決してあなたではない。・・・わたしは、そのことが耐えられない』





 勘が鋭いとは昔から言われていたが、これは特に意識せずとも誰だって気付けるだろう。
ルビスは青年に惚れている。
世界をひとつ作り上げてしまうような力を持つ神が一介の人間を愛するとはにわかには考えがたいが、間違いなくルビスは青年を愛しく思っている。
だから人としての寿命を終えようとする彼を引き留めようと必死なのだ。
ルビスの愛し子とは文字通りの意味だったのか、罪深すぎるだろうバースたちのご先祖様。
リグはやはり困ったような笑みしか浮かべない青年へと視線を向けた。
そうまで愛されているのに、人として在り続けようとする理由が知りたかった。






『ルビス様、もしも私が神となればアレフガルドはどうなりましょう』


『私と共に天上より見守りましょう。そなたがいれば心強い』


『天上からでは見つけられぬ些細な困り事を知るために地上へ降りた。かつてあなたは私にそう仰せになりました』


『それは・・・』


『人の世界は、いかにあなたがお作りになった地であろうと神にはいささか生きにくい。ゆえに私は決めたのです。
 我が力、我が身は精霊ルビスの代わりに地上を見守り困難に打ち克つ糧となり目になろう、と。私までもが神になってしまえば、その役目は務まりますまい?』


『・・・そなたが亡くなった後は、その果てなき任を後世の者へ託すと・・・? ・・・耐えられまい、並の人間にはそなたの真似などできようはずがない』


『私はありがたくも精霊ルビスのご加護を受けております。たとえこれより幾年の時が過ぎようとも、我ら一族は精霊より賜りし慈悲を忘れることは永劫ありません。
 ・・・それに私には視えるのです。私亡き後にアレフガルドやあなたの身に災いが降りかかった時、私ではない私が再びあなたの前へ現れると』





 1人ではない。
竜となり、明日を知り、全力で持って災厄と戦う者たちの姿がもう見えている。
彼らが存在しているということは即ち、自らは人として生き続けるべきなのだ。
悪しき力に手を出しあぐねる神々よりも、勇気でもって果敢に立ち向かう力と可能性を持つ儚い人間でいるべきなのだ。
わがままをお許し下さい。
跪きそう告げると、ルビスが小さな声で名前を呼ぶ。
マイラヴェル。
親よりも兄弟よりも恋人よりも柔らかく甘やかに呼ぶ主の声が、マイラヴェルは地上のすべてのものの中で一番好きだった。





『私の肉体が滅びようと、私の魂はとこしえにあなたのものだ』


『マイラヴェルよ・・・。その言葉、次に会う時まで決して忘れないで下さいね。私はいつまでもあなたたちを見守っています。・・・さようなら、私の愛しい子』






 天へ戻るルビスを姿が見えなくなるまで見送る。
悲しいけれども、自分は再び賢者一族の1人として再び地上に生まれる。
生まれてきた彼は何もかも知らないだろうが、主との約束のためにかつてない厳しく激しい戦いに身を投じることとなるだろう。
選ばれてしまった子のことは哀れに思う。
きっと人と同じようには生きられない。
常人であることを周囲や己が許さない。
力に振り回され、本来ならば味わうことのないような辛い目に幾度も遭うことになる。





『・・・ルビスよ、願わくば汝の愛する子らに神の祝福を与えたもう・・・』






 ルビスが去って久しい空へ祈りを捧げたマイラヴェルが、1人草原を去っていく。
視界が再び真っ暗になり、リグはああと呟いた。
































 リグがいつまで経っても戻ってこない。
戻らないのが普通だが、普通でないリグにしては戻るのが遅すぎる。
戻らないとは考えていない。
バースは奈落の底をちらりと見下ろし、ライムたちの元へ歩み寄った。
意外と魔物が寄ってこないのが幸いした。
これもルビスの加護のおかげなのかもしれないが、静かすぎて逆に気味が悪かった。





「リグ、いなかった?」


「なーんにも見えない。リグ、変なところで注意力散漫だからなあ・・・」


「仕方ないでしょ、こう暗くちゃ誰だって足くらい滑らせるわよ」





 リグより一足先に盾は手に入れたが、装備できない盾がこれほど重たいとは思わなかった。
盾を持ち慣れているライムですら持ちにくいと零すのだから、この盾はやはり選ばれた勇者しか扱うことができない代物なのだろう。
早くリグ戻ってこないかな、俺らだけじゃこんな盾地上まで運べないっての。
リレミトも使えない空間でこれを持って帰るのにどれだけの手間と労力がかかることやら。
地下遥か深くで天を仰いだバースは、きらりと光る何かに目を瞬かせた。
松明の光にしては一瞬だったし、ひゅううううと音もする。
暗闇に紛れての奇襲だろうか。
バースは盾を庇い杖を構えると、ライムと鋭く叫んだ。




「上から降ってくる!」


「わかったわ! 2人とも伏せて!」





 魔物の着地時の衝撃に備え、足に力を込める。
がちゃり、どさっ、いてっ。
魔物の咆哮にしてはか細い人間の声に、ライムは剣を降ろし落下物を見下ろした。
あの時確かにリグは穴に落ちたはずなのだが、落ちすぎて世界を一巡してしまったのだろうか。
いててててててと腰を押さえ呻いているリグに、エルファは恐る恐る大丈夫と尋ねた。





「えと・・・、どうしたの・・・?」


「どうしたもこうしたも俺も知りたいくらいだよ。まず、俺は戻れたのか?」


「うん、上から降ってきたよ」


「上? 途中から落ちてるのか浮いてるのか感覚消えてたけど、そういうことか」


「うん?」


「そうそう、途中で面白いもの見たんだ。テドンみたいな」


「・・・えっと・・・」


「ごめんエルファ、そんな顔するような話じゃない」





 エルファにテドンという地名はまずかったとリグはすぐさま反省すると、痛む腰を堪え笑いかけた。
夢のような、けれども確かにあれは過去に起こったことだったと戻ってきた今なら断言できる。
竜と、未来と、勇気。
今自分たちと旅をしている賢者の片割れは、あの時彼が神とならない代わりに地上に遺したひとつなのだろう。
もちろんバース自身は何も知らないだろうが、インドア系賢者にしてはどこまでも外へ出て行きたがる異端児は間違いなく彼の遺産だった。




「それよりもリグ、ほら、盾!」


「おーすげぇじゃん。うん、使ってるうちに馴染みそう」


「そっか良かった。それ私たちには重すぎて、このままリグが帰って来なかったら持って帰るのやめようかって話してたの」


「いややめろよ、せめてラダトームに返してやろう」


「でもほんとに重くて扱いにくかったんだよ。リグちゃんと自分で持ってね」


「じゃあエルファは外出たらまずは俺の腰痛を治してくれ」






 アリアハンの勇者は、アレフガルドの勇者のように強くはできてないからさ。
リグはバースを見ながらそう嘯くと、盾を持ち上げ地上への道を歩き始めた。








あとがき(とつっこみ)

伝説の勇者グッズ収集の回でした。
あの穴、何をどうしたら地上に戻って来られるのか未だに原理がわかりません。







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