絶対冷たい堀の中

彼らの事情





 平和な城下町に衝撃が走ったのは、リグとフィルが12歳ぐらいになったある日のことだった。
いつもはなんだかんだ言って毎日ケンカを繰り広げているリグの好敵手、
フィルの姿が消えたのである。
彼女の行方はリグはもちろん、彼女の両親も知らず途方に暮れていた。





「リグ、ごめんね。なんでか分からないんだけど、フィルがいないのよ。
 どこかで見なかった?」


「知りません。だって、フィルに今日は1度も会ってないから。
 あいつ、いないんですか?」






 いつもはケンカ友達として通っている彼らの仲である。
しかし、そんな周囲の見方とは裏腹に本人達の心中はそんな事露とも思っていなかった。
単にお互いの性格が合わないだけなのである。
それでもさすがにリグはフィルの姿がないことに疑問を持った。
学校にも来ておらず、彼なりに彼女がいつもいそうな場所も探してみたのだ。
しかし、フィルの友人も、彼女の行方はあずかり知らぬことだった。
そうこうして、日も暮れかかってきた。
フィルは相変わらず見つからない。
まさか外に出たのだろうか。




 しかし、子どもだけ、しかも1人で町の外に出る事は禁止されているし、
だいいち街の門の所には兵士が立っていて始終見張っているのだ。
外に出れるはずがない。




 だが、リグは心配でならなかった。
普段、何も起こらないこんな町だから尚更嫌な予感がしていたのだ。
彼は一旦家に帰ると、母リゼルに事の事情を話した。
彼女も彼の話を聞いて、心配そうに眉を曇らせた。
そして、もしも見つからなかったら、念のため城に行って捜索願を出してもらうように、と言った。
リグは再び探し始めた。








 そのころフィルは水の中にいた。
正確に言えば、彼女はアリアハンの城を囲む堀の水の中に落ちていたのだ。
いったいいつ落ちたのか。
それは誰にも分からない。
フィル本人にしたってずっと橋の下にいたのだし、
しかも彼女は泳ぐ事も出来ないので、
じっとしているほかになかったのである。
ではどうして彼女は沈まなかったのか。
ラッコのように浮いていたからだ。
同年代の子どもよりも少しだけ賢い彼女だから出来たことかもしれない。



しかし、ずっとこのままでいるわけにもいかない。
身体が冷たくなってきた。
冷たい風も入り込んでくる。
だが、こんな所に助けが来るわけなどなくて。
フィルが諦めかけたとき、橋の上から聞き慣れたリグの声が聞こえてきた。
彼女は残された力を振り絞ってリグに助けを求めた。




「リグーーーーっ!!
 助けてぇ〜〜〜〜っ!!」




ほどなくして、リグの慌てたような、驚いたような、
そんな感じの声で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。



「フィル!?そこにいるのか!?
 ちょっと待ってろよ。すぐに行くからな!!」




 そう聞こえると、それきり彼の声は聞こえなくなった。
と思ったら、今度は誰かが水の中に飛び込む音がした。
残念ながら、フィルにはそれが誰なのかを見極めるような水面上での能力はなく、
ただじっとしていただけだった。
やがて、誰かが彼女の元に近づいてきた。





「フィルっ!?ったく、なんでこんな所にいるんだよ。
 むちゃくちゃ心配したんだぞ!!」
「え、リグっ!!どうしてどうして!?」




 やって来たのはリグだった。
彼は素早く彼女を自分の方に引き寄せると、そこで彼女が泳げない事を思い出して、
ゆっくりと立たせるようにした。
もちろんしっかりと腕をつかんでフィルが溺れないように考慮してある。
フィルは彼が助けてくれたのを見ると、思わず彼に飛びついた。
リグは冷静に彼女を一旦引き剥がしてゆっくりと陸上へ上がっていった。







 「リグ〜っ!!怖かったよ〜〜。
 わ、私泳げなくて、でも、荷物が下に落ちちゃったから
 棒で取ろうとしたら落ちちゃって・・・。
 こ、怖かった・・・。」





 陸に引き上げてもらったとたん、フィルはこう切り出した。
そしてほっとしたのか、人心地がついたのか、
彼女はリグにしがみついたまま泣き出してしまった。
普段の彼女からはとても想像できないような姿にリグは混乱しながらも、
仕方なく、ぽんぽんとフィルの背中を叩き、優しく言った。




「いいか?堀の中に物が落ちても自分で取ったりするなよ。
 フィルは泳げないんだから、
 どうしてひとこと俺に言ってくれなかったんだよ。
 それに俺が来なかったらどうなってたか・・・。」


「だって、私昨日もまたリグとケンカしたから・・・。
 だから・・・。・・・ありがとう。」




 意地っ張りというか、いじらしいというか、
いつからこんな可愛らしい事を言うようになったのだろうか。
しかもたかが昨日ケンカした事ぐらいで。
しかも彼女が自分とケンカした事をそんなにも気にしていたとは、リグは思いもしなかった。
彼らにとってケンカとは一種のコミュニケーションにでもなっていたのだろう。
ようやっとフィルが自分のしている事に気が付いて顔を真っ赤にしながら
リグから離れたのはそれから10分ほど経った頃だった。













――――――――――――

 「ねぇ、リグ。私がお城の堀の中に落ちちゃった時の事、
 覚えてる?」






 フィルは旅から一時休憩で帰ってきたリグにそう尋ねた。
彼女にとってはその事件がきっかけでリグのことが好きになったのであり、
それもあって忘れることの出来ない微笑ましい出来事として残っているのだろう。





「覚えてる決まってんだろ。あの時は本当に焦ったからな。
 でも、あの後俺は高熱出して寝込んだんだ。
 原因はずっとずぶ濡れのまま夕方の肌寒い中
 外にいたからだったって事もよく覚えてる。」




 それに対して返ってきた言葉はあまりにもひどく、
フィルは一気に気落ちしてしまった。
自分にとってはいい思い出なのに、確かに数日間、
リグは生死の境をさまようほどの高熱を出していたのだ。
彼にとってはむしろ忌まわしい思い出なのかもしれない。
しかし、リグはやっぱり優しかった。
気落ちしてしまったフィルを見て、にこりと笑うと、




「でも、あれがなけりゃ、俺たちはずっとケンカ友達のままだったし、
 あのおかげでお前も泳げるようになったんだから、
 結果的には良かったんじゃないか?
 それに俺は現に今こうやって生きてるし。」


「はじめからそう思ってんなら、
 最初っからそう言ってくれればいいのにっ!!」







 嬉しさの照れ隠しからか、フィルは大声を出してしまった。
そしてまた彼らの飽きない、懲りないケンカが始まったのだった。








あとがき

リグとフィルのよもやま話。かなり強引な場面もありますが、彼らがやるんだったら、
きっと何だって出来そうな気がしてきました。でも、あれがきっかけで彼のことが好きになったフィルも結構おかしな人だと思う。





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