時と翼と英雄たち


囚われの人々    3







 ただでさえ日が落ちて暗いというのに、この海域は他所よりも更に暗かった。
暗い海に落ちたら、二度と上がってこれないような深さを感じた。
ほとんど窺うことができない前方からは、何かが襲ってきそうな気がする。
さすがは魔の海域と呼ばれるだけはある。
幽霊船の一隻や二隻、怨霊の類が出てもおかしくないような、心霊スポットとしてはこれ以上ないほどに理想的な場所だった。





「うぅわ・・・、なんか俺でも幽霊視えてきそう・・・」


「うっかり変なのに取り憑かれんなよ、容赦なくニフラムするからな」


「・・・俺はアンデッド系の魔物並みなわけ?」





 冗談にも本気にもとれる会話をしていたリグとバースは、突如として前方から襲ってきた冷気に身構えた。
エルファとバースが声をかけると、エルファは何やら呪文を唱えだした。
船全体がぼんやりと緑色の光に包まれる。
冷気が和らいだことで、このバリアが幽霊を不用意に近づけない役割を果たしていることを知る。




「私たちが望んで近づかない限り、ある程度の悪霊は寄せ付けないよ。でも油断しないでね、区別なんてつかないから」


「いや、助かるよエルファ。ライムたちはともかく、俺は大体いい奴かそうでない奴かわかるから」






 船が本格的な霧の中に入り、視界が悪くなる。
先が見えないせいで幽霊船に衝突したりはしないだろうか。
幽霊というくらいだから、もしかしたら船ごと透けてるんじゃなかろうか。
金を惜しまずゾンビキラーを3人分は購入しておくべきだっただろうか。
リグは腰に佩いている草薙の剣を見下ろした。
これも妖刀の一種だが、やはりそれなりの霊気を察知しているらしく仄かに熱を帯びている。
そろそろ幽霊船を拝めるかな。
リグが舳先へやって来たのと同じ頃、ちょうど目の前に壊れた船が浮かび上がった。

























 ばきばきと床に張られた板が割れる音がしてリグは慌てて飛び退いた。
着地したところの下の板がみしみしと音を立てている。
どこもかしこも崩れ、触れるだけで折れてしまいそうな船上にリグたちは苦戦していた。
これほど足場が悪い場所で戦ったことはない気がする。
リグは跳躍で使った板が崩れるのを視界の隅に入れると、宙に浮かぶ魔物を切り裂いた。




「そっと降りてよリグ! 下手したらまた床が割れるわよ!」

「わかってるって!!」





 脆い床の上で戦っているライムが声を上げた。
床が割れて困るのは人間の移動だ。
船内の案内のために連れて来た囚人幽霊は足もないし、浮いているからいい。
激しい戦闘を繰り広げた挙句通路がなくなったとなれば、笑い事ではなかった。





「・・・バース、お前あんまり燃やすな。何のためにゾンビキラー買ってやったと思ってんだよ、使わないなら俺に寄越せ」


「呪文を華麗に唱えて戦うのが賢者なんだから諦めろ」






 幽霊船は死霊、悪霊がここぞとばかりにうようよ集まっている場所だった。
魔法陣を張っているから安全だが、一度切れるとニフラム尽くしになりかねない。
リグたちは結界を張ったエルファを座礁1号に残していた。
彼女だけでは心許ないので、護衛役にハイドルも残してきた。
当然のごとくバースは猛反対し自分の残ると言い張ったのだが、回復役は必要なので強制的に幽霊船に引きずり込んだ。
だからなのかもしれない、今のバースはかなりご機嫌斜めで呪文を乱発していた。
魔物に破壊される前に、バースの火球や容赦なく突き刺さる氷柱で船が沈没してしまいそうだ。
エルファがいなくなっただけでこれか。
リグは今のバースの痴態をエルファに見せたくてたまらなかった。
百年の恋や想いも冷めるというものである。
賢者の定義を歪んで解釈してしまうかもしれない。





「バース、魔物はまだいいけど幽霊には危害加えないでよ。それがオリビアの恋人だったら色んな人から祟り殺されるわよ」


「てか俺らそいつの顔知らないじゃん」


「はっ、賢者ってのは知識はあっても常識知らずだな。何のためにこの囚人幽霊と仲良くなったと思ってんだ?」


「いや、幽霊を素で視えてることは常識じゃねぇよ、なぁライム」



「・・・そうね、今は私たちも視えてるから何とも思わないんだけど・・・」






 今にも折れそうな柱の影でリグたちの激しすぎる戦闘を見守っていた幽霊がふるりと揺れた。
口をぱくぱくと動かしているが、ライムとバースにはわからない。
いくら幽霊が一時的に視えるようになっても、そもそもの霊感が強化されたわけではないので会話まではできないのだ。
リグは幽霊と一言二言交わすと、これまた今にも崩れ落ちそうな階段を指差した。
なるほど、言われてみれば地下から強い想いの力を感じる。
この幽霊船が幽霊船たりうる原因の一端を握っているかのような強さだった。
オリビアへの強い執着なのだろうが、これが幽霊の重すぎる一方的な片想いだったらどうしよう。





「・・・あの階段さ、俺らが降りた途端に穴開くか滑り台じゃね・・・?」


「別に体重とか鎧の重さとかの問題じゃないけど、私はあそこを降りるのが怖いわ」


「よし、じゃあバース、お前今から滑らない表面ざらざらの氷の階段作れ」





 マヒャドは十八番だし八つ当たりしたいんだろと言い放たれ、バースは硬直した。
確かに八つ当たりはしたい。したかったから魔物にぶつけた。
本当は攻撃呪文ばかり唱えたかったが、エルファがいない分回復もしなければならないので多少我慢はしたが。
それでも少しは満足できたと思っていたら、今度は特注の階段制作命令。
氷柱と芸術は似て異なるものだ。
尖った氷柱をどうしたら平らな階段に加工できるというのだ。
バースはリーダーの氷柱よりも冷たく研ぎ澄まされた発言を恨んだ。
お前を先に氷漬けにしてやろうかと言いたい気分だ。





「よろしくねバース。巧くできたらエルファにちゃんと報告してあげる」


「ライム、その言葉に嘘はないよな?」

「もちろん」






 ライムが大きく頷いたことを確認し、バースは両手をぱちんと合わせた。
本当に最近、意識しなければまともにマヒャドを唱えていない気がする。
ドリルにするために巨大な氷柱出したり階段作らされたり、マヒャドってそんなにお手軽な呪文だったか?
しかもどうせやるならやはり、エルファの前でかっこいいとこ見せたかった。
胸の前に突き出した手から魔力が放出され、地下へと伸びる古ぼけた階段を冷気が覆う。
数秒後、リグたちの目の前には程よく表面がでこぼこしている氷の階段が出現した。







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