時と翼と英雄たち


リムルダール    6







 聖人賢者を名乗る類は、次世代からはできればもう少し社交性に富んだ人物であってほしい。
浮世離れしていることを示すために人里離れた山奥や海の果ての小島に住まいたくなる気持ちはわからなくもないが、訪ねる側の気持ちも考えてほしかった。
リグは久しく誰も立ち入らなかったのであろう背丈ほどもある草をかき分け泥濘に足を取られ靴を汚しながら、最後の賢人が待つ聖なる祠へと歩いていた。
魔物が蔓延るほどの広さを持たない小島だったのはまだ幸いだったが、やはりせめて自宅の周りくらいは手入れをしていてほしい。
どうせ勇者など訪れることがないと高を括っていたのかもしれないが、勇者ですらないかもしれない一行はアレフガルドに伝わる三種の神器を携えこうして祠へ来てしまったのだ。
もう少し人間たちの勇気と可能性を信じていてほしかった。
リグは背伸びした先にようやくうっすらと屋根だけ見えた建物に、盛大に息を吐いた。





「お前んとこの草木も生えたがらなさそうな辛気臭い神殿の方がまだ来やすかったな。ごめんなバース、お前の実家嫌いじゃなかったかもしれない」


「これと比べられても嬉しくはないかな・・・。辺境に住みたがる賢人なんてのは大体が偏屈な変わり者で、周りにはほとんど頓着しないんだ。
 彼らは、ルビスや神々に託された啓示をしかるべき人物に伝えるための伝言役という役目だから」


「その言い方だと、俺に会った後の人たちはやることがなくなるってことになるけど・・・」


「その通り。彼らの役目は勇者を導くこと。ま、この草むらっぷりじゃ導かれにくいんだけど」





 手っ取り早く燃やしていいかなとぼやきながら手に魔力を集中させ始めたバースを見て、彼の背後へ移動する。
他人の土地を勝手に野焼きにするのはどうかとも思ったが、ことは一刻を争うのでのんびりとはしていられない。
バースは祠まで一直線に綺麗に浮かび上がった足場を確認すると、おどけた様子で腰を曲げリグに道を指示した。




「こちらへどうぞ、勇者様」


「俺、勇者じゃないけどな」


「そういうこと言わない。俺が勇者を見間違うとでも思ってるんなら心外だなあ。元盗賊の目利きは確かだぜ?」


「育ちが良かったからか盗みの技術はさっぱりだったのも、もう随分と昔のことみたい。確か空から降ってきたわよね。私、どうして牢に入れなかったのかしら」


「あはは、びっくりしたよねあの時は。でもバース、あそこで死ななくて良かった」





 恋人が空から降ってきたなんて、過去現在未来探してもおそらく自分一人しかいないはずだ。
これから先はいったい何が起こるのだろう。
きっとまだまだ多くのことが起こるのだろうが、不思議と何も怖くはない。
エルファは靴の汚れを気にしながら戦闘を歩くリグの背中を見つめると、小さく笑みを浮かべた。
































 宝箱があればそれを開きたくなるのは冒険者として当然の感情で、たとえ箱の持ち主に中身が空だと説明されても、自らの手で蓋を開け確認したくなるのは旅人の性だ。
リグは聖なる祠の中央の台座に置かれている宝箱から目を離すことなく、バースにレミラーマと告げた。
いやさすがにそれはと躊躇う声が返ってくるが、目の前にある宝箱を取り零すようなヘマをするわけにはいかない。
リグの意図に気付いたのか、賢人が宝箱の前に両手を広げ立ちはだかる。
ますますもって怪しい。
リグの表情が更に険しくなり、賢人は誤解じゃと声を張り上げた。




「これはもう空っぽだから気にすることはないぞ!」


「本当に? 虹の雫が入る箱にしては随分とでかいけど」


「そなたが渡した太陽の石と雨雲の杖を保管するための大きさだとなぜ考えられぬ」


「じゃあ蓋開けて見せてくれよ、ほら、なあ」


「リグやめようよ、みっともないよ・・・。ほら見て虹の雫、すごく綺麗だよ?」





 賢人とリグの間に割って入りリグを押し留めたエルファが、もらったばかりの虹の雫が入った小瓶をゆらゆらとさせる。
光が差さない世界においてもきらきらと輝くそれはまるで、世界中の色とりどりの宝石を砕いて詰め込んだようだ。
ラーミアを蘇らせたオーブの光も大層美しかったが、虹の雫もきっとそれと同じくらいの光を放つのだろう。
雨と太陽で虹の橋を作るという童話は、いよいよ現実の出来事だったらしい。





「これでやっとゾーマの島に行けるんだよね・・・。虹の上って歩けるのかな、バース知ってる?」


「リムルダールの西の外れでそれを使うとしか知らないな・・・。でもあそこも崖で流れが激しくて、とてもじゃないけど橋なんて架けられない。さっぱりだよ」


「そう・・・。バースも知らないんじゃ私たちにも想像できるわけがないわ。ごめんなさい、リグがしつこくて。お詫びはアレフガルドに本物の太陽ってとこでどう?」


「うむ、その言葉確かに受け取った」






 勇者個人の性格にはいささか難がありそうだが、当代の勇者はいい仲間に恵まれたようだ。
いかに強い勇者であろうと、独りで魔王に打ち克つことはできない。
しかし仲間がいれば、できないこともできるはず。
ルビスの愛し子としていつの世も孤高の存在でありがちだった賢者たちも、ようやく友を知ることができたようだ。
願わくば、勇者たちの旅路に虹と光の祝福があらんことを。
嵐のように現れあっという間に去っていくリグたちを見送るべく祠の外へ出た賢人は、辺り一面見事に丸裸となった焼け野原を抜け立派な船へと駆ける一向に、待てぇいと大声を上げた。




































 出立前に、荷物を確認する。
装備は今用意できうる限り最高のものを誂えた。
道具も不足はないよう補充したし、体の調子ももちろん万全だ。
忘れ物はない。
やり残したことはたくさんあるが、それは戻ってから思い存分楽しめばいいだけだ。
薄暗い宿屋の一室で鏡に映る自分の顔は、旅に出たばかりの頃よりもかなり引き締まったと思う。
アリアハン以外の世界を何も知らなかった16歳の少年が、旅を始め多くの友人や仲間と出会いここまで変わった。
異郷の地に辿り着いて初めて自分は勇者ではないと知ったが、今更そんな肩書きはどうでもいい。
結局勇者を名乗る者は現れなかったが、勇者でなくともゾーマを倒すことはできる。
むしろ、ゾーマに勇者と認めさせればいいのだ。
リグは腰の袋に手を突っ込むと、虹の雫を取り出した。
とても綺麗だ。
ゾーマのために使うことが惜しくなるくらいにそれはとても美しくて、リグは綺麗だなと呟いた。





「ふふ、ありがとう。今の綺麗は今までで一番感情が籠もってたかな」


「ライム、いたなら声かけてくれよ」


「ごめんなさい。支度はできた? お祈りしたら行きましょうか」


「うん」






 一足先に宿を出ていたバースとエルファに合流し、教会で祈りを捧げる。
ルビスの加護のおかげか、道中魔物とも遭うことなくリムルダール西の外れへと到着する。
黒く澱んだ海峡にはそこらじゅうに渦が巻いていて、身を投げればたちまちのうちに引き裂かれてしまいそうな勢いに思わず後退する。
船で向かおうものなら、一瞬で木端微塵だろう。
荒れ果てた海に、果たしてあれっぽちの虹の雫が太刀打ちできるのだろうか。
あんなに綺麗なものを投げ入れても、黒い海にかき消されてしまうだけなのではないか。
そういえば虹の雫の使い方がわからない。
リグは無言でバースを顧みた。
いつになく強張った顔をしているが、きっとそれはライムとエルファも同じだろう。





「・・・リグ、怖いか? 俺も怖い、ここに立って怖くない奴なんか誰もいない」


「武者震いだなんて強がりも言えない状況よね。寒いし、あんな海見たらアイシャだって卒倒しちゃう」


「でもリグ、大丈夫だよ、私たちは独りじゃない。独りだったけど、リグが繋げてくれた。だから橋も架けられるよ」


「いや、その・・・、これの使い方がさ・・・聞きそびれたというか、わかんないというか」

「「「え?」」」






 確かに祠の賢人は虹の雫を渡しただけで、使い方については何も教えてくれなかった。
勇者ならばその体に流れる血でわかるとでも思って省略したのかもしれないが、生憎とこちらはまだ勇者ではない上に知識も浅く想像力も乏しいのだ。
リグは虹の雫の蓋を開けた。
匂いはしない。
やり直しはできない。
中身を覗き込んでいたリグは、瓶を覗いているのが自分だけではないと気付き顔を上げた。
見知らぬ女性が興味深そうに虹の雫を眺めている。
うわっと声を上げると、エルファが怪訝な表情を浮かべる。
どうやらこの切羽詰った状況において、この世のものではない何かと出会ってしまったらしい。
さては海に身投げでもした命知らずか、面倒臭い。
リグはニフラムを唱えようとして、ああ駄目と口の前に人差し指を添えられた。





『されたところで消えはしないんだけど、気分は良くないからやめてね』


「じゃあさっさと昇天してくれる? 悪いけど、今あんたみたいなのと話してる暇はないんだ」


『うわあ、今度の勇者様ってばもしかして俺様系? 今そういうのが流行りなの? 私はやっぱり王子様系が好きだなあ』


「あんたの好みなんざどうでもいいんだよ!」

「リグ!? どうしたの、そこに誰かいるの?」


「・・・いる。なんかこう・・・悪霊じゃないけどうるさい感じの・・・」


「消すか? 一族に伝わる浄化の呪文があるんだけど試していい?」





 言うや否や聞いたこともない呪文を唱え始めたバースに、女性が不満げに表情を曇らせる。
いついつまでも過保護すぎるとぼやいているが、バースが過保護に接する対象はエルファなので彼女は勘違いをしたまま無事消されるようだ。
深刻な時に場を乱しやがって、気分も滅茶苦茶だ。
リグは改めて女性を見つめた。
見たことがない格好をしているが、足は生えているし体もそこまで透けてはいない。
それに今は不満顔はどこへやら、何やら嬉しそうだ。
彼女は誰だろう。
リグはバースを手で制すと、女性へと向き直った。





「ひょっとして虹の雫の使い方、知ってる?」


『ううん、綺麗だなって見てただけ』


「あっそ。じゃあ消えてくれ」


『でも、虹を架けたことならあるのよ。・・・本当にとても綺麗。ねえ知っていて? 太陽と雨を合わせると虹が生まれるの。虹はね、世界で一番美しいところに連れて行ってくれるのよ』

「童話だろ。でも、虹が導く先は悪者のとこだったけど」


『ああ・・・、まあ、誰かにとってはそこは悪だったのでしょうね。虹は空にかかるの。空高く、遥かなる故郷に届くように。高く高く、光で闇を貫くように』





 女性のすらりと伸びた腕が天に向かってぴんと伸ばされるのにつられるように、リグは虹の雫を持った手を高く天に掲げた。
瓶の中で揺蕩っていただけの虹の雫が輝きを放ち、暗闇に向けてぱんと弾け飛ぶ。
宙に散った雫だったものが徐々に形を成し、やがて、対岸まで伸びた七色に輝く橋へと姿を変える。
濁流に呑まれない、きらきらと美しくきらめく欄干に触れる。
触れても壊れないこれはまさしく虹の架け橋だ。
綺麗でしょう?
そう密やかに囁いた女性に、リグは無言で頷いた。
女性はにこりと微笑むと、ひらりと手を振り虹の橋へ背を向け歩き始めた。





「待ってくれ! あんた誰だ、なんで俺らにこんなこと・・・」


『気まぐれってことにしといてくれる? 私、信じてるの。勇者の奇跡ってやつ』


「リグ、リグ! 大丈夫か、やっぱ悪霊に悪さされたのか!?」

「私もニフラム唱えようか! あ、ゾンビキラーの方が良かったかな」

「落ち着いてみんな。それよりも見て、虹の架け橋よ・・・」







 正体不明の女性の姿はもうどこにもない。
まるで幻だったかのように、足跡もない。
リグは不安顔のバースたちに大丈夫だと答えると、虹の架け橋を見上げた。
ゾーマ城への道のりを阻むものはもう何もない。
進むしか道はない。
リグは輝く橋へ第一歩を踏み出した。







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