時と翼と英雄たち


テドン    5







 「今、俺たちの前にいる俺とエルファはたぶん、王女の行方を案じてるんだと思う」





 一言一言、十数年前の記憶を辿っているようにバースはゆっくりと言葉を続けた。
思い出すのも辛いのか、時折バースの整った顔が苦しげに歪む。
リグは外見はほとんど変わらないが表情は全く違う2人のバースを見比べた。
本当に彼らは同一人物なのだろうか。
そう疑ってしまうくらいに、あまりにも2人を取り巻く色が違った。






「バース、王女どこを探してもいらっしゃらないよ・・・!?」

「まだどこか、草の根分けてでも探さないと・・・・・・」

「王女・・・、リゼリュシータ様、リゼル様!!」





 どんなに叫んでも、エルファの呼びかけに応える者はいない。
当たり前だ、王女はエルファたちと別れた直後に出奔してしまったのだから。
エルファは当時の自身の叫びに瞠目した。
今となってみれば、どうすれば良かったのかわからなくなっていた。
王女とずっと離れることなくいた方が良かったのか、あるいは真実のように王女を1人きりにさせた方が良かったのか。
前者ならばリグと会うことはなかっただろう。
彼自身、この世に存在していなかったはずだ。
それがどれほど空虚なことなのか、エルファは考えるだけで寂しくなった。






「王女は見つからず、城から使者が来た。王女は、初めから出奔するつもりで手紙を書いてたんだと」





 リグの頭に再び映像が流れ込んできた。
ひときわ豪華な部屋は王の間のようだ。
険しい表情を浮かべている王・・・、リグの取っ手は祖父に当たる男の前にエルファとバースがいた。
膝をついているエルファの顔は、今にも倒れそうなくらいに真っ青だった。





「王女の護衛という任にありながら出奔を許すとはなんたる様だ!」


「・・・・・・申し訳、ございませんでした・・・・・・」


「国を守り王族を守るべき神官団員が娘1人の監視もできぬとは、己がしでかした行為、いかに許されざるものかわかっておるのか?」


「はい・・・・・・」






 ネクロゴンド国王は年若い神官団員を見下ろし、眉をしかめた。
若いながらも見どころのある者だと思い娘の付き人にさせたが、とんでもない反逆者だった。
家族よりも、最も近しい位置にいたというのに王女の真意を見抜けず出奔を許してしまうとは、王国史上に残る汚点だった。
娘も娘だ。なぜこの者らを咎めないようにと書き残して行ったのだ。
罪をうやむやにすることは国の威信にかけてもできないというのに、最後まで王族に馴染めない不思議な娘だった。
捜索の兵は派遣しているが相手は勇者オルテガだ。
そう簡単に見つかるとは思えなかった。





「お前は国家に対し大罪を犯した。死をもって罪を償うしか道はない」


「・・・・・・」

「ちょっと待って下さい! 今回は俺だって悪かったんだ、なんでエルファばっかり!」


「賢者バースよ、そなたは賢者だ。賢者を殺めるわけにはいかぬ」

「エルファだって神に仕えてる! 国じゃない、エルファは「やめてバース」






 激高したバースの声を遮るようにエルファは静かに口を開いた。
ざわめきつつあった空間が一気に静まり返る。
エルファは兵に引き立てられる直前、バースに淡く笑いかけた。






「ありがとうバース。でもね、      」


「そんな・・・・・・」





 初めてエルファに会った時から感じていた違和感がようやく払拭された瞬間だった。
僧侶と賢者という職業の違いからではない、妙な齟齬をバースは感じ続けていた。
エルファはよく笑う。バースは彼女の笑顔が大好きだった。
しかしその笑顔は、ネクロゴンド王国という逆らうことのできない存在に握られている命が、今日も無事だったという安心感からくるものでもあったのだ。
庶民からは羨望の眼差しで見られている神官団員は、いつ何時でも王を頂点とした権力ある人々に監視されている。
身分は保障されているが、任務を仕損じた時の糾弾の程度は、期待されている分だけ誰よりも大きかった。
いざとなれば王の盾となり命を投げ出すことも辞さない、許されない彼らには、命懸けの自由しか与えられていなかった。


 その点バースは違った。
賢者という職業には多少の重荷を背負っていたが、彼は自由だった。
行こうと思えばネクロゴンドといわず世界中どこへだって旅することができた。
他人に命を握られていることもなく、仕えねばならない面倒な対象も今はいなかった。
だから今回も犯した罪はエルファと同じなのに彼女だけ罰せられ、自分は咎めすらなかった。
エルファがあまりにもかわいそうだった。
今までどれだけ国のために尽くしてきても、たった一度の失敗で生命を断たれてしまうとは。
確かに王女を野放しにしてしまったのはまずかったが、これはエルファでなくても犯しかねない失態ではないか。
そこまで考え、バースは気付いてしまった。
気付き、気付かなければ良かったと後悔した。
エルファが去り黙り込み、急に両手を固く握りしめたバースに、王は訝しげな顔を向けた。
怒りに我を失ってしまいそうな男には見えなかったが相手が賢者である以上、本気になれば何を始めるかわかったものではない。
王は、年若い銀髪の才能を認め愛しこそしていたが、召し抱えたいとは思っていなかった。
王の力をもってしても手に負えるものではないと、心の隅で感じていたからかもしれない。






「・・・タスマンさん、後で大事な話があるんで聞いてもらってもいいですか」


「私からもそなたに話しておきたいことがあるのだ」





 おそらく、話したい内容は同じだろう。
これからのネクロゴンドは荒れるかもしれない。
荒れるだけで済むのならまだ、救いようがある。
話してどうにかなるものでもないだろうが、共通の認識を持つことは大切だった。
ネクロゴンドは今回の一件で嫌いな国のトップ10に晴れてランクインしたが、エルファが命を賭してまで仕え続けてきたこの場所をいまさら見捨てようとは思えなかった。
そんなことをやってしまえば、自分も大嫌いなあいつと同じことをすることになってしまう。
王の退出を見送った後、バースとタスマンは並んで歩き始めた。
地下牢への入り口を見た時はすぐさま駆け込みたい衝動に駆られたが、タスマンの目を見て心を落ち着かせた。
今下手な行動を起こして被害を被るのはエルファである。
わずかに残った理性で押し留めるしかなかった。






「王女の力はご存知ですか」


「自然結界力のことであるならば、もはや手遅れじゃろう」


「今のネクロゴンドはあまりにも無防備すぎます。王女の力を城の魔法陣に移すことはできなかったんですか」


「御しきれぬ力がある。どんなに優れた魔術師であっても暴走する呪文があるということはおわかりじゃろう。あれはそういうものなのじゃ」





 なんでも力を使えばいいというわけではないと諭され、バースは唇を噛んだ。
タスマンが言わんとしていることはよくわかっていた。
王女に備わった、言い換えれば王女にしか備わっていない力を他のものに移すことは禁じられていた。
一度それを許してしまえば、世界の秩序が乱れてしまう。
本来持ちうる力を超えたそれを手にしてしまえば、際限なく行われる力の移動によって世界が壊れてしまう。
オルテガは彼女が秘めた力を知っていた上で連れ出したのだろうか。
彼女を連れての旅は、オルテガにとって極めて安全な旅となるだろう。
望まなければ魔物とは遭遇しない。オルテガは、どんな神の加護を宿したお守りよりも完璧な盾を手に入れていた。






「王女がおられなくなったとはいえ、ネクロゴンドには我ら神官団を初めとした屈強な兵もおる。そう易々と負けることはあるまい」


「・・・その考えが甘いんです。奴らの力を舐めちゃいけない」


「そうだとしても、私も王もそなたが言う『奴ら』を知らない。それに、ここはそなたの世界ではないのじゃ」


「・・・・・・」







 バースはそれきり何も言えなかった。
味あわなければわかってもらえない残酷さがあると知った。
どんなに説いても、結局はありのままを伝えることはできない。
本当に起こるか、やって来るかもわからないのだから、もしもを前提とした話をこれ以上展開するのは無理だった。
誰も知るはずのない未来を読む。
それができればどれだけ幸せだろうと思う時がある。
今もバースはそう思っていた。
過去を見せるだけの力しか持たない彼は羨ましかった。
いつだって、楽しかった思い出は紅く塗り潰されてしまう。
大切な人は皆逝ってしまうし、大切だと思っていた人には裏切られてしまう。
エルファのことも誰よりも大切に思い愛していたのに、遠からず未来に命を絶たれてしまう。
許せなかった。
死罪を命じた王も、誰よりも自由にさせてあげたいとエルファが願っていたことを知った上で彼女に祭りの同伴を頼み挙句出奔した王女も、国すらも許せなかった。
身勝手な国に捧げるほどエルファの命は軽くない。
世界中が彼女の死を望んだとしても、自分だけは嫌だと抗し続ける。
バースは、これ以上愛しい人々を失いたくなかった。







「俺・・・・・・、エルファだけは絶対に殺させない。何があっても守り抜く」


「王命を下され死罪となった者の罪状は変わらぬ」


「それはネクロゴンド国民の常識ですよね。俺は違う、俺はどこの民でもない」


「バースよ」






 同じ人間に命を奪われることは、絶対にあってはならない。
人が定めた法ならば、それを壊すのも人だ。
バースは自らの考えが他者には到底理解しがたいものであることに、気付かなかった。







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