ついに姿を現した悪魔の子の捕獲と間もなく発生した脱走騒ぎで頭のてっぺんからつま先まで忙しかったというのに、くだらない冗談を報告してくる馬鹿がいたらしい。
確かに子どもがいてもおかしくはない歳だし息抜きもしているが、少なくとも我が子と認識した人間は過去ひとりもいない。
従って、娘を騙り城内へ進入した不届き者には相応の罰を与える必要がある。
見え透いた嘘に騙された兵にも再教育を施した方が良さそうだ。
そもそも、世界一の軍事大国の将軍として平時においても多忙なこの身に、他人相手にじっくりと愛を語る時間があるわけがない。
そんな暇があるのなら、とっとと仕事を切り上げ落ち着いた場所でゆっくりしたい。
そうだ、今日あたりは街へ行こう。
このところは城下町も悪魔の子のおかげで巡回する兵の数も増え、以前よりもざわついているという。
物事がわかりきれていないのかへらりとしていることが多い彼女だが、さすがに今回ばかりは周囲の異変を感じ不安がっているかもしれない。
詳細は話せないが、様子を見に行くくらいならば何の問題もない。
外にもあまり出ないように釘を刺しておかなければ、彼女はすぐに街を抜け出しかねない。
下層の雑然とした雰囲気のどこが好きなのか、日中は下に降りて仕事をしているとも聞く。
治安の良い中層ならばともかく、品も手癖も良くない連中がたむろする下層に行って何かあったらどうするのだ。
あんなことがあったのに、それでもまだ懲りていないのだろうか。
ホメロスは自室に溜まっていた決裁文書と報告書に判を押し終えると、ようやく立ち上がった。
そういえば、まだ娘を名乗った人物の処罰を考えていない。
魔物に襲われていた風体の妙な娘を救出したと報告では聞いたが、怪しい奴をなぜ娘と誤認するのか意味がわからない。
支離滅裂なことを口走り要領を得なかったなど、それはもはや人間ですらないのではないか。
まあいい、言葉通り悪質なものなのかただの悪戯なのかは当人を見てからでも執行は遅くはあるまい。
仕事を増やしただけでも個人的には厳罰を与えたいが、法治国家における私刑は禁止されている。
激務でかすむ目を細め、娘もどきが控えているやたらと騒々しい兵たちの休憩所へと向かう。
扉を開け放った瞬間、真正面から叫び声とともにふわりとした緑色の塊が飛んでくる。
よし、収監しよう。
ホメロスはひいと悲鳴を上げる妙にひんやりとしたそれを抱え上げると、室内の同僚を一瞥し城下町へと歩き始めた。























 ここ最近で一番ご機嫌斜めの日にぶち当たってしまったようだ。
がうっかりお上りさんをしてしまいカミュが脱獄したおかげで、ただでさえ整いすぎていて怖い顔が更に凄みを出している。
まあ、とどめのご機嫌クラッシュをお見舞いしたのは他の誰でもないこの様なのだが。
は執務室に帰るでもなく、城下町の片隅の鄙びた酒場の古びた椅子に腰を下ろしたまま黙りこんでいる常連をカウンター越しに見つめた。
用がないのであれば店の支度もあるので早く出て行ってほしいが、出て行けばこの将軍はすぐにでもまた悪魔の子捜索にかかりきりになるだろうから、
たちの身の安全のためにもできるだけその任務には当たってほしくない、
次捕まれば殺されることくらい、兵でなくともわかる。
殊にこの男は非常に冷酷らしいので、身柄を押さえれば国王に差し出すのは首だけなんてこともありえそうだ。
はて、そんな血も涙もないような男と2人きりでいて、こちらの身は無事でいられるのだろうか。
見る限りとてもご立腹のようだし、彼を怒らせるようなことをした覚えは今日より前にもそれなりにあるので、いよいよ焼きが回ったかもしれない。
そうと決まればとりあえず夜逃げの準備だ。
は倉庫兼住居がある地下への階段へ向かうべく、物言わぬホメロスにくるりと背を向けた。






「どこへ行く、
「えっと、荷造り・・・?」
「ほう、殊勝な心がけだな。次に旅に出る時はもう少し支度をすべきだからな」
「ええーもしかしてばれてます?」
「下層の持ち場にもいない、ここにも来ていない。そして今日はグレイグに見つかる。詰めが甘すぎて呆れて笑いも出ないとはこういうことを言うのだろう」





 まさか、下層まで探りを入れられたとは思いもしなかった。
追手に見つかったような気配はなかったが、斥候には気付かれていたのかもしれない。
もしそうだとしたら、とカミュが危ない。
2人と繋がっているとわかっていながら今もこうして泳がされていることが怖い。
この男が何を考えて行動するのか、知り合ってそれなりに経つが未だにわからない。
は立ち上がりこちらへ歩み寄るホメロスを見上げた。
顔に向かってゆっくりと手が伸ばされ、思わず目を閉じる。
この私を欺きおって、その素っ首斬り落としてやるなんて言うのだろうか。
やるならひと思いにすぱんとやってほしい。
丈夫にできているつもりの体だが、やたらずっと痛かったり苦しい思いはしたくないのだ。
ホメロスの手が頭にぽんと乗せられ、はううと呻いた。





「うう・・・」
「どうした、まだどこか痛むのか? おのれグレイグ、呪文を違えたのではなかろうな・・・!」
「あ、いや」
「言え、我慢はするなとずっと言い聞かせていただろうになぜお前はそう無茶ばかりする。魔物に襲われたとは聞いたが、よもや毒を浴びてなどいないだろうな」
「いやそうじゃないくて」
「水を被ってそれきりで体を冷やしたか? グレイグめ、なぜ着替えを・・・それはさすがに無理か。熱は・・・ないな。だが一度シスターに」
「だから! なんでそんなに優しくするんですか! 全部知ってるのになんで、私を殺してやりたいとか普通思うはずなのに将軍おかしい・・・」





 きょとんとした視線に晒されるが、言い出してしまった以上今更後には引けない。
何もかも知っていていやに優しくするホメロスがいけないのだ。
優しくされるだけされてどん底に突き落とされたのでは堪ったものではない。
やはり今夜は夜逃げだ、確か神殿あたりから定期船が出ているはずだ。
はぎゅうと両手を握り締めた。





「・・・お前は私を何だと思っているんだ・・・」
「将軍」
「今にも死にそうだったお前を連れてきたのが私なのに、なぜ私が殺してやろうと思うのだ、誰かに何か言われたか?」
「だって将軍実は滅茶苦茶怒ってるんでしょう? 私がその、悪魔の子と」
「当然だろう。よりにもよって悪魔の子が逃げ出した最中にお前までいなくなったからな。人質に取られでもしていたらと考えていたら、はらわたも煮えくり返るわ」
「・・・へ?」
「何だ、その間抜けた顔は。城に戻ると私の娘を騙る女がいると伝令を受け、行けば怪我をしたお前だというし、これ以上私を振り回してくれるな」





 一気にそう言い切り、ふうと大きく息を吐き眉間を指で押さえ天井を仰ぐホメロスを見上げる。
この男は何も知らない。
知らないどころか、こちらを何ひとつ疑っていない。
道中何かあったかとか誰かに会ったかとか、そういったことも一切尋ねることなくただただ身の安全を確保したことに安堵し、そして極度の疲労を訴えている。
軍師としてはどうかと思うが、とりあえず今すぐ殺される心配はしなくて良さそうだ。
一方的に疑い怯えていたことが急に申し訳なくなり、はごめんなさいと呟いた。





「心配かけてごめんなさい。怪我はほんとに平気なんです、グレイグ将軍がべホイミしてくれて、してもらわなくても元気だったんですけど」
「大人しくされておけ。私はお前の『大丈夫』だけは信用していない」
「あ、そうだ、私将軍にお土産拾ってきたんですよ。ほら、いつか言ってたおばけキノコ! 密林で見つけて、えっとえっと・・・・・・」
「密林? ナプガーナ密林にまで入ったのか? 1人で?」
「あーえっとそう! 本に載ってた薬草探してたらうっかり入っちゃってて、でもほんとに入口くらいまでってあれ、せっかく拾ったのにポケットに穴空いてる・・・」
、よく聞け」





 促されるままに傍の椅子に腰を下ろすと、ホメロスが目線が合うよう膝を折る。
イケメンに跪かれているのはそれなりにいい気分だが、この後待ち受けているのはおそらくは今日イチの叱責だと9割確定しているので、あまりほわほわした気持ちではいられない。
宙を彷徨うホメロスの手が、膝の上に置いていた両手をそっと握り込む。
嫌かと尋ねられ、は無言で首を横に振った。





「デルカダールは、嫌いか?」
「とてもいいところだと思います」
「私もそう思う。この国で働けることに誇りを持っている。兵として、将軍としてこの国に住まう人々を守ることができて、守る力を与えられて嬉しく思う」
「お仕事いつもご苦労様です」
、お前も今はデルカダールに住まう大切な国民だ。だから私はお前のことももちろん守りたい。務めでなくともだ」
「ありがとうございます」
「外に行くなとは言わない。そうしなければ立ち行かないこともあるんだろう。下層にはできれば通ってほしくないが、お前の力が必要とされている場があるのなら、行くのがいいのだと思う。
 だが、もっと自分を大切にしてくれ。密林に入るなど言語道断だ、魔物狩りなど兵どもに任せておけばいい」
「私は私なりに将軍にいつも贔屓にしてくれてるお礼をしたかっただけなんです。今回は失敗しちゃったけど」





 次は上手くやりますとは、今は言わない方が良さそうだ。
現実問題おばけキノコもカミュが狩ってくれたものなので、単身であれをどうこうできるとは思えない。
恩返ししたい気持ちは常にあるのだ。
何もなかった自分に何もかも与えてくれた彼には、いつも感謝している。
随分と長く続く気まぐれだなとも思うが、気まぐれが終わればいいと思ったことは一度もない。
夜逃げだって、画策したところでどうせ未明にお出迎えされるのが関の山だろう。
暁に現れるのは今や彼の十八番になってさえいるかもしれない。
まだ昇りきらぬ朝日になるものを背に初めて迎えにやって来た彼の姿は、今でもよく覚えている。
別れはまさしく、新たな出会いだったのだ。





「将軍は私にあれこれされるのは嫌? 私は将軍に何をすればいいの?」
「何かをしてほしくて、見返りが欲しかったのなら初めから連れて来てはいない。もしお前の身に何かあれば、私は人間すらやめかねん」
「えーじゃあおばけキノコとかやっぱり食べちゃ駄目です。甘い息吐いちゃう将軍なんて見たくない」
「だったらもう密林には行くな、わかったな」





 はいと言って頷くと、ホメロスがようやく表情を緩める。
しかめ面続きだったおかげか相変わらず眉間の皺は伸びきっていないが、彼の中では大問題だったらしい失踪事件が解決したらしいので、そのうち多少は穏やかになるだろう。
それにしても恐るべきはだ。
まだ悪魔の子らしいことを何もしていないのに既にデルカダールの中枢を疲労困憊にせしめるとは、この調子でとっととこの大陸からも脱出してほしい。
ホメロスやグレイグには悪いが、やはりは悪人とは思えない。
地の果てまで逃げるつもりならば、逃げるまでの時間稼ぎくらいは一肌脱いでやろうか。
は立ち上がり店を後にしようとしているホメロスのマントをちょいと摘み、将軍と呼び止めた。
無理を押して徹夜に次ぐ徹夜に挑む将軍を労わるなんて、できるいい女すぎて我ながら困ってしまう。





「また悪魔の子探しに出るんですか?」
「そうだ。どうした?」
「いや、あの・・・、最近城下町もピリピリしてるし今更密林大冒険が怖くなってきちゃって・・・」
「大の男でも肝を冷やすようなことをしたのだから当然だろう。それも含めて反省しておけ」
「し、将軍も目の周りすごいですよ、寝てない感やばいです。ほら、将軍ってばグレイグ将軍ほどの肉体派じゃないから、今日はもう「」ひっ」
「実践しろとは言わんが、人を誘う時に他の男の名前をむやみに口に出すな。私の名前は将軍じゃない。グレイグは見ての通りむっつりスケベだから近付くな。
 店は今日は閉めろ、門番に気を持たせるようなことを言うんじゃない。言っておくが仮眠を取るだけだからな。してやったりという顔をするな、聞いているのか
「はーい聞いてまーすホメロスさん」





 確か、育てていた夢見の花がそろそろ満開だったはずだ。
は鉢植えから花を摘み取ると、花瓶にどっさりと突き挿した。






昨日はお楽しまない






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