7.星空の下で正座して










 知らない間に女神像を蹴飛ばしでもしていたのだろうか。
物心ついてこの方それなりに罰当たりなことをしてきた自覚はあるが、取り返しがつかなくなるようなどうしようもない極悪非道な行いには手を染めていないつもりだ。
確かにこのところは勝手に仕事をさぼったり、重罪脱獄犯と秘密の大冒険を敢行したりと細かなおいたは重ねてきた。
だがそれについてはそれなりにお叱りも受けたし、内緒事は内緒にしているままにしても、次はもっと上手くやってみせると自分なりに反省もした。
そうだというのに、何だこの仕打ちは。
は民間船に乗り込んだ先で見かけてしまったイケメン軍師の後ろ姿に、はわわと呟き頭を抱えた。
柱に隠れ乗員たちを見回すと、民間船のはずなのにやたらと兵士が多い。
海域が荒れ気味とは旅券売り場の店員も言っていたが、これほどの数の兵を動員しなければならないレベルとは考えもしなかった。
誰だ、治安もいいから気軽に行けるよと簡単に言ってくれちゃった奴は。
海の藻屑となってしまったら、ダーハルーネでスイーツ三昧どころではないではないか。





「・・・いや、私の敵はまだ見ぬ海洋魔物だけじゃないんだった・・・」





 甲板の上でもよく映える男だ。
柔らかな日差しが金色の髪に反射し、その姿はさながらおとぎ話に現れるエルフのようだ。
よほど忙しいのかちらちらと熱い視線を送っているこちらに気付くこともなく、あれやこれやと指差しながら部下に指示を飛ばしている。
なにやら職場見学に来た気分だ。
普段は酒場で静かに瞑想しているホメロスがデルカダール兵として働いているところを間近で見るのは、随分と久し振りだ。
なるほどとても凛々しい、さすがは抱かれたいデルカダール兵トップ2に入るだけはあるイケメンだ。
馬鹿にしたランキングだと吐き捨てながらも、毎年の風物詩となったグレイグとの一騎打ちに負けてしまい悔しそうにしているところは、見ていて実に微笑ましい。
負けず嫌いで結構、命を落とさない程度に功を競っていただきたい。





「・・・ん?」
「いかがされました、ホメロス様」
「いや、なにやら視線を感じただけだ」
「ホメロス様に見惚れる女性は数多いらっしゃいますよ」
「くだらんことを言うな。・・・まさか・・・・・・いや、だがあいつには前科が・・・」





 ちらりと視界の隅を掠めたあの色は、見慣れた馴染みの娘のものだ。
この世界にそれと似た色を宿すものは数あれど、彼女ほど鮮やかで美しいものは知らない。
大人しくしていろとつい先日きつく言い渡したばかりなのでまさかとは思ったが、けれども相手がである以上安心はまったくできない。
ホメロスは視線を感じた先の柱をじいと見つめた。
顔も知らない民間人がうろついているだけで、の姿はない。
やはり気のせいだったようだ。
勝手に疑ってしまい申し訳ないことをしてしまった。
いくらでも、彼女はこのホメロスが養い育てるデルカダールの善き国民だ。
そう何度も何度も手こずらせるような娘ではあるまい。
下層やら酒場やら、とにかくデルカダールで大人しく帰りを待っているであろうには詫びも兼ねて土産をいくつか弾んでやらねばなるまい。
ダーハルーネは世界屈指の貿易港だ、探せばいくらでも彼女好みのものは見つかろう。
なに、そのくらいは仕事の息抜きにしても構うまい。
健全な私生活は、業務を円滑に行うためには欠かせないのだ。
ホメロスはみるみるうちに遠ざかるデルカダールを眺めた。
この遠征で悪魔の子を捕える。
そう胸に誓い甲板を後にしたホメロスは、今度こそ目の錯覚でも疲れ目の弊害でもなくはっきりと視認したそこにいるはずのない娘の名を、鋭く呼ばわった。















































 今は昼だろうか、夜だろうか。
航海を始めてからどのくらいの時間が経っただろう。
どのあたりを進んでいるのか地図を見てもどうせよくわからないが、せっかくの船旅なのだから背伸びして雰囲気くらいは味わいたいものだ。
はいつ終わりとも知れないホメロスのお説教を聞きながら、正面にいる彼に気付かれないよう、ふうとため息を吐いた。






「人の説教中にため息とは見上げた根性だな、
「殺しても死ななかった女とは言われたことあるんですよぅーって、聞こえてたのか」
「隠すつもりもなさそうな大きさだったからな。・・・いつまでも子どもではないのだ、少しは遠慮と外面というものを覚えろ」
「えーでも将軍、急に私から余所行きの対応されたら嫌じゃない?」
「話をすり替えるな!」




 しまった、お説教のメニューをひとつ増やしてしまった気がする。
面倒事はのらりくらりと煙に巻こうとする性分が表に出すぎてしまった。
さすがは軍師ホメロスだ、ただの一般人の浅はかな策略などお見通しだったか。
は今日の甲板デートプランの成功を諦めると、椅子に座り直した。
デルカダールにいても船内にいても結局はホメロスと一緒だ、何も変わらない。
ホメロスに内緒で彼氏とお忍び旅行なんて夢のまた夢だ。
もしカミュが今カレだったら、あの日の逃走劇もきっと失敗していた。
縁を切っておいて大正解だった。
もし次に彼と会う機会があれば、その時はまたとないお宝でもせびってみよう。
昔本で読んだ女神の指輪なんかがお気に入りだ。






「・・・とにかく、今の世界はお前が思っている以上に危険で、何が起こってもおかしくはない状況だ。この船の寄港先はまだ穏やかだが、単独での行動は控えろ」
「でも私ひとりで来た・・・。あっでもダーハルーネって人がいっぱいだから実質私ひとりじゃない!」
「人が集まる場所だから派手な事件も起こりやすいのだ。見ず知らずの初対面の相手が突然馴れ馴れしくしてきたら気味が悪かろう。そんな奴が信用できるか?」
「うーん信用しそう・・・」





 優しさの裏に何を隠しているのかなどわからない。
人は弱い生き物だから、たとえそれがひとときの偽りのものだとしても、優しさを撥ね付けることはできない。
それには、まさしくほぼ似たような状況下で出会ってしまったホメロスを気味悪いと思ったことは一度しかなかった。
やはりおばけキノコを食べようとしていたのは受け入れがたい。
魔物に心でも売ったのかと邪推しすぎてしまったのはこちらも悪いとは思っているが、それを正直に口に出そうものならばまたお説教が長引いてしまうので黙っておく。






「ひとりで来ちゃったのはごめんなさい。でも結果的に将軍と一緒だから私ってば世界で一番安全な場所にいるってことじゃないですか?」
「それは・・・そうだな、私がいる以上には怪我ひとつさせるつもりはないが」
「だったら問題ないし、なんなら怒られる必要もなかったってことじゃん! ねぇねぇ将軍、私甲板デートしてみたいな! 常連さんひとり見繕ってきていい? 将軍でもいいけど」






 海風に髪を靡かせながら満天の星を指差して、2人で笑い合うっていうシチュエーションやってみたいんだあ。
そううっとりとした顔で語るの沸ききった頭をこつんと指で弾く。
ここがどこで、世界が今どんな状況か話して聞かせた上でまだおとぎ話のような妄想を口にするのか。
実にくだらない、そういう可愛げのあるいかにも娘らしい願いはもっと早く言うべきだ。
やれおばけキノコだ、フロッガーに舐められた、ランタンこぞうに髪の毛焼かれたなどふざけた武勇伝ばかりしか口にしないので聞き流しがちだったが、今日はきちんと弁明を聞いていて良かった。
誰でもいいと豪語するあたりは、己を大切にしていないようにも聞こえて気分が悪いが。




「ちょうどいい。、外に出ろ。いいものが見られるぞ」
「へ? 甲板デートしてくれるんです?」
「デートかどうかは知らんが、雰囲気の良さは保証してやる」






 揺れる船内を覚束ない足取りで進むの手を取り、甲板へと導き出す。
両岸にぼんやりと浮かぶ街と灯台の光に、がわああと歓声を上げる。
予想通りの反応にホメロスはふんと鼻を鳴らすと、光を指差した。




「あれがダーハルーネ、この船の向かう先だ。我が国との重要な貿易相手でもあるが、町長のラハディオはかなりのやり手でな、なかなか侮れない男だ」
「ふぅん。じゃああっちは?」
「向こうはソルティコ。同じく海運都市だがダーハルーネと毛色が少し違うな」
「ソルティコって、デルカダールとも縁が深いんでしたっけ。確かグレイグ将軍が昔そこに修行に行ってたって聞きました」
「子どもの頃にな。グレイグだけではなく、少年の頃から多くのデルカダール国民が修行に出向いている友好都市だ。
 居心地のいいリゾート地で・・・そうだ、今度のバカンスにも連れて行ってやろう」
「ほんとに!? はっ、でもそうしたらマジのデートみたいじゃない?」
「今も甲板デート中なんだろう? お前の設定では」
「そういやそうでした。ふっふーん楽しみだなあ、バカンスいつ行きます?」
「悪魔の子を捕えるまでは難しいかもしれんな」
「そっかあ、じゃあまだ結構先かあ」




 だったらその日はずっと訪れない方が、きっといい。
ソルティコバカンスも魅力的だが、たちを犠牲にしてまで行きたいとは思わない。
暗い海を照らす煌めきに向け走る船の下を、ギラリと不気味な光を放つ巨大な何かが通り過ぎて行った。






「ねぇねぇあれも街の明かり? 海中都市?」「馬鹿者あれはマーマンだ!」






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