12.ゴシップ記事はお蔵入り










 快調に進む船のデッキから海を見下ろす。
陽の光と潮風が心地良くて、頭も船を漕ぎだす。
ダーハルーネへも船で来たが、あの時はろくに甲板に出れなかった。
外出に許可はいらなかったはずだが、不要不急の遠出をするともれなくお説教がついてくる理不尽にして慈愛深い環境の庇護下にいたため、出先で姿を見られるわけにはいかなかったからだ。
結局見つかってそれなりにお小言ももらってしまったが、束の間の船旅は綺麗な思い出だった。
不意に襲ってきたマーマンを容易く仕留めたホメロスの剣捌きには、柱の影から見惚れていた。
次に見る時はきっと、その切っ先を真正面で拝むことになると思う。
庇護の翼から飛び出したのは自分の意志だ。
マヌーサの霧の中伸ばされた腕を振り払わなかったのが結論だ。
その選択に後悔はないが、気分は良くなかった。



「いいえさま、それはただの船酔いですわ」
「え~、もう少しセンチメンタルな気分のつもりなんだけどなー」
「お顔の色が真っ青です。やっぱり、先程しびれくらげに刺されて無理な体勢で固まってしまったのが良くなかったのかも・・・」
「まんげつ草食べたんだけどなー・・・」
「まんげつ草は酔い止めではありませんわ、さま」
「セーニャさんの中では船酔いで決まりなんですね・・・」





 船に逃げ込んで以降体調の管理をしてくれているセーニャが、額に手を伸ばし呪文を唱える。
なるほど確かに気分が上向いた気がする。
本当に酔っていたのかもしれない。
体は正直だもんなあ、ははは。
そんな自虐的な独り言にさえも、セーニャは無理は駄目だと窘めてくる。
母親とは彼女のように慈愛溢れた人のことを言うのだろうか。
気付いたらそこにいて、親きょうだいの顔も思い出も初めから何もないにとって家族とは、この世で最も遠くかけ離れたところにいる存在だった。




、ちょっといいか?」
「ん」




 カミュにちょいちょいと手招きされ船室へと戻る。
顔色が悪いぞと指摘され素直に酔ったと白状すると、カミュが血相を変える。
勇者様のことといい、相変わらず保護者っぷりが清々しい男だ。
はカミュにぺたぺたと額や首元を触れられながら、小さく含み笑いした。




「どうした、まだ痛むのか? 酔ったって本当に船酔いか? 実はあのキザ野郎に呪いでもかけられてるんじゃないだろうな」
「ただの船酔いだってば、セーニャさんがさっき呪文も唱えてくれた。まあ私は将軍との突然のお別れで落ち込んでつもりだったんだけどね」
「・・・なぁ、あの男は」
「カミュたちから見れば敵なんでしょ。大丈夫、私だって今更帰れば牢屋送りだろうから捕まるようなことはしない。でも将軍は私を呪ったりはしないよ」
「マジか?」
「マジのマジ。だって将軍てば、私に何かあれば魔物になりかねんーとかよく言ってたもん。・・・はっ、もしかして将軍もう魔物になってたりしない!?」
「なるわけないだろ・・・」
「だよねー! もう、将軍たら頭固すぎて冗談も下手なんだから・・・」



 他愛ない、聞けばすぐに嘘だとわかるような嘘も真に受けていたのがホメロスだった。
眉をしかめいつも難しそうな顔をして、息抜きに来たはずの酒場でも虚言に振り回されかわいそうなことをした。
今頃どうしているだろうと考えかけ、は首を横に振った。
彼を慮ることは許されない。そうする資格はない。もう敵なのだから。




「あー、やっぱ船酔いだったっぽい、頭動かしたら気分悪くなっちゃった。ちょっと休んでるね、セーニャさんだけじゃ間に合わなくなったら呼んで」




 は嘘をつくのが昔から下手だ。
自分では気付いていないようだが、とびきり下手くそだ。
調子が悪いのは事実で、船酔いをしていたのも本当だろう。
セーニャの見立てが間違っていたことはない。
だが、だからこそ今の彼女を襲っている不調の原因は酔いではないのだ。
の心のかなり深いところにはホメロスが棲んでいる。
距離を引き離しても、心に巣食ってしまった彼を消し去ることはできない。
正直、これほどまでにホメロスとの関係が深いとは考えていなかった。
取って代わられたような気がしてますます嫌だった。
『そこは、自分のものだったのに』。
紛れもなく嫉妬だった。




!」
「ん?」
「やり直せないか、俺たち」
「その話はまた今度」




 右手を挙げて応えただけのの背中は、ひどく遠かった。



























 なーにがやり直そうだ、あったまくる。
初めに切ったのはカミュだろうに、ぬけぬけとよく言えたものだ。
経緯を忘れたというのなら切られた日の言葉を一字一句間違えずに復唱してやろうか、こちらが傷つくので言わないが。
は枕に顔を埋めると、ああもうと声を上げた。
2人きりで旅をしていた頃とは状況が違うのだ。
勇者様を筆頭に、旅の仲間たちは皆大切に育てられたまっとうな人々だ。
出会って間もない彼らにいきなりカミングアウトしてみろ、滅茶苦茶に居心地が悪くなる。
居た堪れなくなって逃げだしたとしても、帰る場所はない。
だとしたら、仲良くなってじわじわと関係を明らかにしていきたい。
様子を見るに、カミュもまだただのイケメン盗賊としか自己紹介をしていないようだ。
尚更時期が早すぎる。
私もまだ、デルカダール下層の案内役兼あのホメロスも常連の酒場が誇る看板娘という平和な肩書を堅持していきたい。
だから『その話はまだ今度』だ!




「大体、その手の話はシルビアさんならともかく勇者様には刺激が強すぎるっての・・・」
「僕がなに?」
「ひえっ!? えっえっ、勇者様ってば人の家ノックしないで入る子!?」
ちゃん、僕の名前もう忘れちゃった?」
「あーえーごめん。で、あのう、話聞いてたりした・・・?」
「刺激が強いってどういうこと? ちゃん、僕を子どもだと思ってない?」
「思ってます」
「ひどいなあ、イシの村は16歳で成人なのに」



 口を尖らせそう詰るは、まだまだ子どもだ。
旅をしてそれなりに世間を知ったようだが、笑みには屈託がなく瞳はきらきらと輝いている。
隠し事をするのが後ろめたい・・・と思えないのはこちらの目やら心やらが曇っているおかげだろうか。
むしろ、ますます隠し通さなければならないという使命感が生まれてしまった。
は居住まいを正すと、にこにこと笑みを浮かび続けているになぁにと尋ねた。



「何かお手伝いできることある? 船、揺れてないけど・・・」
「上陸したから呼びに来たんだ。ちゃん、一緒に行こう」
「いつの間に!? 全然気付かなかったんだけど、アリスちゃん接岸巧すぎない!? の仲間みんな一芸に秀ですぎ!」
「僕もそう思う・・・」



 当たり前のように差し出された手に、躊躇いながらも手を重ねる。
ナプガーナ密林で手を繋いだ時よりも剣タコが増え、逞しくなったような気がする。
すっかり立派な戦士の手だ。
怪我をしては癒してきたのだろう、うっすらと浮かぶ傷跡はホイミを覚えたてのぎこちない頃のものに違いない。
パーティの癒し手セーニャの力は本物だ。
彼女の手にかかれば美肌も美脚も美貌も手に入れることができるかもしれない。
今度、スイーツを片手にこっそり聞いてみよう。



「あらちゃん、もう具合は大丈夫なの? これからしばらく歩くけど無理しちゃ駄目よ」
「大丈夫大丈夫! 歩くのも慣れてるから平気。あっ、でも次の街着いたら新しい靴は欲しいかなあ」
、鍛冶台で靴は作ってあげられないの?」
「うーん、レシピは見つけてないなあ・・・。ごめんねちゃん、役に立てなくて」
「いいのいいの! 次はグロッタだっけ? 割と大きな街みたいだから可愛くて動きやすい靴の一足や二足売ってるでしょ。てことはお金稼がないと、よし私も戦うか」




 やカミュのように武器を振るえるわけでも、ベロニカやセーニャのように呪文を唱えることもできない。
シルビアのように多彩な技を使うことも今はまだできないが、旅を続ける以上は何もできない人のままではいられない。
いてくれるだけで良いと言ってくれはしたが、それに甘えてはいけない。
働かざる者食うべからずだ。
グロッタに着いたら日雇いの仕事でも探してみようと思う。
酒場の給仕などが良さそうだ。
酔っ払いはどこにでもいるし、情報もいろいろと入ってきそうだ。
たちの旅に役立つ特ダネも聞けるかもしれない。



「戦うって、どうやって戦うつもりなんだよ・・・」
「今はまだ何もできないから、これからみんなに教えてもらおうかなと。ほら、私物覚えは超いいじゃん、教え甲斐あると思うよ?」
「そういうことならあたしたちも喜んで力を貸すわ。魔力があればある程度の魔法は使えるはずよ。向き不向きはあるけど、魔力はありそう?」
「あるのかな?」
「訓練次第で開花する能力もあるから、一緒に頑張りましょうねちゃん!」
「よーしがんばるぞー」



 勉強らしい勉強など生きてきてこの方ろくにやった覚えはないが、できないわけではないだろう。
生きていくために必要だと思えば、死ぬ気でやる気も芽生えてくる。
の緊張感の欠片もない握りこぶしを、カミュはハラハラしながら見つめていた。






「うっ、久々の地上で平衡感覚が・・・」






目次に戻る