17.将軍様は見ないふり










 風ではない理由で木々がざわめいた気がした。
魔物ではない。
仮にざわめきの正体が魔物だとしたら、ただの一般中層国民に過ぎない自分よりもたちの方が先に異変に気付くはずだ。
たち勇者一行以外の何者かがユグノア城にいる。
は、祭壇から離れたところで儀式を見守っていたカミュの服をくいと引いた。
どうした。
いつもと変わらない笑顔で振り向いたカミュの口元に、人差し指をぴんと立てる。
なんか変。
声に出さず唇だけ動かしても発言を理解してくれる男は、世界中探してもカミュだけだ。


『何かが下から来てる』
「マジか。気付かなかった」
『地面が響いてる、人じゃない』



 地面に横ばいになり、耳を寄せる。
人の足音にしては小刻みで力強い。
この地響きはいつかも感じたことがある。
はて、どこだったろうか。
規則正しい息遣いと、何をも恐れない勇壮な足踏み。
ああ思い出した、これはデルカダールを守る騎士の足だ。


「リタリフォンだ・・・」
「って何だ?」
「グレイグ・・・、デルカダール兵が迫って来てるわ! 急いで隠れて!」


 馬の名を呟いた直後、マルティナと名乗ったの祖父の連れの美女が鋭い声で叫ぶ。
さすがは諸国を歩き回った旅人だ、主に陰の世界を生きてきたカミュよりも世間話に明るい。
あっという間に散り散りになったベロニカたちの後に続こうと、は体を起こした。
さて、逃げるといっても逃げ切れる自信がない。
いっそどこぞの茂みに飛び込んでやり過ごしてしまおうか。
ふうと息を吐き腰に手を当てたは、思いきり腕を引っ張られぎゃあと叫んだ。




「ちょっと、せっかく軍師のふりしてかっこつけてたのに!」
「んな真似後でいくらでも見てやるから!」



 次は絶対に守るから!
そう言うや否や雨でぬかるむ下り坂を転がるように駆け下り始めたカミュの足を文字通り引っ張らないように、懸命に足を動かす。
道中出くわしたデルカダール兵をブーメランで散らしながら走り続けるカミュの背中が、いつもよりも大きく見える。
たちの姿が見えないが、彼らも無事に逃げているだろうか。
グレイグ直々に追手を放っているのだ。
生半可な隠れ方ではきっと捕まる。
カミュについて行って良かった。
あのまま祭壇付近で立ち止まっていたら、今頃槍で串刺しにされるか剣で真っ二つにされていた。
兵たちならばまだしも、軍きっての硬派と名高いグレイグにはぴちぴちギャルの色仕掛けも通用しないだろう。
いつだったか特製ジュースを一気飲みして昏倒したグレイグを膝枕した時も、ホメロスに盛大に叱られたものだ。
『あの男にそんなことをするな!』と、それはもうお怒りだった。
きっと、それらの日々はもう二度と手に入らない。
手放したのは他でもない自分だ。



「あっ、お前!? や、やっぱり悪魔の子に攫われたって本当で・・・」
「げっもしかして常連さん? 顔見えないからわかんないけど!」
「み、みんなー! がいたぞぉー!」
「くそっ、お前どれだけ顔広いんだよ」
「ふっ、あの子もこの子もみーんなみんな、ミスデルカダールセミファイナリストの看板娘こと様のファンなのよ」
「なんだってまたそんな中途半端な順位なんだよ。デルカダールの連中の目は節穴か!?」
「あぶない水着審査があると知った将軍が私をコンテストから排除したからね」
! あ、安心してくれ、今すぐボ、ボクが君を救ってみせ・・・ぐう」



 へっぴり腰で剣を振り下ろしていたデルカダール兵を勢い良く蹴飛ばしたカミュが、再び走り出す。
、目くらましとかできないのか。
遮るもののない台地へ落ち伸びたカミュが、額に浮かんだ汗と雨粒を拭いながら荒い息を吐く。
出来るものならやりたいが、先立ってのアラクラトロ退治で吸い取られた養分がまだ戻りきっておらず、万全の対策は取れそうにない。
はうーんと呟くと、手頃な大木に額を押し当てた。
ユグノア地方とは相性があまり良くないようだ。
魔物に蹂躙された大地は毒が満ち、草木もろくに育たない。
数少ない生き永らえている樹木に力を借りるのは、大地を枯らす手助けをしているようで罪悪感も募る。
だが、やらなければこちらが死んでしまう。
いつか絶対借りはカミュが返すから。
はみるみる朽ちてしまった大木だったものに手を合わせると、カミュの元へ戻った。
ふうと小さく息を吐き、地面に両手を置く。
手荒なことはしたくない。
あくまでも穏便に、特に常連さんは何事もなく国に帰ってまた酒場の売上に貢献してほしい。



「お願い、咲いて。でもってついでに風に乗って飛んでほしい。おやすみみんな、いい夢見てね!」



 両手から広がる一面の紫色の花畑から、心落ち着く匂いが漂う。
風にまで指図することはできないが、こちらは2人とも勇者の奇跡ってやつを信じているので、ここらで奇跡の片鱗を見せてほしい。
カミュたちを追いかけていたデルカダール兵たちが花畑の前で膝をつき、次々に倒れ込む。
効果は抜群だ、みんなぐっすり夢の中だ。
はカミュを顧みた。
とても疲れた、できればおぶってほしい。



「カミュううう」
「悪いな、助かった。次の街着いたらたらふく食わせてやるから」
「うん。ねえ、私また減ったりしてない?」
「それも後で見てやるから。行くぜ、お前はいつだってオレの命の恩人だ」



 さすがに背負って走ってはくれないらしい。
まあいい、まだ走れるので我儘は次回に持ち越しだ。
はカミュが消えた先を追いかけ始めた。
どれだけ林の中を走っても、カミュの背中には追いつけなかった。





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