0.スタートラインの一月前










 平凡で、特にこれといったイベントもなくただダラダラと過ぎていたモノクロの世界が急にカラフルになった。
突然多くの知り合いができたわけではない。
できたのはたった1人、よろしくね半田くんと蕩けるようなにっこり笑顔で挨拶してきた転校生のみである。
よろしくねと言われ、生まれてこの方美人とは縁のない生活を送ってきた自分は何と答えたのだろうか。
ああとかうんとか、そういった気の抜けたおよそ返答ともカウントされないような吐息だけを返した気がする。
そのくらい、初対面の彼女はとてつもなく可愛かったのだ。
いや、今も可愛い。
見た目だけならおそらく、雷門中ミスコンがあるのならば確実に最終選考に残るほどには可愛らしい。
彼女の本性を知った今は、見た目の可愛さがただの詐欺としか思えないが。
半田がの本性に気付いたのは、出会ってわずか3日後だった。
もう少し夢を見せてくれても良かったではないかという悔しさと、早く知った方がダメージが少なくて済んだという安堵が今も胸中に同居している。
半田はぼうっとグラウンドを見下ろしているを見つめた。
適応能力が早いのか、転校してきたばかりだというのにはあっという間に友人を作り学校に馴染んでいた。
こちらへやって来てまだ1ヶ月も経っていないとは思えない。
道理で面倒を見てやろうという気概が早々に失せたわけだ。
もしかしたら、必要以上に構ってやったら下僕か子分にされると第六感が警鐘を鳴らしたのかもしれない。
その可能性は高かった。
人間だって、遥か昔は獣を狩って生活する狩猟民族だったのだ。
長らく眠っていた、危険を察する予知能力めいた本能が目覚めてもおかしくはない。





「はあー」
「何だよ」
「こっからじゃ誰がイケメンかわかんなーい」
「じゃあ下行け。あと、そのくらいでため息つくな」
「半田冷たーい。ていうか半田、運動部でしょ。どこの誰がイケメンかとかそういった情報持ってないの」
「なんで男の俺が持ってんだよ。そういうの女子に訊けよ」
「女の子のイケメン評価は主観入りすぎてて本人の本性とぴったりじゃないのよ」
「ああ、男同士の美人評価と似たようなもんだな・・・。みんな見た目ばっかりでさ、中身見ろって話」
「だよねだよね! 半田わかってんじゃん!」
「そりゃが話のネタならそう思うしかないだろ・・・」




 お前の隣の席のさん、超可愛いよな。
お前の隣がいいって言ったってマジか。
何したらあんな可愛い子と仲良くなれるわけ。
お前実はさんにもう何かしただろ、この野郎。
やっかみや嫉妬とは無縁の人生を送ってきた半田にとっての登場は、様々な意味で新鮮なものだった。
やっかんでいる連中は皆、の本性を知らないのだ。
知っていたらああは言うまい。
むしろ、お前も苦労してるんだなと同情されているだろう。
ほんと、なんだって俺なんかを気に入りやがったんだあいつ。
半田の疑問は募るばかりだった。




「半田は簡単に行けって言うけどさー、1人でグラウンドお散歩するのって案外目立つんだよ。野球部のボール飛んできそうだし、テニス部のボール飛んできそうだし」
「避ければいいだろ」
「避けれなかったら痛いからやなの! あれ? 半田何部だっけ」
「サッカー部」
「サッカーボールは飛んでるの見たことないけど、ほんとに練習してんの?」
「・・・まあまあ」
「ふうん。・・・あ、あれはどこだろ、陸上部? 青い髪の人、なんかすっごいイケメンな気がするビビッときた!」
「なになに、サッカーの話!? もサッカーやるのか!?」




 もしかしたらイケメンかもしれない陸上部(仮)の青い髪の少年を凝視していると、サッカーという単語を聞きつけた円堂がこちらへやって来る。
サッカー知ってるなら一緒にやろうぜと誘ってくる円堂に笑みを返し、やってないよときっぱりと答える。
しゅんと項垂れた円堂の奇抜な髪形も、心なしか萎れているように見える。
サッカー部員欲しいよと嘆く円堂を慰めるべく、は円堂の肩をぽんぽんと叩いた。




「サッカー部どこで練習してんの?」
「グラウンド!って言いたいとこだけど、部員足りないから使わせてもらえなくてさ・・・。河川敷のサッカーグラウンド知ってるか? あそこで少年サッカーチームと一緒にやってる」
「へえ、どこ行ってんのかと思ったらそんなとこでやってたのか」
「半田知らなかったの? サッカー部員なのに?」
「げ」
「もーう駄目じゃんちゃんと参加しなきゃ。ねぇねぇ円堂くん、サッカー部にイケメンいる?」
「うーん・・・、半田は?」
「半田が一番なの? えー・・・」
「おい、お前いっぺん俺に心を込めて謝れ」




 横から何の脈絡もなく謝罪を要求してくる半田の言葉には無視を決め込む。
イケメンがいない部活になど興味はない。
そうきっぱり捨てたいところだが、サッカーと言われるとどうにも引きつけられてしまうのは性質の悪い病気のせいだ。
こんなに毒性の強い感染症だとは思わなかった。
いつの間に潜伏期間を経て発症していたのかも定かでない。
病とは、足音を立てず忍び寄ってくるらしい。
恐ろしいことだ、早く特効薬を開発していただきたい。




「仕方ない、じゃあサッカーやってるイケメン半田くんを見に行くために今日は河川敷行くか」
「おう! も来てくれ! それでもしサッカーに興味持ったら入部して、一緒にサッカーやろうぜ!」
「私を仲間にしたいんなら半田以上のイケメン連れて来なさい、とか!」
「じゃあスカウトするために部員集めなくちゃな! どうせやること一緒だ!」




 笑顔でざくざくと酷いことを言うものだ。
別に自分がイケメンだとは露とも思っていないが、こうまでネタにされ茶化されると怒りも湧いてくる。
ブチ切れして叱り飛ばさない己の我慢強さに拍手を送りたい。
半田は、円堂と文字通り馬鹿馬鹿しく騒いでいるを見つめ深くため息をついた。
に尻を叩かれサッカー部の練習に励むとは、つくづく情けない男になったものである。




































 は、思っていた以上に勝気で無鉄砲で、そして頭が弱い子らしい。
半田は見るからに不良と思しき少年2人と睨み合っているに慌てふためいていた。
初めは、円堂がいつもサッカーの練習を一緒にやっている稲妻KFC所属の女の子が蹴ったボールが、通りすがりの不良に当たったというだけだった。
当たっただけで済むのならば事件にはならない。
当たった相手が不良で、たまたま女の子の傍にがいたから問題がややこしくなったのだ。




「ごめんなさいで済むと思ってんのか? ああ?」
「ちゃんと謝ったんだからいいじゃない。ねぇ」
「ごめんで済むなら警察はいらねぇんだよ!」
「じゃあなんで世の中にごめんって言葉があるの! ごめんなさいが必要ない理由言ってみなさいよ、ええ!?」
「くそ生意気な女だな、ちょっと可愛いからって大きく出やがって!」
「ちょっと? ちょっとじゃなくてすごくに訂正しなさいよ! ちょっとしか可愛くないって思ってんなら鼻の下伸ばすのやめてよ、鑑賞料取るからね!」
、ややこしくなってるからちょっと、いや、だいぶ落ち着こう、な?」
「そうそう、ここは俺に任せてさ! 半田、を任せた!」





 いつ来るかなと思っていたが、ようやくきたか丸投げコール。
半田は、眉をきりりと上げ不良を睨みつけているの服を引っ張った。
動くつもりはないらしく、ぱしんと手を払われる。
何なのだこいつ、人がせっかく修羅場から離脱させてやろうとしているのに蜘蛛の糸を自分で切りやがって。
に負けないくらいにむっと顔をしかめた半田は、今度は腕といわず体ごとを手元に引き寄せた。
なにすんの離してよと喚くにどうどうと声をかけると、私は馬じゃないもんとまた喚かれる。
いったいは何に対してここまで怒っているのだ。
サッカーボールを乱暴に扱われたことには怒りを覚えたが、それにしてもの怒り方は尋常でなかった。
それほどまでにサッカーが好きなのだろうか。
やったことないって言ってたくせに、わっけわかんねえ奴。
半田はを引きずったまま河川敷を後にすると、ようやく手を離した。





「落ち着け。どうしたんだよ急にマジ切れして」
「別に怒ってない」
「怒ってるだろ。眉間に皺寄ってんぞ」
「む・・・。あの不良マジ信じらんない、サッカーボールに汗以外の体液かけるなんざ馬っ鹿じゃないの」
「あれは良くない、俺も嫌だった。でもさ、なんでがそうまで怒るんだよ。お前サッカー興味なしなんじゃねぇの?」
「・・・・・・やったことない、けど」




 やったことはないが、ずっと見てきた。
サッカーボールを宝物のように扱い大切にしてきた人と、つい先月までずっと一緒にいた。
だから、サッカーはできないけれども好きだ。
好きにさせられたと言った方が正しい気もするが、好きなことには変わりない。
はぎゅうと目を閉じた。
おいどうした、どっか具合悪くしたのかとわたわたと尋ねてくる半田にはなんでもないと答える。





「・・・マジあの不良超ムカつく。やっぱ引き返して張り手飛ばしてくる」
「やめとけって! ほ、ほら、あ、そうだ! あそこ、雷雷軒連れてってやる! ずっと行ってみたいって言ってたし、今日はの歓迎会ってことで奢ってやるからさ!」
「・・・チャンポンと餃子食べたい」
「・・・よ、よしわかった、奢ってやろうじゃん餃子!」
「チャンポンも食べたい」




 財布の中、今日の歓迎会で空っぽになりそうだな。
半田はまだまだ怒りを溜め込んでいるの額にデコピンを1つ落とすと、ご機嫌取りのために雷雷軒へと向かうのだった。



























 サッカーグラウンドで小さな子どもを背に庇い、なにやら不良たちと揉めている女の子が視界に飛び込んでくる。
サッカーは好きだ。
とある事情から今はもうやっていないが、それでもサッカーが好きだ。
けれども、係わり合いになろうという気は起こらない。
道端から不良と少女のやり取りを眺める。
はて、女の子にとてつもなく見覚えがあるのだがあれは他人の空似だろうか。
サッカーボールに向かって不良が唾を吐いた直後、女の子が烈火のごとく怒りなにやら喚き始める。
一見どころか、何度耳にしても理解しがたい支離滅裂な自己主張。
可愛いという褒め言葉に満足しきれず、更なる形容詞の追加を強請るわがまま加減。
そしてなによりも、思わず見惚れてしまうくらいに性格と乖離した可愛らしい容姿。
間違いない、あれは先月忽然と姿を消し引っ越した、音信不通の幼なじみだ。




・・・!?」




 どこへ行ってものようで、啖呵の切り方といい怒り方といい以前とまったく変わらない。
ただひとつ違うのは、にぴったりと寄り添っている見ず知らずの少年の存在だ。
あ、あの男、にあっさり触ってどこかに連れて行った。
超至近距離で言葉を交わしているし、もしやあれはの彼氏だろうか。
あんなのがの彼氏なのか。
ちっともイケメンに見えなかったが、そんな妥協でいいのか。
いや、今はそれは置いておこう。
今重要なのは、の置き土産という名の事後処理だ。
と同じようにこちらも充分怒っている。
安心してくれの後片付けは俺が責任持ってやっておくから。




「やっと見つけた・・・、・・・・・・。また面倒引き起こしたままだろう・・・」




 不良に向かって強烈なシュートをお見舞いする。
張り手とシュート、どちらが良かったのかはわからない。
だが、の手が痛まないだけシュートの方が良かっただろう。
豪炎寺は不良にとどめを刺すと、が消えたのとは逆の方向へ何事もなかったかのように再び歩き始めた。







こんなとこでもすれ違い




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