××. 名前も知らない誰かのはなし










 ただサッカーをやっていただけの人生だったはずなのに、思えば随分と果てしない旅をしてきたものである。
たくさんのニュースにならない事件に巻き込まれ続けてきたが、きっともう何も起こるまい。
鉄骨が降ってくることも自称宇宙人が攻めてくることも、サッカーで世界征服を企む連中と出くわすのもあれっきりで充分だ。
友人が石にされたりといつの間にか交通事故で死んだことにされていたこともあったが、あれも今日のためだったからこそ今こうして酒の肴として笑い話にすることができる。
久々にサッカーやろうぜ!
第16回稲妻町サッカー同好会宴会も中盤に差し掛かりそろそろ鬼道が酒に潰されそうになっていた頃、円堂が高らかに宣言した声に豪炎寺はいいなと短く相槌を打った。
いくつになってもサッカーは大歓迎だ。
さすがに化身は出せないが必殺技はもちろん打てるし、練習だって毎週欠かさずやっている。
今日のように散々飲んだ日の翌日などは特に気合いを入れてトレーニングに励んでいる。
夕香はいつまでお兄ちゃんのためだけにレモンの砂糖漬けを作ってくれるんだろうかと、最近は自身の腹回りよりもそちらの方に気を取られるくらいだ。




「チームはそうだなー、鬼道どうする?」
「円堂の相手は俺が務めよう。豪炎寺、お前はどちらにつく?」
「・・・鬼道、かな」
「えーなんでだよ! 一緒にサッカーやろうって初めに誘ったの俺だぜ!?
「まーまーキャプテン落ち着きな。この天才司令塔にしてジョーカー不動様に任せとけば鬼道クンなんて目じゃないぜ」
「はっ、あっきー呼ばわりされるような奴ごときに後れを取る俺ではない」
「「あっきー?」」





 いや、呼ばれたことねぇはずだけど俺と不動が呟き、ことりと首を傾げる。
はておかしい、自分が今なぜあっきーなどと誰も言ったことのないような、元モヒカン頭にはおよそ相応しくないあだ名を口にしたのかさっぱりわからない。
わからないが、不動も訝しげな表情を浮かべたままあっきーと反芻している。
誰か呼んだことあるか?
不動の問いかけに、鬼道はいいやと首を振った。





「俺の記憶違いだったようだ、すまない」
「いや鬼道クン、俺は怒ってねぇよ。・・・なーんかしっくりこねぇんだよな。
 確かに呼ばれてたような気はするんだよ、ふざけてるとかじゃなくて、割と真面目に俺のこと愛してくれてた気がするんだよ、気のせいだろうけど」
「全部気のせいだらけで話が破綻しているぞ」
「それもわかってるけど、・・・何なんだろうな、酔ったかな。・・・夢かなあ、そいつ、俺の嫁さんだったと思うんだけど」
「いやそれは違う、俺の妻だろう。お前のようなベンチウォーマーの妻にはもったいなかったはずだ。そうだ、今度の試合はゲームメークの相談を・・・・・・?」
「き、鬼道も不動も落ち着こう! な、何の話してるんだよ、そんな子いないだろ昔から! な、風丸!」
「うーんそうだなあ、見たことないなあ。2人とも相当酔ってるな? ほら、酒は置いて水飲んどこう」





 昔なじみの男前の友人は、年を重ねて更に男ぶりが上がっている。
酒の席でもキラキラと輝いていて、泥酔して訳のわからないいもしない俺の嫁談義を繰り広げている天才ゲームメーカー2人とは住む世界どころか種族が違うような気さえしてくる。
うーん、こういう時はしっかりばっちりお花畑が見えるはずなのに今日はまだ見えないな、やっぱりいないからかな。
・・・いないって誰がいないんだっけ。
あれ俺おかしいな、元々誰もいないはずなのにいったい誰のことを探してるんだろ。
これじゃあまるで鬼道たちとおんなじだ、あれ、俺もやっぱりおかしい?
それほど酔ってないと思ってけど急に酔いが回ってきたのかな。
酔いって移るものだったっけ?
円堂は決して酔いからではないぐるぐると回り始めた頭を風丸に向けた。
どうしたんだよーと屈託なく笑いかけてくる風丸に訊くのが怖い。
風丸も混乱させてしまいそうで、集団幻覚に巻き込んでしまいそうで怖い。
だが訊けば風丸もきっと、そもそも何も覚えてない何かに引っかかるはずだ。
だって俺は知っている。
俺らが知らないはずの渦中の人物が、豪炎寺よりも鬼道よりも不動よりも誰よりも風丸を慕い懐いていたことを、知らないはずだし記憶なんてあるはずがないのに知っているから。





「もうみんな歳だなあ。あーっ、豪炎寺まで酔い潰れるのはやめてくれよ、お前は俺と一緒にこいつらを介抱する役」
「ああ、わかっている」




 いよいよ収拾がつかなくなる前に、2人で手分けして酔っ払いたちをタクシーに放り込む。
こんなに酔っていては円堂は夏未に叱られそうだ。
あとの2人は知らない、彼らが言い張る『妻』とやらは彼らの夢の産物だ。
風丸は小さく肩を竦めると、不思議だよなあと言い豪炎寺を顧みた。





「俺はあんまり詳しいことはわかんないけどさ、円堂たちは見えないところで長い長い旅をしてきたんだろう、サッカーを取り戻すために」
「ああ。この世界はサッカーを消滅させられようとしていた。だから円堂たちは松風たちと戦ったんだ。ここじゃない、俺たちではない俺たちと生きている世界で。
 そして戦いが終わった今は、ばらばらに分かれていた世界がひとつになっているという」
「きっと、いたんだろうな」
「ん?」
「俺らじゃない俺らが生きてたばらばらの世界にはさ、鬼道の奥さんだったり不動さんの嫁さんだったりした誰かが」
「風丸、お前・・・」
「もし俺たちがえーっと、パラレルワールドって言うのか?
 そういう世界の俺たちの思い出とかも少しだけ引き継いでひとつになったんだとしたら、起こってないはずの事実を覚えてるってのもあるかもなって。
 それはひょっとしたら、こういう人がいたらいいのにっていう俺たちの願いがつくりだしたものだったりってのも含まれるのかもしれない。
 だから同じ人のことを言ってるはずなのに、誰もが自分の妻だと言い張る」






 俺にもきっといたんだよ。
風丸はそう言うと、豪炎寺の背中をとんと叩いた。
修也がいるんだよ、怖くない。約束だよ。
叩かれた背中は弱々しかったり、とびきり痛かったり、雑だったりと日によって違った。
だが、いつでもほっとして温かくなった。
背中のおまじないって言うんだけど知ってるか?
風丸の言葉を聞いた瞬間、背中だけではなく体中が熱くなる。
ああ、ああ、覚えているとも。
知っているとも、名前も顔もわからない、けれども自分が落ち込んでいる時や悩んでいる時、荒っぽくも励まし喝を入れてくれた大切な大切なとても愛しい人のことを、知らないはずがないではないか。





「か、ぜ丸・・・、俺は・・・」
「お前も奥さんだったか?」
「・・・・・・いや・・・、きっともっと大切だったんだろう・・・」
「だろうな。だって豪炎寺、泣いてる」

「・・・・・・」
「・・・一緒に来たかったか?」
「・・・いないってことは、やっと俺たちが独り立ちできたってことなんだろう。もう俺たちは弱くはいられない」





 彼女を思い涙を流すのもこれっきりにする。
泣いていてはまた詰られる。
そういう発破をかけてくれる人がいてほしいとずっと思っていたからよくわかる。
みーんな酔っ払っちゃったなあ。
そう明るく言い天を仰いだ風丸の目も、いつもより少しだけ赤いような気がした。
























































 河川敷はもう少し広かった気がする。
豪炎寺は激しいトラップの末跳ね上がり遊歩道へと飛び出たサッカーボールを追いかけ、軽やかに土手を駆け上がっていた。
皆酔ってはいたがサッカーの約束だけはきちんと覚えていたらしく、全員時間通りきちんと揃った。
いい歳した大人が河川敷使うなよーと苦言を呈していたかつてのチームメイトにして現サラリーマン兼少年サッカーチームの監督も、なんだかんだで一緒にサッカーに興じている。
随分と盛大に転がったが、誰かにぶつかってりしていなければいいが。
不安に思いながらボールを探した豪炎寺は、拾い上げていた女性に駆け寄るとすみませんと声をかけ手を差し出した。





「怪我はされていませんか」
「はい、どこも。サッカー楽しそうですね」
「同窓会みたいなものなんです。ボール、ありがとうございました」
「いいえ。・・・あら?」




 円堂たちの元へ戻ろうと踵を返すと、女性が小さく声を上げる。
背中が派手に汚れてますよ。
笑いを堪えながらそう言われ、恐縮しているとぽんと背中を叩かれる。
柔らかくて温かくて、どこか懐かしい。
思わず勢い良く振り返ると女性は驚いたような表情を浮かべ、けれどもすぐに破顔した。





「すみません、びっくりさせちゃって。ふふ、みんなで楽しくサッカーできますように」
「あ、まっ・・・」




 呼び止めようにも、相手の名前もわからない。
汚れた手を気にすることもなく去っていく女性の後ろ姿が、ぼんやりと誰かに重なる。






「豪炎寺ー、ボールあったかー?」
「ああ、すまない今戻る!」





 今度もしまた出会うことがあったら、サッカーの試合に誘ってみようか。
なんとなく、断られることはないような気がする。
豪炎寺は心の中でそう決めると、再び河川敷へと駆けだした。






君を認めた瞬間に 世界は再び目を覚ますのだ




目次に戻る