本気で恋した数百年前  前編







 人の成長は驚くほどに早い。
は、ほんの15,6年前まではよちよち歩きをしていた友人の成長しきった体を見て思った。
お姉ちゃんと呼ばれていたのにさんになり、今では自分とそう背格好は変わらない。
むしろ、相手の方が大人びているような気もする。
この差は何なのだろう。
は縁側に腰かけ次から次にまくしたてる友人をぼんやりと見つめた。




「なんだか・・・・・・、急に女っぽくなったよね」
「あ、やっぱり人生経験豊富なさんにはわかっちゃうよね。私、この間、その・・・・・・、殿方と床を共にして」
「・・・そう、なんだ」





 死ぬかと思うくらいに痛かったけど幸せだったと感想まで延べられ、は曖昧に笑った。
そんなことは知らなかった、やったこともなかった。
こうしてまた彼女も大人となり、母となっていくのだろう。
取り残された気分になった。
何十年経っても何百年経ってもずっと変わらず、これからもこうして周囲の成長する姿を眺めていくのだろうか。
背伸びしたいとは思わなかったが、少しだけ羨ましくはあった。





「そういえば最近日本様見かけないけど、仲良くしてる?」
「あの人この頃は将軍たちやその側近とかとの付き合いが多いみたいで。・・・今日もお座敷遊びじゃないかな」
さん放って? こんな綺麗な人と一緒に住んでるのにほったらかしなんて・・・」
「私たち、別にそんな関係じゃないから」





 特に近頃は避けられている気さえする。
は、今日もほとんど目を合わせることなく家を出ていった日本を思い出した。
何か気に触るようなことをやったわけでも、気まずくなるようなことをした覚えもない。
何百年間もそうしてきたように、至って通常の生活を送ってきたつもりだった。
だからこそ、日本の変貌には戸惑いを隠せなかった。
口もほとんど利いてくれないため、2人ながらもそれなりに賑やかだった食卓はとても静かで重苦しい。
座敷遊びをして帰ってくることも多くなり、起きている間には帰って来ないくらいに帰宅が遅くなる日もあった。
何かあったのだろうか。
毎晩通い詰めるほどに懸想している女でもできたのだろうか。
それとも単に、自分と一緒にいたくないだけなのだろうか。





「私もたまには羽目外してみようかな」
「それがいいよ! 私、いい人紹介するよ!」
「あはははは・・・」





 この子なら本当に男の1人や2人連れて来そうだ。
はやたらと乗り気な友人の帰りを見送ると、ひっそりと静まり返った部屋を覗き、深くため息をついた。














































 何をやっているのだろう。
日本は注がれた酒を呷り、未だに酒毒に侵されていない頭の片隅で自らを戒めていた。
付き合いで通っているとはいえ、今日で何日目だろうか。
今までも付き合い上で誘われたことはあったが、ここまですんなりと言うことを聞く自身ではなかったはずなのだが。
最近のお主は付き合いが良くて以前とは別人のようだと上機嫌で上司は杯を重ねているが、日本の心中は穏やかではなかった。
本当はこんな場所で飲んだくれている場合ではないのだ。
家に帰って、決して豪華ではないけれど家庭的で美味しいの手料理を食べたい。
他愛ない話をして時間を過ごしたい。
それができない自分が嫌だった。
できないがために彼女に寂しげな顔ばかりさせている己がもっと嫌いだった。

 は、日本が生まれて間もないころ、彼自身が願い創りだした存在である。
自分にはない視点を持つ笑顔が可愛らしい同じ年頃の女の子。
願った末に現れたは成長すると、良くも悪くも日本が好みとする女性の特徴をすべて押さえた娘になった。
幼い頃はそれほど容姿も気にならず、家族のような親しさでわいわいと過ごしてきた。
しかし今になって、知り合って数百年が経って急に彼女を1人の女だと認めてしまった。
もう少し控え目で大人しい性格が好きだったはずだが、ぷちぷちと文句を言う姿がいじらしく見えるようになってしまったのだ。
これには日本が耐えられなかった。
好きな女と1日中ひとつ屋根の下で暮らすことが急に恥ずかしくなってしまった。
よくよく思い起こしてみれば、何やかやとあれこれ手を焼き、遷都をしても戦乱に巻き込まれても、片時も離さず接してきていた。
愛情の意味を正式に知る以前から、ずっと彼女に好意を抱いていた。
それもおそらく、こちらが一方的にである。
家に帰ればきっと彼女は、こちらの気持など全く考えることなく日本さん日本さんと近付いてくるのだろう。
残念なことに今の日本には、にとってはいつも通りの行動を昔のようにさらりと受け止めることはできそうになかった。
勢いに任せて取り返しがつかないことをやりそうだった。
後退したくはない仲だが進展する見込みはない。けれども現状維持では満足できない。
日本はどうすればいいのかわからなかった。






「日本、お主今日はちと飲みすぎておらぬか?」
「・・・大丈夫です」
「平気なわけあるまいに。人に送らせるゆえ今日はもう帰れ」
「・・・・・・」





 あれこれと考えていたためか、酔いが早く回ったらしい。
今家に帰るわけにはいかない、にこんなみっともない姿を見せるわけにはいかなかった。
そう思い抱きかかえる供の腕を振り払おうとしたが、上手く体が動かない。
何もできない日本は、一番顔を合わせたくないの元へと護送されるのだった。













































 やはり今日も帰って来ないつもりなのだろう。
そろそろ潮時なのかもしれない。
はそれほど多くはない荷物をまとめると、布団に潜り込んだ。
明日、日本が出かけた後に家を出て行くつもりだった。
彼がここに帰らないのは自分に会いたくないからだろう。
家主が自宅に足を運ばないのはおかしなことだった。
は日本の体が何よりも心配だった。
特別酒に強い体質でもないというのに毎晩酒宴に行けば、いかに国であっても壊れてしまう。
早く元の生活に戻ってほしかった。
日本の迷惑になるようなことはしたくなかった。
ここの他に行く当てはないが、人里離れた神社でひっそりと暮らせばいい。
今よりもかなり寂しい生活になることは明らかだったが、躊躇いはなかった。
明日は早いからもう休もう。
が目を閉じた数分後、玄関が騒がしくなった。
日本の帰宅にしては賑やかだ。まさか、彼の身に何かあったのでは。
は寝間着の上から上着を羽織ると玄関へ急いだ。






「日本殿をお届けにまいりました」
「日本さん・・・・・・、わざわざありがとうございます」
「部屋までお運びしてよろしいか?」
「お願いします」





 飲み潰れるまでに飲み人に介抱されている日本を見るのは初めてだった。
酒の力に頼ってでも忘れたい、紛らわしたいことがあったのだろうか。
あったとしても、きっと教えてはくれないだろう。
横になった日本に布団をかけると、は自らに注がれる視線を感じ顔を上げた。
部屋を出て何でしょうと尋ねると、なんとも形容しがたい笑みを返される。




「噂には聞いていましたがなるほど、我ら人とは違う美しさだ」
「そんなことありません。外は暗いです、気を付けてお帰り下さい」
「私が日本殿なら、遊女と戯れずあなたのような人と夜を共にしたいものだ」
「帰って下さい」





 無遠慮な視線に晒されは眉をしかめた。
酔っ払いの相手を笑顔でできるほど手慣れた女ではない。
失礼にあたるだろうかと思いながらも追い出すと、は炊事場へ向かった。
ないとは思うが、万が一目が覚めた時のために冷水を持って行く。
女遊びばかりしてないで真面目にしたらと頭を冷やす意味で水をぶちまけてやりたくもなる。
しかし、今のにそうするだけの気力はなかった。





「・・・寝てる日本さんを見つめてもな・・・」





 酔って火照った頬に手を当てる。
こんなに頬って熱いものだったかとふと思い、すぐに触ったことは滅多にないと気付いた。
ずっと近くにいたはずなのに、2人の間は一定の距離以上は縮まらない。
家族だからそういうものなのか。
は、狭まるどころか広がりつつある距離を寂しく思っていた。






「・・・・・・・・・?」
「・・・起きた? 大丈夫、日本さん」





 目が覚め半身を起した直後、日本は額を押さえた。
飲みすぎで頭痛がしているのだろう。
は頬から手を離すと用意していた水を差し出した。





「・・・みっともない姿を見せてしまいましたね」
「付き合いとかあるから断れないんだろうけど・・・・・・、飲みすぎは良くないよ」
「・・・・・・」
「水、ここに置いとくから。・・・座敷遊びとか女遊びとかやってるのはいいけど、ほんとに体には気を付けてね」








 自室に帰ろうと立ち上がりかけた時、日本が腕をつかみ引き寄せた。
前のめりになり日本の胸に倒れこむ。
酒臭い、この人まだ酔ってるんだ。
突然うるさくなりだした心臓を宥め極力平静なふりをして、は再び立ち上がろうとした。
それができなかったのは、急な視界の反転とこちらを見下ろしてくる日本の瞳に戸惑ったからだった。





「に、ほ・・・」





 ひたと熱い手で頬を撫でられ、の口から言葉が消えた。
壊れ物を扱うかのような日本の手つきはどこかもどかしく、一度は鎮めたはずの心の音がまたうるさくなってくる。
これも酔っ払いの行為の一環なのか。今ならまだ文句を言うだけで許せる。
は日本をもう一度見つめた。
部屋を照らす仄かな光が届かない天井越しに映る日本の瞳は、異様なまでに冴え渡っていた。
酔いなどどこにも見当たらない。
ただ、無言で見下ろしていた。





「ねぇ・・・・・・、日本、さん・・・・・・?」
「・・・・・・・」
「ねぇ、聞こえて・・・・・・!?」









 息が止まった。
目に刺さるのではないかという位置に日本の髪があったが、目を閉じることができなかった。
彼が何を考え、何を求めているのかわからなかった。
女遊びをしていてもまだ足りないのだろうか。
変に頭を動かしたためか、脳が酸素を欲してくる。
少しだけ、少しだけ口を開けば酸素が供給できるかもしれない。
わずかに開いた唇から入ってきたのは待ち望んだ空気ではなく、予期せぬ日本の襲来だった。
物音ひとつしない部屋からの耳に入ってくるのは自身の心音と、合わさった唇から漏れ出る唾液が混じり合う淫靡な音。
酸素不足で頭が真っ白になりかけた時、ようやく日本は唇を離した。
全く息切れしていない彼を見ていると、羞恥心で体がさらに熱くなる。
早く解放してほしい。今のの願いはそれだけだった。
壊れてしまうのではないかというくらいに激しく動いている心臓を押さえるべく、胸元に手を持って行く。
しかし、の手よりも早く日本の手が、あろうことか寝間着の間から入り込んできた。
無造作に動き回る手が触れた場所から熱を発する。
柔らかな胸の頂に日本の指が触れようとした直前、は手探りで見つけた水差しの中の水を日本にぶちまけた。
頭から水をかぶり茫然としている日本を全力で突き飛ばし、布団から離れる。
乱れた寝間着を整え、侵入口となった襟元をきつく握り締め日本を見つめる。
緩慢な動作で座り直した日本は、を視界に捉えることなくすみませんと呟いた。






「やめて、よ・・・・・・。こんなの、日本さんじゃない!」
「・・・すみません」
「ひどすぎ・・・・・・! 女の人なら誰でもいいんでしょ!?」
「違っ・・・!!」





 日本はばっと顔を上げを見つめ、すぐにまた俯いた。
怖かったのだろう、あれだけ気丈な娘が小刻みに震えていた。
怖がらせたのも無理はなかった。
驚きのため抵抗する準備が整っていなかった彼女を無理やり組み伏せたのだ。
日本としては積りに積っていた思いを形は最悪だが発露したのだが、にしてみれば青天の霹靂だったことだろう。
家族だと思っていた人から突然襲われたのだ。
恐怖の念を抱かないわけがなかった。





「ほんとのもう、こんなことしないで・・・・・・」
「・・・すみません」





 日本に目もくれず部屋を後にしたは、自室の布団に潜るときつく目を閉じた。
先程までのことは忘れるべきだった。
長い時間を共に過ごしてきたが、こんなことになると思ったことは一度としてなかった。
自分も日本もお互い、そういう対象としては見ていないとばかり思っていた。
しかし、それはこちらが勝手に思っていただけだったのだろうか。
家族であり恋人や夫婦のような関係にはなれない、ならないと思っていたのは間違いだったのだろうか。
何にしても、は日本に合わせる顔がなかった。
今まで誰にも唇を合わせたことはなかった。
もちろんそれ以上、普段隠している部分の肌を触られるようなこともなかった。
これではもう、本気でここにはいられない。
きっと日本は今日のこともあって、さらに家に寄り付かなくなるだろう。
自分がいなくなるのが2人にとって一番いい道なのだ。
どうせお互い長生きする身なのだ、しばらく経てばいろいろな熱も冷めて元のままというわけにはいかないだろうが、それなりに親しい関係には戻れるはず。
忘れよう、そして日本から遠ざかろう。
忘れようとしているにもかかわらず、日本に触れられた体は熱を覚えたままだった。









前置きが長いのはいつものことだと割り切るのが、モヤモヤの解消法だと一応提示します




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