本気で恋した数百年前  後編







 翌日、もぬけの殻となったの部屋を見た日本は、二日酔いによる頭痛とは別の目眩を感じた。
恥ずかしくなったのか同居に限界を感じたのか嫌気が差したのか、おそらくは全ての理由から家を出たのだろう。
こうなったのも全てはこちらに非があるからだ。
日本は、昨晩の酒の勢いに任せてといった弁解だけでは到底許してもらえない所業を思い出し、気が重くなった。
に触れた時、実は酔いは醒めていた。
彼女は酔っぱらいの無節操な乱行と捉えただろうが、あれは本気だったのだ。
もっとも、そう告げたところで彼女の機嫌が治るわけではないが。




「・・・どこに行ったんでしょうか、・・・・・・」




 おそらくはどこかの神社あたりだろうが、数が多すぎてすぐには見つからないだろう。
残念なことに日本は、を存分に探せるだけの時間を与えられていなかった。
宴会の類はすべて断るにしても、夜しかまとまった時間の空きはない。
日本はもう一度、きちんと畳まれた布団を見つめた。
物と場所こそ違えど、あれの上にを押し倒したのだ。
思っていた以上に柔らかく温かな身体だった。
着物に隠された部分の感触まで思い出し、日本の顔が熱を帯びてくる。
いけない、こんなことでは本当にに嫌われてしまう。
再会したらまた懲りずに同じ事をしでかしそうだ。
やるにしても、今度はきちんと同意を取った上で行いたい。
日本は緩みきった理性に喝を入れると、重い足取りで上司の館へと赴くのだった。











































 思えば、日本の傍を離れて暮らすのは初めてかもしれない。
は人里離れた古ぼけた神社を掃除しながら、ぼんやりと考えていた。
戦争で余所に日本が出かけたことはあったが、はいつだって留守を預かっていた。
喧嘩らしい喧嘩をしても2,3日経てば元通りになっていたため、家出の支度をする暇もなかった。
それに、たとえ喧嘩になっても決して日本は手を上げようしなかった。
叩きますよなどと脅されたこともなく、口でぐっさり言われるだけだった。
そんな人畜無害な彼がなぜ。
は日本の変貌についていけなかった。
上司が変わったため中身も変わってしまったのだろうか。
いやしかし、過去も様々な上司と付き合ってきたが、日本はあくまでも日本だった。
だとしたら単なる酔っぱらいの乱行か。
今までも日本は酔ったことはあった。
酔っぱらった彼を介抱したこともある。
だが、あそこまで乱行を働くようなことはしたことがなかった。
考えれば考えるほど訳がわからなくなってくる。
あれは本当に酔った勢いでの行為なのか。
もしもそうでないというのならば・・・、これからどうしろというのだろう。
は泣きたくなってきた。
それもこれも1人で抱え込んでいるあの人がいけないのだ。
話してくれれば解決することもあるというのに。





「日本さん、私探してるのかな・・・・・・」





 そう簡単に見つからないであろう場所を選んだのだが、この国自体である日本に対してはまったく意味を成していないかもしれない。
それでも、すぐには見つけてほしくなかった。
どうせ帰るにしても4,5日ばかりは猶予が欲しかった。
何を言い、どんな顔をすればいいのか今はまだわからないのだ。
きっとそれは向こうにしても同じはず。
だから、互いのほとぼりが冷めるまでは距離を置いた方がいい。
そうだ、自分たちはあまりにも近くにいすぎたのだ。
男女はそもそも夫婦でも親子でもない限り、ひとつ屋根の下に住まない。
は、日本はどう思いながら生活していたのだろうかと考えた。
家族だろうか、それとも兄妹だろうか、それともまさか―――――。
不意に湧き上がってきた第3の選択肢をは打ち消そうとした。
困りはしないが、戸惑ってしまう。
いつかそう見られていたのかはわからないが、だからこそ意識してしまう。




「・・・こ、心を静めて落ち着け落ち着け・・・・・・。日本さんは家族、日本さんは家族・・・・・・」





 の必死の自己暗示が日本を苦しめているとは、もちろん彼女は知らない。
















































 体がひどく重たい。
ひっそりと静まり返り明かりひとつ灯っていない真っ暗な自宅へと帰ってきた日本は、玄関に腰かけるとそのまま起き上がりたくなくなった。
何をしても調子が上がらない。
家に帰れば疲れと寂しさは募るばかりだった。
今日は帰っているかもしれないと期待しつつも、物音ひとつしない家の前まで来ると期待の分だけ落胆の度合いがひどくなる。
もう限界だった。
が落ち着きここに戻ってくるのを気長に待とうと決めていたが、まさか7日も保たないとは。
どこにいるのかわかっていてもあえて迎えに行かなかったが、今日こそ迎えに行こう。
素直に思いの丈をぶつけてこよう。
ぶつけた結果彼女がますます遠のくだろうが、酔っぱらいの乱行と思われ続けているよりはましだった。
それに諦めもつき、何か大切なものは燃え尽きるが、家族として暮らしてくれるはずだ。
日本は、がいなくなって改めて、いかに自分が彼女を愛しているのか思い知った。
よくこの間まで我慢できたものだ。
切れはしたが太かった理性を褒めてやりたかった。
に会いたい、会いに行こう。
日本は荷物を置き立ち上がると、そのまま再び外へ出た。
よくもまぁ、一晩であれだけ山奥まで行けたものだ。
人里離れた神社など物騒な輩しかたむろしていないというのに、彼女には危機管理能力が欠けているらしい。
まずは先日の無礼を謝罪して、それから想いを伝える。
無事帰って来てくれる運びになった時初めて、1人で人気のない場所に行くなと叱ればいい。
疲れているはずの日本の足取りが、俄然軽くなった。




































 誰からも手入れされていない、とても人が住んでいるとは思えない神社の本殿を開ける。
何の躊躇いもなく神体が安置されている本殿に住み着くとは、よほど同業者を信頼しているのだろう。
いつの日か祟られるのではないかと気が気でない日本の思惑など、まるで気付いていないだろう。
本殿内も外観と同じくみすぼらしくはあるが、それなりに掃除がされている。
掃除も料理も得意な彼女らしい。
日本はふっと口元を緩めると、極力音を立てないように注意して中へと入った。
注意していてもぎぃと鳴る床が恨めしい。
日本は部屋の隅の膨らみを見つけ、そっと声をかけた。





「迎えに来ま「やだやだ来ないで・・・・・・、助けて日本さん・・・・・・」・・・?」





 声をかけた直後膨らみが大きく震え、中からくぐもった声が聞こえてくる。
何やら様子がおかしい。
不安に思った日本がに近付き手を伸ばすと、今度は小さく悲鳴が上がった。





「どうしたんですか、どこか具合が悪いんですか!?」
「・・・・・・う」
「・・・? ・・・ちょ・・・、どうして泣いてるんですか、私まだ何もしてませんよ!?」





 どうしたものかと扱いに戸惑っていた日本は、ぎゅっとしがみつかれ思考を停止せざるを得なかった。
先日の今日なのだからさすがに触れるのはまずいと躊躇っていたというのに、まさかの方から抱きついてくるとは。
なんという僥倖、いや、珍事か。
日本はの行動理由がわからぬまま、震えている彼女の背へそっと手を回した。




「怖がらなくていいですよ・・・。私です、日本です・・・」
「知ってる・・・・・・」
「迎えに来たんですが・・・・・・、何かあったんですか?」




 は日本の着物から手を放すと、ゆっくりと神体の方を指差した。
男が1人転がっている。
その人盗賊なのと涙声で言われ、日本は眉を潜めた。
盗賊風情がに触れようとするとはなんと愚かしい真似を。
彼女を怖がらせるなど言語道断だ、今すぐにでも斬って捨てたかった。




「あなたが退治したんですか? 怪我は?」
「ない・・・。私がいること知らなくて盗みに入ったら、罰当たったんだと思う・・・」




 でも怖かった。
はぽそりと呟くと、また日本にしがみついた。
この対応は、はもうあの事を怒っていないと認定していいのだろうか。
日本は胸に顔を埋めたまま動かないの肩を抱いた。
そして、この間はと切り出す。




「この間は驚かせてすみませんでした・・・・・・。帰ってきてくれませんか・・・?」
「・・・・・・」
「少なくとも今後は、許可なくあなたを襲わないと誓います」
「・・・日本さんは、私を何だと思ってるの?」
「大切な・・・・・・、世界中の誰よりも愛している女性だと思っています。・・・初めは家族だと思っていたのですが、どうやら違ったようです。私は、あなたが欲しい」




 日本の腕の中のが固くなった。
やはり拒絶されてしまうのか。
そうなるのも無理はないと思っていた。
思っていたがいざ言われるとなると、なんと切ないものだろう。
これが失恋というものか。
日本は言い渡されるであろう言葉を待った。




「私、悲しかった・・・・・・。酔った勢いであんな事するなんて最低だって思った。あの時日本さん・・・・・・、ほんとに酔ってたの?」
「心から愛している女性に酔った勢いで触れるようなことはできません」
「私は、日本さんをどう見ればいいのかわかんない。ああいう事されたら怖いって思うだろうけど、日本さんのことは嫌いじゃないの。
 だから帰っても、どんな顔してればいいかわかんなくて・・・・・・」




 はようやく顔を上げた。
怖い思いをさせたのは日本だが、怖い思いをしているときに助けに来てくれたのも日本だ。
良い事も悪い事も、全ての瞬間を共にしてくれる存在が日本だった。
これから先、好きになることはあっても嫌いになることはないだろう。
好きの細かい感情はわからない。
しかし、は日本を必要としていた。




「・・・あの」
「はい」
「今でも、その・・・・・・、私に触りたいとか思ってる・・・?」
「そうですね・・・。今はこうして、あなたを抱き締めていられるだけで充分幸せです」
「・・・・・・せっかく迎えに来てくれたんだもん。ちゃんと連れて帰って下さい・・・」




 は日本を押し退けると立ち上がった。
倒れている盗賊に先程まで被っていた布をかけてやり、日本の方に振り向く。
おずおずと差し出された手に自身のそれを重ねると、日本の顔から緊張の色がなくなりほっとした表情になる。
暗いですから足元気を付けて下さいねと気遣いを見せる日本の背中を、ぼんやりと見つめる。
大きな背中だと思った。
なんだかんだあっても、決して手放そうとしない頼もしい背中に見えた。




「あんな場所じゃ寝た気もしなかったでしょう。私がお布団敷いている間にお風呂に入ってきなさい」
「日本さん」
「何ですか? あぁ、気にしないで下さい、お詫びの気持ちですから」
「今日、一緒の部屋で寝てもいい?」
「え」
「今更元には戻れないんだから、どうせなら今までとは違うことやってみたいなって・・・。駄目?」
「駄目じゃありませんが・・・・・・。・・・私、眠れないんですけど」




 良かったと微笑むを前に、否と言えるわけがなかった。
なんという生殺し、たとえこれが無邪気な発想からくるものだとしても、毎日は耐えられそうになかった。
歩み寄りにしては随分と距離を縮めてきたものだ。
やはり彼女には、危機管理能力が欠けている。
何やら、1人で悶々としていたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。




「日本さん」
「・・・今度は何ですか」
「酒宴に行って女の人とお酒飲んでる日本さん考えるとなんだか苛々するから、程々にしてね?」
「やめます、私酒断ちします」




 それってもしかしなくても焼きもちを妬いてくれているのではなかろうか。
どうしよう、ものすごく嬉しい。
あともう一押ししたら、案外速く彼女を恋人にできそうな気がする。
予想以上に明るく開けていた未来に、日本は改めて奮闘することを誓った。









2人がそういう関係になるのは、それから数ヶ月したくらいだと




ヘタリアTOPに戻る