ふるふる詐欺







 突然の雨と浸水が買い物の後で良かった。
家に帰ってずぶ濡れになった靴と服を脱ぎ、あっという間に水浸しになってしまった大地を眺める。
この雨の中じゃナンパもできないし、そもそも外にも出られない。
夕食を作り始めるにはまだ早いし、シエスタは買い物の前に済ませた。
さてどうしよう、ドイツに電話しちゃおうかな。
そう思い携帯を手に取ると、ちょうどタイミング良くコールが鳴り響いた。




「・・・え、ちゃん?」



 電話はおろか、向こうからはほとんど何のアクションも起こしてくれないちゃんが俺に電話。
兄ちゃんではなくて俺に電話。
どうしよう、嬉しすぎる。
声はおかしくないかな、上ずったりしないかな。
素早く発声練習をすると、3コール目でボタンを押した。




「チャオちゃん! どうしたの、デートのお誘い?」
「・・・あ、イタリア・・・・・・?」
「うん、そうだけど・・・・・・。・・・ちゃんどうしたの、元気ないよ?」
「う、あのね、」




 受話器越しに聞こえたぐずぐずという音。
途切れ途切れのちゃんの元気のない声に嫌な予感がする。
もしかしてちゃん、泣いてる?
どうして泣いてるんだろう、悲しいこと、寂しいことがあったのかな。
今どこにいるんだろう、慰めてあげなくちゃ。
俺はまだぐずぐず言っているちゃんを急かすように声をかけた。




ちゃん今どこにいるの? 俺んちの中? 迎えに行くからそこから動かないでね!」
「・・・う、ん」




 外はまだまだ雨が降ってるけど、そんなことは関係ない。
レインコートと傘とタオルを急いで用意する。
本当は車を飛ばしたいけど、それができる道路状況じゃない。
ばあんと玄関の扉を開けると、家の前にぽつりと誰かが立っている。
ぴくりとも動かないその姿にほんの少しだけ怖くなる。
でも、黒くて小さなそれが俺の捜し求めていた子だと、すぐにわかった、
傘を持っていないのか、雨に打ちつけられているまま立ち竦んでいるちゃん。
ずっと俯いているから表情はよくわからないけど、震えているように見える。
この土砂降りの中ずっとそうしていたのなら、風邪を引いて寝込んでしまうかもしれない。
俺はちゃんの下に駆け寄った。




ちゃん大丈夫!? いつからいたのここに!?」
「・・・う」
「大丈夫、歩ける?」
「・・・ふられちゃった・・・・・・」
「・・・え?」




 ちゃんの一言に息が止まる。
ふられちゃったって、つまりそういうこと?
こんなに可愛くて魅力的なちゃんを、どこかの誰かが拒絶したってこと?
信じられないけど、でも、本人がそう言ってるんだから真実なんだろう。




「好きだったのに、みっともないでしょ・・・・・・」




 みっともないのは俺の方。
大好きな大好きなちゃんから電話がかかってきて、他のみんなを出し抜いたと思って浮かれていたのが馬鹿みたいだった。
ちゃんには俺じゃない別の好きな人がいて、ちゃんが求める俺はあくまでも友人としての俺。
確かに、残念だけど俺は、傷心のちゃんを更に困らせるようなことはできない。
酷いよその男って言って、ちゃんを慰めてあげることしかできない、結局のヘタレだ。




ちゃん寒いでしょ。服とか用意しとくからシャワー浴びておいで」
「でも・・・」
「いいからいいから。あ、ご飯も食べてってね! えへへ、今日は腕の振るいがいがあるぞー」




 戸惑うちゃんをシャワールームに押し込み、クローゼットから適当な服を見繕う。
ちゃんが来るってわかってたんならとびきり可愛い服を用意してたんだけど、今日は生憎俺のしかない。
ちょっと大きいけど大丈夫かな。
まあちゃんだから、何着てもきっと可愛いか。
本当にちゃんを振った男っていったい誰なんだろう。
ものすごく気になる。
訊いてみたいけど、それを訊いてちゃんを傷つけたくはない。
今の俺にできるのはちゃんを慰めることだけで、自分の想いを伝えることではなかった。




ちゃん、タオルと服ここに置いとくね。あ、着てた服は洗濯するから籠に入れてていいよ」
「・・・ありがとうイタリア。・・・・・・ごめんね、手間かけさせちゃって」
ちゃんみたいに可愛い女の子のお世話だったら、毎日だってしたいくらいだよ!」




 あ、顔は見えないけど今、ちゃんが笑ってくれた気がする。
ちょっとでも気が紛れてくれたのなら嬉しい。
この調子でもっとちゃんに元気になってもらわなくちゃ。
グルメなちゃんを相手に料理を振る舞うのはとても気合いが入る。
美味しいパスタも食べてもらって、それで楽しい話を聞かせて失恋のショックをお互い癒そう。
よしと気合いを入れると、俺はキッチンに籠もった。































 一流シェフにも負けないくらいの料理を作っていた俺は、途中シャワーを浴び終えて少しさっぱりした顔になって現れたちゃんにも手伝ってもらって、
大満足のディナーを演出することに成功した。
誰かと、特に好きな女の子と一緒に食べる食事ほど心ときめくものはない。
料理とちゃんとどっちを見ればいいのか迷ってしまって、目がもう2つくらい欲しくなる。




「美味しい! さすがイタリアだね、ありがとう」
「俺もちゃんと一緒にご飯食べれて嬉しいよ!」
「もうほんと、口が上手なんだから・・・」
「ほんとのことだよー」



 貸したシャツはやっぱりちゃんには少し大きくて、邪魔にならないように袖を捲り上げたために見える白くて細い腕が妙に艶かしい。
元気がないせいかいつもよりもだいぶか弱く見えるし、守ってあげたくなる。
俺だったらちゃんに悲しい思いなんかさせないのに。
どうしてちゃんは、俺じゃない人を好きになったんだろう。
猛アタックしてたつもりだったけど、まだ足りなかったのかな。




「ねぇちゃん」
「ん?」
「その、言いたくなかったら無理して言わないでね。・・・・・・誰にふられたの?」
「・・・・・・面白いこと訊くね」





 そうだなあと呟き、ちゃんが天井を見上げる。
そこに答えが書いてあるのかと思い見上げるけど、俺にはいつもの白い天井にしか見えない。
やっぱり言いたくないよね。
俺ってば、ちゃんの傷を抉ったりして何がしたいんだろう。




「・・・強いて言うならイタリアかなあ」
「ヴェ、俺!?」
「うーん。イタリアなんだけどイタリアじゃないっていうか・・・。そもそも人じゃないしね」




 イタリアだけど俺じゃなくて、人でもない。
俺が導き出した答えは俺の発想だというのにあまりにも残酷で、許しがたいものだった。
まさかのセボルガじゃないよね、兄ちゃんの方だよね。
ちゃんのこと好きなんじゃなかったの、兄ちゃん。
素直になれなくて思わず振っちゃったの?
そうだとしたら俺は兄ちゃんを絶対に許さない。
今までで一番激しい兄弟喧嘩をしてやる。
掲げるべき白旗を赤く染め上げるまで、めっちゃくちゃのぐっちゃぐちゃにしてやる。




ちゃん、そいつに振られて悲しいよね?」
「そうだねー・・・。気合い入れておしゃれしたのに台無しだし、イタリアには迷惑かけちゃうし」




 もっとちゃんと見とけば良かったなぁと反省をし始めたちゃんの手を、俺は思わず握り締めた。
ちゃんは何も悪くない。悪いのは全部兄ちゃんだ。
兄ちゃんにちゃんはもったいない。
兄ちゃんの代わりに俺がちゃんを幸せにする。




ちゃん、こういう時に言うべきじゃないってわかってる。でも言わせて」
「うん・・・?」
「俺、兄ちゃんよりもちゃんに優しくするし、たくさんお願い事も聞いてあげる。美味しいものも綺麗なものもたくさんたくさん作ってあげる。
 だから・・・・・・、兄ちゃんじゃなくて俺を見て。俺のこと好きになって」





 大好き、愛してると囁いて、きょとんとしたままのちゃんの手の甲に口付ける。
反応が鈍いけど、やっぱり数時間前の失恋を引きずったままの今だから、ショックで頭が働いてないのかな。
ちゃんのリアクションを根気良く待つけど、いつまで経っても何も起こらない。
ぼうっとしているちゃんも可愛くて、テーブル越しじゃ物足りなくて横に回ってぎゅっと抱き締めると、やっとちゃんがもそりと動いた。




「あの、イタリア・・・?」
「なぁにちゃん。俺って普段はヘタレヘタレって言われてるけど、好きな女の子の前だとすっごく強いんだよ。
 そういう俺もちゃんに見てほしいな」
「・・・イタリアって、そんなにロマーノにライバル心抱いてたんだ・・・?」
「だってちゃん、兄ちゃんに振られちゃったからショックで落ち込んでたんでしょ? 俺はちゃんを泣かせるようなことはしないよ」
「私がロマーノに? いつって言うか、告白したことも恋人になったこともないんだけど」
「じゃあセボルガ!? そうなのそっちなの?」
「その方はどちら様ですか・・・?」




 よくわかんないけどとぼやくと、ちゃんはそのまま俺の胸に身体を預けた。
触れる体が熱いのは、俺の告白にドキドキしてくれたからかな。
吐息もあったかいし、もしかして俺の声に興奮しちゃったのかも。
ほんのりと赤く染まっている頬と白いシャツのコントラストが眩しい。
なんだか、襲っちゃいそうだ。




「こないだハンガリーと遊んだ時に可愛い服を買ってね、それを見てほしくてここに来たんだけど見事に雨がどばあっと」
「・・・・・・ちゃん、まさかそれって」
「早く見てほしくて天気予報も見ずに飛び出してきちゃったから、傘なんてなかったのよ」
「ふられたって、誰かに振られたんじゃなくて雨に降られたってこと?」
「うんそう・・・。でもショックだったのよ、せっかくおしゃれしたのに服はびしょ濡れだし、イタリアの優しさが目に沁みた」





 ほっとした。
すごくほっとしたけどなぜだろう、どこかすっきりとしない。
言葉足らずのちゃんがいけなかったのかもしれないけど、ちゃんは間違ったことは言ってない。
俺が勝手に勘違いして、勝手に告白しただけってことだ。
ごめんね兄ちゃん、俺やっぱり兄ちゃんのこと大好きだ。




「イタリア、落ち込んでる私を一生懸命慰めてくれたんだよね。嬉しかったなぁ、さっきの告白なんてもう、うっかり危うく“Si”(はい)って言うかと・・・」
「そこはそう言ってほしいんだけど、ちゃん」
「あ、だったらうん、Si、Si・・・」
「ほんと!? ほんとに俺の恋人になってくれるの!?」
「うんうん。だってほら、イタリアの手って冷たくて気持ちいいし・・・」





 極めてゆっくりとした動作でちゃんが俺の手を取り、そのまま自分の首元へ当てる。
わ、なにこれ、いきなりデートじゃない、ベッドのお誘い?
ちゃんって意外と大胆だ、こんなに熱くなっちゃって俺、歯止めが利かなくなりそう。
手のひらから伝わる熱が異常なものだと気付いたのはその直後のことだった。
腕の中のちゃんはぐったりとして今にも眠っちゃいそうだし、おでこもものすごく熱い。
これは艶かしい熱じゃない、ただの発熱だ。
あれだけ雨に打たれていたんなら風邪を引いたっておかしくない。
・・・ちゃん、いつから熱出してたんだろう。




ちゃんちゃん、しっかりして!」
「あ、こんにちはローマさん・・・・・・。えへへ、ヴェネチアーノに・・・」
「天国に召されちゃやだぁぁ!!」




 今、ちゃんの目には何が見えてるんだろう。
じいちゃん、神様、それとも天使?
どれにしたって、俺以外の誰かが見えているんならそれは幻覚だ。
ついさっき俺を見てって言ったのに、言ったすぐから約束守らないなんてドイツに知れたらお仕置きものだ。
・・・と、今はそんなことを考えてる場合じゃなかった。





ちゃん、ベッドの用意するからちょっと待っててね」
「ずっと傍にいてね・・・」
「当たり前だよ。だって俺、ちゃんの恋人だもん」




 恋人! ああ、なんと甘美な響き!
全快したちゃんが雨の日の出来事をほとんど覚えていないことに気付くまで、俺の心は曇りひとつない快晴だった。









今度デートした時にまた、本気の告白しようっと




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