さよならドラゴン







 人間は欲深い生き物だ。
何不自由ない、中原のほぼすべてを手中に収めたと言っても過言ではない王の娘として生まれ、飢えることも寒さに凍えることもなくぬくぬくと宮殿の奥深くで育てられてきたというのに、
これ以上何を望むというのだ。
中国は天子の住まう宮殿よりも遥かに大きく荘厳な、時の権力者の屋敷の庭で佇んでいる姫君をじっと見つめた。
肌触りの良い上等な衣を身に纏っていながら、彼女の表情はどこか暗い。
人々にかしずかれ花よ蝶よと育てられた姫たちならばおよそ見せない憂いた表情を、この娘は時折浮かべる。
虫も殺せない優雅な物腰でありながら、先の宮城奇襲戦では不意の敵に動揺し崩れゆく父の軍を前線で鼓舞し、自らも武を奮ったという。
姫らしからぬ、けれども誰よりも姫としての気品を備えた奇特な娘だ。
中国は彼女のことが嫌いではなかった。




「王耀殿、このような所でいったい何を? 父はここにはおりませぬが」
と同じある。考えなしにここにいて悪いとは言わせないある」
「そうですね。・・・王耀殿は南へ行かれたことはおありですか?」
「ここは我の家ある。愚問するな」
「失礼致しました。暖かく人々も優しく住みよい平和な土地だと聞きました・・・。この戦乱の世にかような地があるとはとても思えません」
「中原は広いある。お前が見てきたのはここの箱庭だけある、知ったような口利くんじゃねぇある」
「わたくしは箱庭から出ても生きていけると思われますか? 父の庇護がなくとも乱世を生き抜けると思われますか?」
「無理あるな」





 冷ややかな即答に、小さく笑みを浮かべていたがまた沈み込む。
聡明な彼女だ、言われずとも答えはわかっていたに決まっている。
それに、こちらが生温い慰めや美辞麗句を並べ立てるとも思っていなかったはずだ。
やはりそうですかと呟いたは、袖口から色褪せた赤い紐を取り出すと愛おしげにそっと撫でた。
紐に恋をしているかのような優しげな瞳は、生憎と憂いのおかげで少し翳っている。
彼女を覆う憂いという名の雲を取り払う方法は1つしかない。
しかし、それはの人生を大きく変えてしまう。
箱庭の中では美しく舞っていた鳥が、外へ出ても同じように舞えるとは限らない。
姫という盤石の地位を捨て去ってでも進む価値がある道なのか中国にはわからなかった。
流れ星のような刹那の時を生きる人間と、悠久の時間を人に翻弄されたゆたう自分とでは、物事の価値の重さが違うのだ。





「少しわがままを言ってみたかったのです。言えば父上は聞き届けて下さると思っていたのです。わたくしもまだ甘いですね」
「わがまま結構、どんどん言うよろし。わがままを貫き通したらいいあるよ」
「それはいったいどのような・・・」
「箱庭から出たこともないのに生きるか死ぬかなんて我にわかるわけないある。つべこべ言わずとりあえず出てみるある。そしたら我が判断してやるあるよ」
「外へ出る・・・。確かに、目的を達するためにはまず外へ出ねばなりません。ありがとうございます王耀殿。わたくし、外へ出たい」





 父上にお願いしてみます、外へ出たいと。
おかしげに笑い話すの姿を見送ると、中国は黙って空を仰いだ。
きっともう、姫としてのに会うことはない。
箱庭から飛び出した鳥は二度と帰って来ない。
南へ飛び去り、そこで愛する男と新しい人生を歩むのだろう。
乱世を生きられない軟弱者の背中は押さねえある。
中国は軽やかな足取りで宮殿へと戻るの背中に小さく呼びかけた。







どの時代とは言わないけれど、私は三国志が好きだ




ヘタリアTOPに戻る