奈落の底までお供します







 広い屋敷の広い部屋に押し込められて、どれだけ経ったんだろう。
暖かな太陽の光も熱も、ガラス越しにしか感じることができない。
いつもなら自慢げに見せてくれるトマト畑だって、今は窓からわずかに見えるだけ。
ああ、でももう赤いのは見たくないかもしれない。
赤を見たら、闘牛はこっちに突進してくるでしょ?





「帰りたいなー・・・」





 がらりとした何もない、布団だけが敷かれた部屋を見渡しため息をつく。
故郷と変わらないのは寝心地だけで、あとはまるっきり違った。
組み敷かれた時に彼の顔越しに映る天井も、感じる痛みも、日中過ごしている間につくため息の数も。
寂しいと思う回数も間違いなく増えたと思う。
でも、寂しいなんて言っちゃいけない。
私の寂しさを解消したら他の誰かが寂しい思いするのだと、仕置き込みで教えられたのは記憶に新しかった。





「帰ったで。今日もええ子にしとったみたいやね」
「おかえりスペイン」





 にこにこと笑顔で部屋に入ってくるスペインは、太陽の下で見ていた頃とまったく変わらない。
笑顔ではいるけど瞳の奥が冷ややかなことには、この際気にしないことにする。
気にしてもしなくても、これから行われることに変わりはない。
むしろ知らないでいる方が、今この瞬間だけは幸せな気分に浸っていられる。
そんな悲しい計算をできるようになった自分が恨めしい。
私、こんな人じゃなかったのに。




「今日は世界会議やったんよ。アメリカに膝かっくんしてやったで!」
「ほんとに嫌ってるんだね」
「当たり前やん! あと・・・、・・・日本にも会うたで」




 スペインから笑顔が消えた。
こうやって私を値踏みしてる。
日本さんの名前出されて無反応でいられるわけがなかった。
頭では平静を貫こうと努力しても、無意識のうちに肩とかが動いてるんだろう。
おかしくなったと思われる感覚も、まだ根っこまでは侵食されていないらしい。
もっともスペインとしては、早く言いなりになってくれた方がいいんだろうけど。




「元気にしとったで。相変わらずのこと心配しとったみたいやから、俺も空気読んでどこ行ったんやろねって相槌打っといたわ」
「・・・そ、う」
「ほんまに日本に大切にされとったんやねぇ。ちょっと妬けるわ」





 たぶん日本さんは、私がスペインの所にいるって知ってるんだろう。
帰りたくても帰れないってことも知ってると思う、あの人抜け目ないから。
心配してくれているのはすごく嬉しかった。申し訳なくも思った。
ある日突然会議の休憩時間中に行方をくらました私を、今でも案じてくれてるんだもん。
もっと自分がちゃんと見とけば良かったとか、そんな間違った方向で責任感感じるような人だ、彼は。
スペインなんかにはぐらかされて悔しかったろうな。
日本さんの事を考えていると、泣きたくなってきた。
私がこんなに悲しい思いをしているのも全部スペインのせい。
トマト談義したりトマト料理見せ合っこしたりしてた仲だったのに、どうしてここまで歪んだ関係になってしまったんだろう。





「それでな、今度日本がうちに来ることになってん。気合い入れてもてなさんとなぁ」
「・・・日本さんには、何もしないで」
「えぇ?」
「あの人には手を出さな「ええ加減にし」





 ぐらりと視界が揺らぎ、ベッドよりも固い布団に押し倒される。
私に上には劣情を宿した瞳で見下ろすスペインがいる。
この体勢は、光景は何度目だろうか。
こうならない日が何日あっただろう。
スペインの右手が、背けようとした私の顔を固定した。
やめて、私が好きなのは欲望でギラギラした瞳じゃない。
嬉しそうにトマトや子分の話をする曇りのない瞳なの。




も凝りへん子やね。そんなに俺の気引きたいん?」
「ちがっ・・・」
「そやったら・・・。まだ忘れられへんの、あっちのこと」
「忘れるわけないよ・・・! だって、ずっと、ずうっとあそこに住んでたのに・・・!」





 スペインの顔から、怒りや嫉妬といった負の感情すらも抜けた気がした。
あえて言うなら無表情。
ただ目の前にある獲物を本能が指し示すままに蹂躙する獣のようだった。
何かの感情に囚われているよりも、どんな言葉にも耳を貸さず行動される方が怖かった。
どんなに鋼鉄に手をぶつけても叫んでも、痛みも声もすべてこちらに跳ね返ってくるだけなのだから。





「そんなら、忘れてまうまで俺を受け入れろ。そしたらの中は俺でいっぱいになって、余計な事考えることもないわ」




 故郷を思い出させるもんがあるのがあかんやったわと布団から私を引き摺り下ろしたスペインは、床に転がった私に覆い被さった。
止むことなく降り注ぐ唇から逃れることはできない。
侵入を拒もうともがく腕は、スペインの腕一本で簡単に自由を奪われる。
いや、ここに閉じ込められた時から既に、私から自由は奪われていた。
首に噛みつかれ、人形の着せ替えのような容易さで服を肌蹴られていく私は、自由よりももっと大切な、今まで私が私として生きてきた証を壊されている気がした。
悔しさや悲しさといった感情的なものと、生理的なものから溢れ出る涙で視界が滲むたび、私の中の何かがぐしゃぐしゃに塗り潰されていく。
スペインの望みこそ、まさにそれなのだろう。
いついかなる時でもスペインの事しか思うことができない。
たとえそれが思慕ではなく恐怖の対象であったとしても、だ。





「そや、今度日本の前でヤらへん? 日本もの行方知れて安心するやろ」
「やぁっ・・・、やめ・・・・・・!」
「こんだけええ声で啼いたら元気ってこともわかってくれるやろうし、俺って天才とちゃう?」





 乾いた笑い声を上げ至極楽しそうに絶望的な予定を立てるスペインに、私は反論する気力も体力も残っていなかった。
そんなことをされたら最後、本格的に私の心が壊れてしまうことを知ってて言っている。
そして知っていても実行に移すことはないのだ。
なにせこの男は、自らの手で乱れ狂った私を他所に見せることにすら嫉妬の念を抱くのだ。
だからこうやって来る日も来る日も恐怖を植え付けながらいいように抱き、少しずつ壊していっている。





・・・、人って壊れるの簡単やね。ほんま脆くておもろくてたまらんわ」





 とうの昔に私に対する想いを壊してしまったスペインが恍惚とした笑みを浮かべ、私に破壊の一端を突き刺した。









あっれー、スペインでは今お布団が流行ってるって話だったのになぁ




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