縁儚し恋せよ姫君     11







 轟音を上げ燃え盛る蜀軍の陣を馬で駆け、目的の人物を探す。
全身火だるまのようないでたちで襲いかかってくる敵兵を斬り伏せ先を急いでいたは、前方を散り散りになりながらも撤退する一隊を見つけ目を凝らした。
ほうぼうの体で逃げる姿は他の隊と変わらないが、中心はともかく周りを固める将は有事にも動じていない肝の据わった男のようだ。
敗戦の色濃い乱戦の中でも毅然とした態度を保っていられるのは、彼が多くの修羅場を経験し潜り抜けてきたからなのだろう。
あれはきっと劉備本隊のなれの果てだ。
本隊を守る戦神のような者がいる限り、あの隊には手を出せない。
しかし尚香はきっと傷心の劉備に今にも粉々に砕けてしまいそうな身と心で寄り添っているはずだ。
どうすればいいのだろうか。
足を止め考え込んだは、公主さん危ねぇと叫ばれたと同時にどんと突き飛ばされはっと我に返った。





「戦場でぼさっとしてんじゃねぇよ! 公主さん死んだらどうすんだよ」
「甘寧殿」
「へへっ、さっきは間に合わなくて悪かったな。凌統ももうじき来る。公主さんはここで待ってな」
「それはできかねます」
「おいおい、元気なのはいいけどこっから先は俺らに任せとけよ。公主さんの任務はもう終わってんだ、殿たちのとこに戻ってな」
「わたくしにはまだなすべきことがございます。それを果たすまでは、敵に背を向けることはできません」
「はあーどこまでもかてぇ奴だな公主さんも。仕方ねぇ、途中まで付き合ってやるからやりたいこと言え」
「・・・追いかけたい隊があるのです。しかしその隊には屈強な将が護衛としてついており、わたくしの力ではとても敵いません」
「そいつを引き受けてりゃいいってことか」
「できればそうしていただきとうございます」





 があの陸遜と対等に話ができるだけの戦機を読む目があることは、今回の戦いでよくわかった。
合肥の時はを単身敵陣に放り込むことは彼女の複雑な家庭環境からできなかったが、今回の相手はとは何の縁もゆかりもない蜀軍だからも存分に戦えるはずだ。
それに戦力は1人でも多い方がいい。
凌統には悪いが、も戦場にいるからには戦える数として数えてしまう。
甘寧はの前に立つと、子分たちを呼び集めた。
が目指すあの隊には大物がいる。
の指示に従っていれば、あわよくば劉備の首級を挙げることもできるかもしれない。
甘寧はと手早く作戦を確認すると、軍団を挟撃すべく背後を襲った。





























 人を使って調べさせ、曹魏の姫君がどのような人物なのか知ることができた。
死にぞこないの姫君は、ただでは死なない強かな根性の持ち主らしい。
今回劉備軍の蛇のような陣を炎で覆い尽くし灰と化した大火計も、陸遜の指示を受けた彼女が係わっているという。
なるほど、これでますます彼女を葬るのに都合が良くなった。
諸葛亮は劉備軍壊滅の報を聞き、手筈を整えていた石兵八陣の計を発動させると、悠然と団扇を煽いだ。
まだ見ぬ曹魏の姫君は、いったいどうやって現れてくれるのだろうか。
孫呉とは戦うべき相手ではないとわかっている以上、後々にまで禍根を残すような醜く爛れた傷は残したくない。
消すべきは後の友ではなく、永劫相容れることのない国に連なる者だ。
孫権とて、いつまでも曹魏の姫君を生かしていることについて彼女の兄たる曹丕からいらぬ探りを入れられたくはあるまい。
あれがいるおかげで魏呉両国の間が妙なことになるのであれば、厄介事の芽は異分子の除去という名目で摘んでおくに限る。
敵将に連なる家の娘を拉致同然に妻とし子まで成した張飛のような時代はもう終わった。
劉備と尚香の政略結婚さえ、今は尚香の存在が蜀にとっては非常に疎ましいものとなっている。
劉備が尚香を愛していなければ、とうに彼女は国へと送り返されていた。
いっそそうすべきだった。
どうせ長くは保たない利害関係の上に成り立った縁など、深まる前に切り刻み捨てておけば良かったのだ。
諸葛亮は後詰の趙雲を残し石陣を通過してきた劉備と、彼に寄り添い憔悴の色濃い尚香を見つめゆっくりと頷いた。
趙雲がおらずとも、ここには趙雲とは比べ物にならないほどの曹操への憎悪を抱いた五虎将軍がいる。
振るう槍は大地に群れる人を割り戦意と共に命を砕く、西涼生まれの錦馬超がいる。
彼の手にかかれば、所詮は宮殿の奥深くで花よ蝶よと育てられてきた曹魏の姫君など一瞬で息絶える。
もっとも、彼女がここに来るまでに生きていればの話だが。





「噂に名高い聡明な姫君とあれば、我が秘策をお見せしたかったのですが・・・」





 果たして姫君は、各所に配した伏兵を突破しここまで五体満足で辿り着くことができるのだろうか。
本陣に劉備を迎え入れようとした諸葛亮は、突如上がった時の声と火矢の嵐にのろのろと武器を構えた自軍の兵を見やり、火矢が放たれた方向へと視線を向けた。
矢を構えた兵たちの後方からゆっくりと歩み出てきた青い戦袍に身を包み細剣を手にしたほっそりとした体躯の若い娘に、尚香が前へ飛び出す。
行って玄徳様。
劉備を振り返ることなく告げられた尚香の言葉に、劉備は駄目だと叫んだ。





「尚香殿1人を置いていくわけにはいかない! 尚香殿が戦うなら私も共に戦おう」
「ううん、これは私たちの戦いなの。だからお願い玄徳様、私に玄徳様を守らせて」




 もう玄徳様は充分私を守ってくれたわ。
だから今度は私が玄徳様を守るの、それが夫婦でしょ?
明るく答え少しの笑みさえ浮かべた尚香に、劉備が返す言葉を失い口を噤む。
羨ましい。
は小さく呟くと、剣を構え尚香を見据えた。





「尚香殿、わたくしがここへ来たわけを尚香殿はおわかりでございましょう」
「ええ。・・・私はできればあなたとは会いたくなかったわ。だってあなた、一番ここへ来ちゃいけない人なんだもの」




 私以上に今のあなたはここでは独りぼっちなの。
悲しいけど、他国にいるってそういうことだから。
劉備たちが更に後退し尚香と2人きりに取り残されたは、悲しげな声と共に繰り出された尚香の強烈な一撃を剣で真正面から受け止めた。







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