縁儚し恋せよ姫君     7







 こうなることはわかっていた。
陸遜と話をした時も、彼に凌統との仲を心配されていた。
朱然の供として出陣し、怒りで我を忘れている猛獣のような蜀軍との最前線に赴くことついて凌統が良い顔をするはずがない。
が行くくらいなら俺が行くと言い出しかねないほどに大反対すると予想していた。
伊達に凌統と付き合っているわけではないのだ。
彼の人となり、そして彼にいかに愛されているかと知っていれば軍議での凌統の反対など火を見るよりも明らかなことだった。
夷陵の地で朱然率いる部隊が火計を発動すると決まり、軍議が終わる。
散会となっても議場に残りだ黙りこくっている凌統にあえて目を合わせようともせず、陸遜や朱然と策について更に話を詰めるため横を通り2人の元へと向かう。
と低い声で名を呼ばれたと同時に腕をつかまれ、ははいと答えた。





「・・・俺に何か言うことがあるんじゃないかい?」
「公績殿が此度の策について良くは思われないことは、予想しておりました。ですから、先に申し訳ございませんとお伝えしたのですが」
「策に文句はないよ、俺は軍師さんを信じてるからね。・・・、俺が言ってほしいのはそういうことじゃない。
 なんでが行く? 智将なら他にもいる、が行くくらいなら俺がやるよ。それでいいだろ軍師さん、なあ」
「それは聞き入れることはできません。凌統殿、あなたにはあなたの任務があります。蜀軍の猛攻に耐え時を待つ、それが凌統殿の任務です」
「そんなの俺じゃなくてもできるっての! なんで? 軍師さんはそんなにが嫌いかい? あわよくば乱戦の中で死んじまえって、そう思って「馬鹿なことを言わないで下さい!」





 激昂した凌統の詰問に淡々と答えていた陸遜が、勢い良く立ち上がり大声で反論する。
いついかなる時も冷静沈着な陸遜が椅子を蹴倒して荒々しく立ち上がり声を荒げたことに、議場に残っていた甘寧や朱然、の体がぴくりと動く。
陸遜は大股で凌統に歩み寄ると、策を書き連ねた書物をばんと台に叩きつけた。





「何度も考えました! 数に勝り怒りを露わにしている蜀軍をどう食い止め撃破すればいいか、何度も考えてきました! 殿しかいないのです!
 機を見て大軍に火を放ち、尚香殿や殿、軍に残ることになる醜い傷跡を最小限に食い止めることができるのは凌統殿の大切な方で、甘寧殿のお気に入りで、
 私がやっと見つけた小憎たらしい身内である殿しかいないのです!」
「軍師さんの言いたいことはわかるよ、俺も戦う身だからね。でもはどうなるんだい? が姫様たちと戦って、はどうする? 俺はもう嫌なんだよ、俺の大切な人が目の前でいなくなるのは」
「わたくしが自ら行くと望んだのです。わたくしがどうなろうとそれはわたくしのみのこと。公績殿たちがお考えになることではございません」
「だからそうじゃないんだよ! 、俺何度も言ったよな、出会った時からずっと今日まで、俺の傍にいてくれって。いつもそう言ってるのに、はいつも俺から離れてく」
「それは、そうせねばならないことがあるからです」
「違う、誰もにそんなこと求めてない。いつだってが勝手に離れてくだけだっての。・・・は、なんでここにいるって決めたか覚えてる?」
「おい凌統、お前がそれ言ったら公主さん」
「俺と一緒にいたいから、俺が幸せであり続けるために死ぬのやめて、公主でいることもやめてここにいることにしたんだろ? は今、俺が幸せだと思ってるわけ?」





 酷いことを、過酷な質問をぶつけていると自覚している。
茶々を入れず珍しく黙って聞いていた甘寧が止めに入った理由もよくわかる。
一番言ってはいけない人物が一番言ってはいけないことを、一番聞かせてはならない相手に向かって言ってるからだ。
が今もとしてこの地で安穏と暮らしているのは、表向きは孫権と交わした約定を守っているからだ。
愛する人が幸せであり続けるために死ぬ道を捨て生きることを選んだは、逆を突けば愛する人が幸せでなくなった時は生きることができなくなる。
今自分は、愛する人に対して死ねと言っている。
こんなはずではなかったのだ。
戦のたびにも出陣し更に自身の傍を離れ何かを守るために危機に陥り、こんな目に遭うため、遭わせるためにを奪ってきたのではなかった。
仮に戦場へ赴いても常に傍らで戦い続ける、在りし日の孫策夫妻のような姿を思い描いていた。
幸せな理想像とかけ離れた今は、幸せではない。
幸せでないなら、はどうなる?
凌統の問いかけに、顔を伏せたままだったがゆっくりと顔を上げる。
わたくしは、そう呟いたの今にも倒れてしまいそうな真っ青な顔を、凌統は自身でも驚くほどに冷ややかな目で見下ろしていた。






「やっと、聞きたかった言葉が聞けたような気がしております。平穏を阻む者がわたくしであるならば、取るべき道はただ一つと心得ております」
「そういう覚悟が俺とを苦しめてるって気付かないのかい?」
「・・・生きていると欲が生まれます。誰かのためだけではなく、わたくし自身が何かを成したいと思うようになります。やはりわたくしは公績殿・・・いえ、凌統殿のお傍にはいられません」





 所詮わたくしは、愛想も振り撒けず世辞も言えぬ変わり者ゆえ。
は凌統の腕をやんわりと離すと、静まり返った議場を後にした。







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