かたきどもの遠吠え     5







 初めて思ったわけではないが、やはり育て方をいくらか間違えてしまったかなと痛感する。
昔から3人で親しくしていたことは知っていたし、うちひとりが特別な感情をもって接していることも当然わかっていた。
周囲もおおよそ察していて、むしろ気付いていないのが3人組のうち2人くらいだ。
哀れな奴だなとは思えど人の恋路なので様子を見ていたが、昨晩はついに決定的瞬間を見届けてしまった。
これ以上大事な部下を不憫な目に遭わせるのはさすがに良くない。
遭わせているのはこれまた大事な部下だが、無頓着にも程がある。
親代わりとしても、そろそろ一肌脱いでやるべき時が来たようだ。
曹操は昨晩の顛末を未だに引きずっているのか、軍議の最中も険しい表情で宙や机や賈クを睨んでいた李典を呼び止めた。
国の主たる魏王に少し良いかと言われ、断ることができる部下はこの世にはもういない。
李典は突然の主からの招集に戸惑いながら、散会となり人気のなくなった会議場で曹操を見つめた。




「久々の許昌はどうだ。休めているか」
「はい。おかげで随分と気分転換ができました。親しくしている者にも会えましたし」
「三食昼寝・・・」
「は? あの、殿・・・・・・」
「いや、お主の部下になれば三食昼寝、おやつ付きなのか気になっての」
「殿、それをいったいどちらで・・・? ・・・え、いや、いや・・・・・・?」
「そこまで言っておきながら、なぜ妻になれと言えぬ。がその手の話に疎いとわからぬお主ではあるまい」
!? と、殿、いったい何を・・・」
「隠さずとも皆とうの昔から気付いておるわ。のう程昱」
「はっ、それはもうかねてより。私はいつ孫の顔が見れるのかと楽しみにしておりましたというに、まったく李典殿は何をのうのうと!」
「いや、は程昱殿の娘じゃないでしょう」
「言葉のあやじゃ!」




 ご老体とは思えない迫力だ。
李典はいつの間にやら周知の事実となっていたらしい自身の恋路と昨晩の惨敗に頭を抱えた。
は、本人こそあまり気付いていないが古参の将兵たちにとっては娘や妹同然の存在だ。
娘の幸せを願うのは親としては当然の感情で、こちらとての幸せを心から願っているひとりだ。
可愛い娘が良縁を得てほしいと思う気持ちはよくわかる。
しかし、だからといってこちらを責めなくてもよいではないか。
可愛いゆえに恋心という存在を教えなかったのはどこの教育係だ。
李典の不満げな表情を抗議と読み取った程昱が、そのくらいとて心得ておりますと言い放つ。
あの郭嘉殿が教鞭を執ったのですぞと付け加えられ、李典は思わずはああと叫んだ。





「あの人がいてがあの様って、程昱殿本当に教育係をなさったんですか」
「まあ・・・、それだけが落ち込んでおったということだろう・・・。時に李典、お主はまことにと添い遂げるつもりはあるのか?
 お主も知っておろうが、あれは一筋縄ではいかぬ女よ」
「なければあんなこと言いませんって・・・」
「であれば早いうちに動いた方が良かろう。これ以上先延ばしにすれば、また戦が始まる」
「動くって、まさか殿自ら動いて下さるんですか」
「お主に任せておっては、わしはいつまで経ってもの親に顔向けできん。程昱、を呼んで参れ」
「すぐに・・・」




 あとはわしらに任せておけと言われ、会議場を追い出される。
あまりにもとんとん拍子に話が進みすぎて、今までの自分の奮闘は何だったのかと空しくなる。
曹操はにいったい何をどう話すというのだろう。
は嫌がらないだろうか。
嫌われてはいないはずだが、男女の関係となるとどう思ってくれるかわからない。
そういえばはどのような男が好きなのだろう。
典韋のような男が好みと言われても、申し訳ないが今更あの筋肉は蓄えられそうにない。
しなやかな肉体を持った冗談も通じる気さくで勘のいい男が好きとか言ってくれないだろうか。
言わないだろう。
仮にそう思っていれば、昨晩の時点で話はもっと進んでいた。





「頼む程昱殿・・・、穏便にしてくれ・・・」






 李典はの元へ向かったという程昱と稀代の色好み曹操に、すべてを託すことにした。













































 とぴしゃりと名を呼ばれ、思わずうっと叫ぶ。
なぜこんな汗臭いところに程昱様が来ている。
ここ最近は特に何も粗相をしていないはずだが、どうして来ている。
いないふりをしてもいいだろうか。
はそろりと賈クの元へ近寄ると、彼の影に隠れるよう席についた。





「珍しいねえ、あんたが進んで俺の傍に来るなんて。さては首を取る気になったかな? しかしここじゃあさすがに人目が多い」
「非常事態です」
「・・・ははあ、あんたさては程昱殿が苦手だな?」
「違います、程昱様はとても素敵なお方です。あの方が私に学問を教えて下さったのです。・・・いささか厳しい方ですが」
「であればなぜ逃げる! 見えておるぞ!」
「ひ・・・。・・・あの、このような所にまでいったい何のご用で・・・」
「殿がお呼びなのだ。まったく、手間をかけさせおって・・・」
「殿が? 申し訳ありません、すぐに参ります」





 程昱個人に呼ばれることには抵抗があるが、曹操に呼ばれたのであれば何を置いても行くに決まっている。
なぜ程昱が呼びに来たのかは気になるが、きっとたまたま傍にいたのが程昱だっただけなのだろう。
良かった、怒られはしないようだ。
そもそももう子どもではないし字もまともに読めるようになったのだから、今更何も恐れることはないのだ。
どうやら幼少期からの癖はそう簡単に抜けてくれないらしい。
は程昱に連れられ、賈クの執務室を出た。
相当の年齢であるはずの程昱だが、今なおかくしゃくとしている姿には月日の経過をまるで感じさせない。
この人にとっては私はまだまだひよっこなのかな。
いつまでも子ども扱いされるのは釈然としないが、それは裏返せば今も見守り可愛がってくれているということだ。
本当の親兄弟はもういないのに、曹操軍にはたくさんの育ての親がいる。
たくさんの親たちが育ててくれた。
恩はいつか必ず返すつもりだ。
命をかけて返そうとするだけではなく、もっと違うかたちでも、少しずつでもいいから返していけたらいい。
曹操は生きていてくれるだけでいいと言ってくれたは、それだけではこちらの気が済まない。
私にももう少しできるんだという矜持もある。
黙って後ろを歩く様子を訝しんだのか、程昱がきついのかと足を止め尋ねてくる。
程昱は厳格で甘えを嫌う切れ者だが、決して冷たくはない。
は程昱の隣に並ぶと、いいえと返した。





「賈ク殿とは上手くやれているようじゃが・・・」
「皆さんそう言ってくるんです。・・・大丈夫です、もうその件は区切りをつけたつもりです」
「武人として生きるのであれば、多少の苦しさは味わうことがあろう。きちんと体は労わっておるか? 先般の傷はもう癒えたのか?」
「傷だなんて、いったいいつの話をしているのですか。もうとっくに癒えています。次の戦でも後れは取りません」
「戦に出ない生き方というものを考えたことはあるか?」
「私に文官としての才はないって言い切ったのは程昱様ですよ」




 筆で戦えないから、私は武器を取るんです。
そう屈託のない笑顔で答えたかつての教え子に、程昱は目を伏せそうかと呟いた。














































 自慢ではないが、娘はたくさんいる。
皆それぞれ名のある将の子息に嫁がせたり帝に献上したりと、娘たちは不幸な目に遭わないようかなり気を遣って決めてきたつもりだ。
政略道具ではあるが、その中でもできる限りのことはしてやりたい。
そう思うのは親ならば誰もが思うことだろう。
無論、の死んだ両親も同じように思っていたはずだ。
そしてその遺志を身勝手にも引き受けたつもりでいる自身は、に対してまだ何もしてやれていない。
本人にその気がなさそうだからという理由で先延ばしにし続けてしまっていた。
曹操は程昱に連れられ現れたを見下ろし、亡き彼女の家族や典韋にすまぬと心の中で謝罪した。





「調子はどうじゃ。夏侯淵の遺児とは派手にやったと聞き及んだが」
「夏侯覇殿はとてもご立派です。大剣の使い手で勢いもあり、私もあわや倒されるところでした」
「なに。怪我はしておらぬのか」
「はい。すんでのところで賈ク様に助けていただきました。ただまだ戦に慣れていないからでしょうか、夏侯覇殿の戦い方には少し危うさを感じます」
「ふむ、気を付けておこう。・・・さて、お主、誰ぞの妻になるつもりはないか?」
「え? 妻・・・ですか?」





 突然の一言に頬を赤らめるでも狼狽えるわけでもなく、ただぽかんとしているだけのに不安を覚える。
やはりこの子は愛だの恋だのといった男女の関係がわかっていないのではないか。
当時の郭嘉の教えはには過ぎたもので、逆に理解できなかったのではないのか。
返答がないことに焦りを覚え、もう一度同じ質問を繰り返す。
するとは小さく笑った後ようやく口を開いた。





「武芸以外に取り柄もない私が妻に・・・。考えたこともありませんでした」
「好いた男もおらぬのか。我が軍にもそれなりの男は揃っておるはずだが」
「好いた男・・・」




 優しく、たくましく、戦場では誰よりも派手で勇ましい男を思い浮かべ、はぶんぶんと首を横に振った。
赤壁で言葉を交わし合肥ではわずかな時間だったが共に戦場を駆けたあの将軍のことは、考えると少しだけ切ない気分になる。
忘れてしまうことはできないが、彼と共にいて共に見たことは忘れなければならない思い出だ。
以前は間違いなく憧れていた、今も彼の戦い様には見惚れてしまう。
だがそれは今口に出すべきことではないし、ここで言っていいことでもない。
いませんとばっさりと答えたは、それでは困るのだと曹操と程昱に詰め寄られえっと声を上げた。





「楽進や李典とはよく会うておろう。あやつらはどうなのだ」
「ああ、そういえば先日は楽進と買い物に行った際に夫婦と間違えられました。もちろん違いますし、互いにそうなる予定もありません」
「では李典はどうじゃ」
「えええ・・・」




 主に向かって不敬この上ないが、今日の曹操はおかしい。
突然妻だの好いた男だのと、今まで一度もそういった話をしてこなかったのに急に訊いてくるとは本当に意味がわからない。
しかも程昱も一緒になって言い寄ってくるのだ。
軍師が絡んでいる以上話には裏があるというのは、賈クの元で嫌というほど学んだ苦い教訓だ。
ひょっとして、夏侯覇に敗れかけたことで兵としての自身の能力に見切りをつけたのだろうか。
やんわりと戦力外通告をしているのだろうか。
確かに男たちと比べれば体力が劣るが、それを補うよう敏捷性を高め奇襲に特化するなどこちらも励んできた。
まさか賈クも前線で戦うには力不足だと思い、だから最近は執拗に副官になるよう迫っているのだろうか。
歴戦の勇士である李典も三食昼寝つきで来いなどとおよそ兵らしくない条件で勧誘していたし、つまりはそういうことなのだろう。
急に自分の居場所がなくなったような気分になり、は明らかに落ち込んだ表情で曹操を仰ぎ見た。





「実はお主に縁談が届いておる、そやつはかねてよりお主を気にかけておって、まあ、悪い奴ではないとわしが保証しよう」
「私は縁談を持ち込まれるような家の出ではありません。それに、私はまだ戦えます!」
「うむ、それはわかっておる。お主の力は我が軍にはなくてはならぬもの。しかし、わしはお主にまっとうな人生を歩んでほしくもある」
「今もまっとうに生きています」
「無論じゃ。しかしな、わしはお主のことを本当の娘のように思っておるし、可愛がっておるつもりじゃ。程昱も子孝も、夏侯惇とてそうじゃ。
 娘には幸せになってほしいと当然ながら思う親の気持ちもわかってくれい」





 会うだけでいいから会ってほしい、頼む。
そこまで言われ父親同然の男から頭を下げられれば、断ることなどできようはずがない。
曹操が言っていることはよくわかる。
彼は長江の燃えゆく戦場で可愛い娘を亡くしている。
死に様も見届けられず、亡骸すら見送ることができず別れを余儀なくされている。
孫権軍によって殺されたということになっている。
だから尚更、何の後ろ盾もなく前線で戦うしか能のない、何の血縁関係もないこちらにも目をかけてくれている。
愛されていることには素直に嬉しいと思う。
望んでも得ることができるかどうかわからない大切な人々からの思いだ、無下にすることはできない。





「会ってどうしたいかはが決めて良い。ただ、老いゆくわしらの思いも汲んでやってくれ・・・」





 老獪な大人はずるいと思う。
は渋々絞り出した受託の言葉を聞きにんまりを笑みを浮かべた曹操と程昱に、策に嵌ったと悟った。







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