Please see more of me, my love!







 行けと言われたらどこへだって戦いに行く、それが兵卒の務めだ。
たとえそこが激戦の真っ只中であろうと、命令であれば動くのが仕事だ。
孫権軍が侵攻中、望むところだ。
守将張遼や李典、楽進たちの援護へ行け、仰せのままに。
孫権軍とは赤壁以来の戦争だ。
思うように荊州を手に入れることができなかった孫権が大挙して合肥の地へ押し寄せてきたらしい。
報告は軍議でも聞いていたし、賈クから直接聞かされてもいた。
上官の職務上、おそらく救援に向かうとも予測していた。
だからこそ声を大にして異を唱えているのだ。
私を従軍しないのはおかしいと、辛気臭い顔に詰め寄っているのだ。




「私だけ留守を預かる理由がわかりかねます」
「命令だ・・・と言って下がらないからこうされてるってところかい」
「先の戦での怪我を危うんでおられるのでしたらご心配には及びません」
「俺としちゃあんたをまだ前線に出すのはどうかと思ってね」





 あれがあったから、まさかもうないとは思うがやはり怖い。
誰のおかげか今のは以前の危うさとは見違えるほどに安定した精神の持ち主になったが、それでも案じてしまうのはなんとかの弱味だ。
にはどうにもしおらしさが足りない。
柔らかさというか穏やかさというかそうだ、女らしさだ。
およそ女性らしさのない彼女に惹かれてしまったこちらも相当におかしいと思うが、この辺りもなんとかの弱味なのだろう。
賈クはやれやれと大げさにため息を吐くと、行くだけと告げた。




「わかった、俺はあんたも連れて行く。でも戦場では今みたいに反抗しないでちゃんと俺の命令を聞いてくれ」
「状況によります」
「状況を見極めて指示を出すのが軍師の務めってやつだ」





 1本どころか2本も3本も釘を刺しておかなければ、はまたどこかへ行ってしまう。
賈クは安堵の表情を浮かべているに不安を抱いた。










































 賈クから指示を受けたが合肥の張遼たちの元へ辿り着いたのは、孫権軍が侵攻しているまさにその時だった。
大軍を擁して攻め込んできた孫権軍に警戒し、苦肉の策としてを先に伝令に走らせていた。
ようやく賈クもこちらを信用するつもりになったらしい。
は敵の目を掻い潜り城へ入場すると、言い争う2人を前に眉を潜めた。






「打って出ねば事態は好転せぬ!」
「今は援軍が来るまで守りを固めるってわかんないかね!?」
「張遼様、李典様・・・?」




 普段温厚な2人が争うのは珍しい。
元々李典は張遼に対して冷ややかだったが、今日ほど感情を爆発させていることは今までなかった。
は2人の間でなんとか制止しようと試みている楽進に歩み寄ると、あのうと小さく声をかけた。
駄目だ、聞こえていない。





「そんなに行きたきゃあんた1人で勝手にすればいい!」
「・・・では、そうさせていただく」
「お待ちください2人とも! 今は我らが争っている場合ではありません!」
「そうです、落ち着いて下さい」





 ともすれば殺し合いでも始めかねない上官3人の前で声を上げるのは躊躇ったが、このまま放ってはおけない。
張遼たちは突然の4人目の声にはっと我に返ると、の姿を認め顔を見合わせた。




「・・・なぜそなたがここにいる?」
「賈ク様より先に行けとの命を仰せつかり、本隊より一足先に参上しました」
「てことは援軍はもうすぐ来るってことか?」
「はい、賈ク様からの「それ聞いたか! あんたは間違ってんだよ!」・・・」
「・・・、援軍の到着にはいかほどかかるのか?」
「間もなくと申しておりました」
「では、その間に不測の事態が起こればどうする? やはり私は打って出る、今は少しでも敵の数を減らしておくべきだ」
「張遼様・・・」





 張遼にとってこの戦いは特別なものなのだろう。
曹操軍へ降ってから初めて大将を任された、後には引けない重要な戦だ。
同じく留守を預かっている李典と楽進はも幼い頃から知っている古参の将だが、だからこそ新参者の張遼を快く思っていないのかもしれない。
これでは張遼もやりにくかろう。
そう何度も何度も李典に詰め寄られては、ろくに守備の策も思いつくまい。





「・・・私は戦わねばならぬのだ・・・」
「張遼様、あなたはもしやあの方のことを・・・」
「だーかーらー戦い方にも方法があるって言ってんだよ。おい、お前もこの単細胞にがつんと言ってやれ!」
「・・・わかりました、私もお供します」
「「!?」」




 同じだと思うことはおこがましいかもしれない。
しかし、今の張遼は現実を見ているようで見切っていない不安定な状態だ。
つい先日まで自分も似たような状況だったから、張遼の危うさは少なくとも李典よりはわかっているつもりだ。
張遼もまた、今は亡き人を想い追いかけ続けている。
はそう感じると、きゅんと悲しくなり目を伏せた。





「な、な、何言ってんだよ。どうしてあんたはこいつなんざに就いてくんだよ! 大体賈ク殿の伝令役は・・・!」
「伝令ならば先程お伝えしたことがすべてです。よって私の役目は終わっています」
「だとしてもだ! 駄目だ、は行くな、行けば死ぬ!」
「大丈夫です、死にません」
「大丈夫なものか! そもそもなんでこんな奴の味方なんてするんだよ、こいつは俺の伯父貴を・・・!」
「・・・・・・乱世においてはあり得ぬことではありません。・・・張遼殿は我々の心強い味方です」
! 俺は、お前を!」





 仇を味方だと言い切れるようになるには、相当の時間と覚悟が必要だ。
今のこの短い時間の中で李典を翻意させることは不可能だし、端から期待もしていない。
戦場に恩讐を持ち込んではいけないのだ。
は必死の形相で引き留めようとする李典に背を向けると、まさに馬に跨った張遼に続き馬に飛び乗った。





「・・・私について来ると敵を増やすことになるぞ」
「味方に敵はおりません。・・・張遼様、張遼様は、今でもあの方のことを、その・・・」
「どうやら私はまだ、そなたのように割り切れぬらしい。私はあの方を殿から、・・・私から奪い亡き者としたかの国を、決して許さぬ」






 『あの方』は、本当に死んだのだろうか。
処刑されたという噂も流れてこないし、そもそも、彼女の姿を間近で見た者は誰もいない。
もしも、もしも何かがあって生きていたら彼はどうするのだろうか。
連れ戻したいと当然思うだろう、今の張遼の心境ならば間違いなく。
世の中には様々な最悪の事態がある。
敵だった者がある日突然味方になることもあれば、逆もまたしかりだ。
張遼はこのまま人でなくなってしまうのだろうか。
張遼ら迅雷の騎馬隊に遅れじと馬を走らせたは、崖の上の茂みの中から見下ろした光景に目を見張った。
賈クはこんなことは一言も教えてくれなかった。
こちらとてまさか森を抜けたら敵本陣の真上に現れるとは思っていなかったし、張遼の目指す先がここだとも思っていなかった。
かなり自陣から離れたことは感じていたが、たったこれだけの数で孫権を奇襲するとは予想できなかった。

じっと見下ろしているとふと声をかけられ、は慌てて張遼を顧みた。






「腕に覚えがなければここへ留まっていろ。我らはこれより、孫権の首を取る」
「・・・・・・本当に行かれるのですか」
「何のためにここへ来たと思っている。李典殿や楽進殿と決裂してまでここへ来たのは、すべては憎き孫権の首を取るがため」
「・・・・・・」
「・・・行くぞ!」





 の返答を待たずして、張遼軍が孫権軍本陣へ一斉に奇襲をかける。
形成は圧倒的で、奇襲を見抜くことができなかった孫権軍があっという間に蹴散らされ散り散りになる。
ひときわ大きな白馬に乗った将―――おそらくは孫権に向かって張遼が突撃している。
もしかしたら本当に、彼は孫権の首を取ってしまうかもしれない。
その時をしっかり目に焼き付けようとしたは、視界の隅できらりと光ったものに気が付いた。
何だろうと思った瞬間、本陣が大火に包まれ全容が見えなくなる。
燃える陣から孫権が飛び出してきたのは見届けることができたが、追ってくるはずの張遼はいつまでも出てこない。
彼の手勢は炎の外へ脱出し追撃を始めたが、やはり張遼の姿はない。
炎の中でいったい何が起こったのだろうか。
たまらずは崖下へ飛び降り、陣へと走った。
燃え盛る砦に躊躇するが、張遼の無事を確かめたくて見つけたわずかな隙間に身を潜め侵入する。
もしも本当は奇襲を見透かされていて、彼のみ罠に陥ってしまっているのならば何としてでも助けたい。
張遼を喪ってしまうのはとても怖い。
それは、曹操がいなくなってしまうのとは少し違う怖さだった。
にとって張遼は憧れの大切な人だった。
だからついてきたのだ、彼よりも古い仲の李典たちに反抗してまで。
あれだけ賈クにも反抗するなと釘を刺されていたのに、釘をすべて抜き取って張遼に従ったのだ。
は幕舎の影から張遼を探した。
すぐに見つかり安堵し、次いで彼と相対している者を見据える。
目を疑った。
張遼の目に前には敵ではない敵がいる。
ちらとしか見たことがないが、立ち姿がそっくりな人物が張遼に向かって剣を構えている。





「・・・生きて、た・・・・・・?」





 思わず呟き、はっと口を手で押さえる。
今見つかっては決していけない、そう心が告げていた。
炎の爆ぜる音に混じり、張遼の声が聞こえてくる。
やはり敵はあの人なのだとは確信した。
このまま張遼と共に国へ帰ってくれればきっと、たぶん、誰もが安堵し喜びに浸れる。
は2人のやり取りに耳を澄ませた。






「私は・・・愛しているのです、今でもなお。無論・・・・が私のことをどうとも思っておられ・・・す。しかしこうしてお会い・・・の元へお連れしたい」
「それがわたくしの望まぬ・・・・・・しょうか」
「あなたは! 曹操様の!」
「わたくしそのものを必要として下さる方がここにいらっしゃるのです!」





 途切れ途切れにしか聞こえないが、揉めているらしい。
そうなるだろうとうっすら感じていた自分がいた。
敵軍の総大将の身内が生き残っているのには、張遼と揉めるだけの理由があるからだろうと思っていた。
には愛や恋はよくわからない。
張遼のような歴戦の猛将がなぜ姫君を愛するようになったのかもさっぱり見当がつかない。
張遼はどうするのだろうか。
2人が戦えば張遼に軍配が上がる。
しかし、無理に連れ帰っても張遼が愛されることはない。
ごおと音がして、は慌てて幕舎から離れた。
炎の勢いは留まるところを知らず、身を隠す場所も少なくなりつつある。
はやむを得ず潜伏場所を変えると、再び張遼たちを見つめようとして断念した。
炎と瓦礫で視界が利かず、声もあまり聞こえない。
くぐもった声とやめてと時折聞こえる甲高い悲鳴だけでは、2人の間で何が行われているのかわからない。
わからないはずなのに、悲鳴を聞くととてもぞっとした。
死の恐怖ではない別の恐ろしさに苛まれ、いよいよ張遼が人でなくなっているような気分にさえ陥った。
これ以上悲鳴を聞きたくなくて耳を塞ごうとした直前、男の低い声が飛び込んできては身構えた。
まったく気付かなかった。
張遼のことしか考えていなかった自身を恥じた。





「そなたが・・・拐したのか。あの方は私の妻となるべきお方、私のものだ」
「・・・・・・は物じゃないっての!」




 煙の向こうから刃を交える激しい音が響き渡る。
どうやら彼女が今なお敵地で生き永らえている原因がやって来たらしく、争っているようだ。
今度は紛れもない敵だ、援護しなければならない。
は足元に打ち棄てられていた弓に矢をつがえると、せわしなく動き回る真紅の戦袍に狙いを定めた。
弓が不得手というわけではないが、視界不良と相手の素早さに翻弄され思うように狙えない。
煙が途切れたわずかな間にちらりと見えた3人の姿に、は頭を鈍器で殴られたような痛みと空しさを覚えた。
あれでは、誰も喜べない。
信じられないが、目に入ったあれが真実だとしたら敵将も、姫も、張遼も誰も幸せにはなれない。
できない、とはぽつりと呟いた。
仮に男を倒し張遼が彼女を連れ帰ることができたとしても、張遼は人には戻れない。
張遼の喪失感は満たされないだろうし、きっともっと悲しくて酷いことが起こる。
そんなのは嫌だった。
が本当に帰って来てほしいのはろくに知らない同じ国の遠い世界の姫君ではなく、張遼だった。
だから男を射ることはできない。
たとえ任務放棄と詰られても、矢を放ちたくなかった。
生まれて初めて曹操軍を裏切ってしまった。





「ごめんなさい、申し訳ありません張遼様、曹操様・・・」





 これでいいのだと言い聞かせ、燃え落ちる陣から脱出する。
程なくして現れた張遼は、単身だった。








































 処罰してくれと言われても、何に対して謝罪しているのかそもそもわからない。
勝手に張遼について進軍したことならばもう窘めたし、結果として成功したから叱るようなことはない。
確かに入城した合肥城にがいなかった時はそれなりに驚いたし李典からは理不尽な怒りをぶつけられもしたが、憎まれ役は慣れているのでどうということはない。
賈クはしゅんと落ち込んでいるを宛がわれている幕舎に招き入れると、どうしたと問いかけた。
これでも一応上官なのだ、部下の異変くらいすぐにわかる。
上官でなくてもに関する異変ならばなんでもわかる気がする。





「・・・張遼様と殿を裏切ってしまいました」
「はあ?」
「進軍した先で、張遼様と殿にとってとても大切な方を見ました。・・・ご存知ですか? 張遼様と姫君のこと」
「赤壁の時は血相変えてそりゃあ恐ろしかったらしい。もっとも俺はあんたのことでいっぱいだったからわからないけど。・・・で、まさか見たってのは亡霊じゃなくて?」
「本物です。生きていました。そして、逃がしました」
「んー・・・・・・、どうやら訳ありみたいだ。だがそれとあんたの裏切りの関係がわからないね」





 誰にも言わないで下さいと前置きしぽつぽつと語り出したの話は、とてもではないが信じがたいものだった。
そもそもあれで生きていたというのも不思議だし、帰ろうとするどころか張遼と戦ったというのもあり得なかった。
彼女が国に不満を持っていたとは考えにくい。
たった数年で故郷よりも敵国を選んでしまうとは、女心とはかくに難解なものだったのか。
殺せなかったんです、殺したくなかったのです。
はそう呟くと、小さく息を吐いた。





「張遼様があの方を手に入れることに耐えられませんでした。男を殺せば姫は必ずこちらへ帰ってくる、そうせざるを得ない。けれども、それが嫌でした」
「それは殿らの意向とは違うな」
「だから私は殿を裏切りました。・・・姫には帰ってきてほしくなかった」
「あんた、姫と何があった?」
「何もありません。・・・けれども羨ましかった、張遼様に見ていただけるあの方が本当に羨ましかった。姫君だからと割り切っていても、です」





 今頃敵地へ戻った彼女は何をしているのだろうか。
いや、今の彼女にとっては江南の地が安息の地で、故郷が敵国なのかもしれない。
戦いは誰も報われない。
張遼には先日のことは話していないし、その間にいたことを気付かれてもいない。
張遼にとってという人物はその程度の存在なのだ。
こんなに考えているのに、だ。





「私は自分が正しいことをしたとは思えません」
「俺は少し安心したがね」
「え?」
「そりゃ連れ帰すのが国にとっては一番だったろうけど、敵もおいそれと渡しゃしないだろう。
 少なくとも俺があんたを浚ってきてまで愛おしく思ってて守りたいって立場だったら命に代えてでもそうしてたさ、他の奴に取られること以上の屈辱はない」
「ですが・・・」
「相手が張遼殿だったっていうのと俺の言葉を受け流すのは気になるけど、あんたはちゃんと生きてる。
 焼き餅や憧れを思うのは生きてる証拠だから、俺はあんたは感情を全うに出せるようになったことは嬉しい」
「そうでしょうか・・・? でも私はやはり!」
「それよりも、そこで会ったこと見たことはあんたの口からは何も言わない方がいい。これは命令だ、絶対に破るな」
「・・・わかりました、他言しません」





 大切なことを話してくれるようになったのは、もいくらかこちらを信用するようになったということだ。
内容が大切な人のことだったのはいささかむっとしたが、に人を想う感情があったとわかっただけでも収穫はあった。
要はは張遼を慕っているのだ、本人たちはまったく気づいていないが。
気付かせたくないし、気付く前に翻意させたいとは思う。
が張遼を慕っても、彼がに思いを寄せることはまずない。
断言しても良かった。




「誰も報われない、誰も向き合ってないってことかい・・・。こりゃ厳しいこった」
「賈ク様?」
「いいや、こっちの話だ」





 次にもし自分が姫と出くわしたら、その時はきっと自分は相手を何としてでも張遼に渡すだろう。
には悪いが、それがこちらの生き残る道だ。
賈クは幕舎を後にしたを見送ると、密かに諜報部隊を呼んだ。








あとがき
凌統連載の『Please take my hand, princess!』を違うサイドで見せてみました。
ヒロインにとって姫君は、決して敵わない(無自覚の恋の)ライバルです。
この連載、片想いの人物しかいません。タイトルの和訳は先生に訊いて下さい。



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