宿泊権争奪戦







 趙雲はよく働いてくれる。
趙雲は劉備からのありがたい言葉を受け、もったいないお言葉でございますと恐縮した。
劉備の人柄や心意気に惚れて、勝手に臣従しているだけなのだ。
趙雲にとって劉備とは、永遠の若英雄だった。





「私生活でも馬超の妹御と仲良くしているようであるし、私も趙雲の働きに報いるとしよう」
「いいえ殿、ありがたいお言葉ではありますが、お気遣いなどなさいませんよう」
「そういうわけにもいかぬ。そうだ、4,5日間ほど休みを与えよう。体を休めるなり殿と会うなり、ゆるりと時間を過ごすがよい」





 それにしても本当に彼女は面白い娘だなと朗らかに笑う主君を前に、趙雲は恥ずかしさと嬉しさから、紅くなった顔を俯けてしまうのだった。




















































 は、馬岱から懇々と良家の子女たる者の心得を説かれていた。
馬岱は極めて真面目に話してくれているのだろうが、にとってはつまらないことこの上ない時間である。
大体、年頃の娘を致し方なかったとはいえ散々戦場に連れ回した時点で、もはや普通の娘とは違うのだ。
今更花を活け詩文を嗜み甲斐甲斐しく夫に仕えるなど、できるはずがなかった。
特技は馬術、これはこれでいいではないか。
は馬岱の話を半分聞き流しながら、次に趙雲と逢った時に何をするか計画を練り始めた。
休日とはいっても日頃の激務から解放されたばかりで疲れきっている趙雲だ。
あまり体に負担をかけるようなことはしたくない。
今度肉まんでも作って食べてもらおうか。
は最近になってようやく上手く蒸せるようになった肉まんを趙雲に提供することに決めた。
幸いにして、見た目はともかく味はいいのだ。






「・・・聞いていますか、
「うんうん」
「返事は一度、そして『はい』です。まったく・・・、今のままでいいと思っているんですか?」
「じゃあ女官としてお勤めさせればいいじゃない。良家や豪族の娘はそうしてるって聞いたんだけど」
「女に飢えている男どもの中に可愛い可愛いを放り込めるわけがないでしょう!」





 じゃあ岱兄上は何をさせたいんだと言いかけ、は慌てて口を噤んだ。
淑やかにさせようとしてみたり、世間に出ることを拒んだりと忙しい人だ。
彼なりの様々な考えがあるのだろうが、とりあえず自分のためを思ってくれてはいるのだろう。
ただ、こういった話をする時にどうして我が兄は出てこないのだろう。
兄が出てきたからといって何か好転するはずはないのだが、馬岱に教育を一任していても、まともな娘には育たない気がする。





「いいですか、女官になって働くというのは案外恐ろしいのです。女たちの醜い争いには巻き込まれるし、将来の見込みがない連中に目をかけられたらどうするんですか」
「私には趙雲殿がいるもん。それに岱兄上、自分が綺麗な人取っ替え引っ替えできるからって、他の人たちのこと悪く言いすぎ」
「こちらに移ってからは、そんなことやってません!」




 叩けばいくらでも埃が出てきそうな従兄と対峙していたは、使用人から趙雲の来訪を聞き顔を輝かせた。
まだ話は終わっていないと声を上げる馬岱を無視して、趙雲の元へと急ぐ。
日も高い時間の来訪は珍しかった。
もしかして急にどこかへ戦闘に行くことになったのだろうか。
だったら笑って見送らなくちゃ。
は客間に飛び込むと、にこやかな笑みで出迎えた趙雲の向かいに腰掛けた。





「どうしたんですかこんな時間に。私びっくりしちゃいました」
「急に休みをいただいたのだ。今日から4日間ほど暇なのだ」
「ほんとに急ですねぇ」





 我がことのように喜んでいるを見て、趙雲は決心した。
せっかく殿から頂いた休日だ。有意義に、そして悔いなく過ごさなければ殿の思いを無駄にしてしまう。
これを切り出すのにはかなりの度胸が必要だが趙子龍、恥じらいなどに負けるわけにはいかない。






・・・、明日、私の家に泊まりに来ないか・・・?」
「・・・え」
「いや、不安がらなくていい! ・・・たまには2人で静かに月でも眺めたいと・・・」
「子龍殿が月・・・。ちょっと意外ですけど、なんだか楽しそうです!」





 行きますと満面の笑みで即答され、趙雲はほっと胸を撫で下ろした。
断られたらどうしようかと思っていた。
別に泊まる必要はないのではと反論されていたら、返す言葉がなかった。
下手に警戒されていなくて本当に良かった。
全く無防備でいられるのも困るが、警戒されて悲しい気分になるよりもましだろう。





「兄上たちはちゃんとしっかり説得しときますんで、子龍殿はそこは気にしないで下さいね!」
「・・・馬超殿たちは猛反対するだろうな・・・」
「決闘ものだと思いますけど大丈夫です! 私に任せて下さい!」





 根拠はともかく自信ありげに宣言したにどうにも安心しきれない趙雲だったが案の定、間もなく彼の自宅には果たし状が投げ込まれた。
恋人を信じていないわけではなかった。
ただ、妹のことになると視野ががくりと狭まる馬超を、説得だけで止めることはできないだろうと危惧はしていた。
果たし状に示されたいつもの草原に出ると、すでに到着していた馬家の面々が騒いでいる。
みとめろみとめるものかとぎゃあぎゃあと騒いでいる馬超とから少し離れた所には、座り込んで静かに弓矢の点検をしている馬岱がいる。
・・・ちょっと待て、あの矢尻は全部緑やら紫やらと毒々しい色をしていないか。
まさか本気で毒矢を放つつもりなのか。
顔を上げた馬岱と目が合った趙雲は、矢を片手ににっこりと美しく微笑みかけられ冷や汗が流れた。
あの目は隙あらば殺そうとしている暗殺者の目だ。





「あっ、子龍殿!」

「あーはいはい。趙雲殿ごめんなさい、説得に失敗しました」
「・・・そんな予感はしていたが」
「そうなんですか!? さすが趙雲殿、兄上の行動くらいお見通しなんですね!」





 頼むからいちいち馬超の感情を逆撫でするようなことを言わないでくれ殿。
趙雲はの隣で鬼のような形相で立っている馬超を見つめた。
将軍としても友としてもいい奴なのだが、恋人の兄となると途端に面倒になる男である。
逢瀬が見つかるたびに決闘という名の一騎打ちの練習をして、いい加減双方とも同一人物との手合わせに飽きてきたはずである。
申し込む馬超も馬超だが、受ける自分にも問題があるのだろう。
趙雲と馬超は互いの得物を手にすると、草原の中央へと歩を進めた。





「・・・馬超殿、とりあえず馬岱殿に毒矢はやめるようにと伝えておいてくれ」
「・・・道理であいつ、トリカブトがどうとかと言っていたのか。すまんな趙雲殿、岱は趙雲殿に相当根深い恨みがあるらしい」
「・・・心当たりはあるし、私にも非はあるのだが・・・」





 趙雲と馬超は、馬岱が弓を仕舞ったのを確認すると身構えた。
毎度のように繰り広げれられる戦いだが、回避しようと思ったことはなかった。
果たし状を叩きつけられないのが本来最も望ましい形であるとはわかっている。
しかし、一度申し込まれた以上は誠意をもって受けて立つと決めていた。
後ろめたいことなどなしに、堂々とと付き合いたいからである。





「私が勝ったら殿を2日間ほどお借りしよう。・・・何も取って食うわけではないのだから、大目に見てくれてもいいというのに・・・」
「俺が勝ったら泊まりはなしだ。別に趙雲殿を信じていないわけではないが、婚前の男女が一つ屋根の下で暮らすなど許せん」





 勇ましい掛け声を上げ戦い始めた2人を応援するのも、そろそろ恒例となりつつある。
せっかくの休みだというのに、兄のおかげで1日潰れてしまった。
それすらも兄の策略なのかもしれない。
いくら反対しても意味がないとわかっているのだから、とっとと諦めてくれればいいものを。





「勝負あったな、馬超殿!」




 高々と勝利宣言を趙雲がする。
彼の足元で項垂れている兄に一瞥をくれると、は趙雲の胸に勢い良く飛び込んだのだった。












































 夜空に浮かぶ月を並んで見上げる。
1人で見る月も美しいが、大好きな人と見る月もなんと美しいのだろう。
月や花を愛でるような風流な趣味は持ち合わせていないが、は今見ている月がこれまで見てきたどんな月よりも美しいと確信した。
それにしても、愛する人を実力行使で攫ってくるとは、趙雲もなかなか粋なことを毎回演出してくれるものである。






「子龍殿、お疲れじゃありませんか?」
が傍にいれば、どんな傷も疲れもすぐに癒えるというものだ」
「子龍殿、今日はすごくお口が上手」





 決闘に負け潔く身を引いた馬超は、文句を言いながらも楽しんでこいと言ってくれた。
初めからそう言ってくれれば余計な労力を使わなくて済むのに。
そうがぼやくと、趙雲は苦笑して彼女の頭を撫でた。





「可愛い妹を男の元へやるのが心配なのだ。馬超殿の気持ちもよくわかる。ただ・・・」
「ただ?」
「今日は、馬超殿のことも忘れてゆっくり過ごそうか」
「・・・そうですね。私、今日は子龍殿のことしか考えられません!」





 元気良く返答し寄り添ってきた柔らかな体の温もりを感じ、趙雲は笑顔で月を見上げた。








あとがき
お泊りの内容はメインじゃないよ! 今回のメインは、男と男の熱く滾るぶつかりあい。
時間軸としては、白馬シリーズの第2弾が終わってちょっとした頃です。
私の中の馬岱がどんどん危ない人になりつつあります。




分岐に戻る