公主様の秘め事     4







 行き交う女性たちが振り返っては頬を紅く染める。
凌統は生まれてこの方、これほどまでに女性の熱烈な視線を集めたことはなかった。
もっとも、このような現象になっているのは隣を颯爽と歩く美周朗のおかげなのだが。



「やっぱりまずいですよ、帰りましょう」
「見たところ守備の兵も少ないようだ。なに、人混みに紛れればわかるまい」
「大胆なのかそうでないのかわかんなくなってきましたよ・・・」




 凌統は悠々と市場を観察する周瑜を見て苦笑した。
いつもと変わらず偵察兼との逢瀬に出かけようとした自分を呼び止めたかと思えば、共に行くである。
目立つ容姿をしているのだから控えた方が良いと言ったものの強引について来て、凌統はそれなりに不安だった。



「凌統、君の行いに不安があるからではないのだ」
「それを聞くとほっとはしますけどねぇ・・・」





 凌統は無意識のうちに廃屋へと向かっていたと気付き足を止めた。
流石に周瑜を連れてあそこに行くのはまずいと思った。
を見せたくもなかったし、女と逢っていると知っては周瑜もいい顔はすまい。
今日はと会えないのかと寂しく重い、足を廃屋とは別の方向へと向ける。
しかし、待てと言う周瑜の声に止められた。
どうかしたんですかと彼の視線の先を見て目を見開いた。
逢いたくてたまらなかったが、じっとこちらを見つめていたのだ。
不思議そうな顔をして小首を傾げている。
他人のふりをするわけにはいかなかったし、したくもなかった。
凌統は軽く片手を上げた。
するともにこりと笑って頭を下げてきた.
いつ見てもきちんと礼儀の行き届いた娘である。





「彼女が楽しみの原因かな?」
「・・・ま、そんなとこですかね。可愛いでしょ、仲良くなっちゃって」
「素性などを明かしてはいないだろうな」
「当然。彼女の前じゃ俺はただの旅人ですし」
「そうか。ならば私も旅人仲間ということで挨拶しておこう」





 周瑜はそう言うと凌統の戸惑いや制止も聞かずにに歩み寄った。
見知らぬ美丈夫に見つめられたは思わず後退した。
なんというか、彼が怖いわけではないが身構えてしまいそうになる。
彼のどこがそうさせるのかはわからない。
しかし、親しくすることに心が警鐘を鳴らしている、そんな気がした。




「初めてお目にかかる。私は彼の旅仲間で公瑾という者だ」
「公績様の旅仲間の方でございましたか。申し遅れました、わたくしはと申します」
「彼と親しくしているとか。見てのとおり軽薄な男だが、迷惑をかけてはいないだろうか」
「その言い方はあんまりでしょう」




 言いたい放題に吹き込み始めた周瑜を慌てて止める。
彼女にはかっこいいところだけを見せていたののだ。
余計なことを知ったがために嫌われたくなどなかった。
そうなってしまったら最後、周瑜を恨んでしまう。





「・・・公瑾様は公績様のご友人というよりも、目上の方のように伺えます」




 の一言に周瑜は一瞬目を細め、また笑いかけた。
ただの旅仲間のようには見えなかったのだろうが、上司部下の関係を疑ってくるとは。
柔らかな物腰と丁寧な言葉遣いをする生粋の令嬢には違いないが、人を見る目は肥えている。
洞察力があるということは彼女の将来においても役立ちはするだろう。
要はその目がこちらの真の目的を見つけなければいいのだ。
最悪の場合、彼女を闇へ葬らねばならないのだ。
と、そして誰よりも凌統のためにもそのような血生臭い事態は避けたかった。





、今日も俺に逢いに来てくれたのか?」
「はい、それもあるのですが・・・、確認してきてほしいと頼まれたので、今日はその用事で来たのです」
「へぇ。で、その用事はもう終わったのかい?」
「・・・はい」





 今朝荀彧に言われた用事だけは凌統にも言えなかった。
父に仕える者たちの中でも、ごく限られた人々と一族以外しか知りえぬことだった。
その確認はつい今しがた、廃屋で済ませてきた。
まさか、あんな所に城内と市街を結ぶ秘密の地下道があるとは思わなかった。
万一敵の襲来を受けた時、脱出手段として設けられた薄暗くて細長い道。
発展著しい許昌市街になぜぽつりと廃屋が放置されているのか。
廃屋は壊してはならない大切な出口だったのだ。
その事実を告げられたは1人焦ったものだった。
いつだったか箱が崩れて抱きとめられた時など、出口が顕わになりかけていた。
知らないうちに危険な綱渡りをしていたと知り、は会う場所を変えようと提案するつもりだった。
理由なんていくらでも作れる。
それにたとえ理由が嘘だったとしても、旅人である彼は嘘を嘘だと見抜けぬまま許昌を後にするかもしれない。
別れは寂しいが、家中の秘事を悟られることよりはましだった。





「公瑾様たちはいつごろ許昌をお発ちになるのですか?」
「そろそろ、といったところだろうか。残り短い間、公績と仲良くしてやってくれ」
・・・・・・、寂しく、なるな」
「はい・・・。・・・ですが公績様は旅のお方でございますゆえ、遠からず別れが来るであろうとは思っておりました・・・」





 思っていたはずだった。
ほんの数週間だけ市街で夢のような出来事を楽しんで、それからはまたいつもの生活に戻る。
官渡で見事な勝利を収め凱旋した父や異母兄たちを笑顔で迎え入れ、また詩を書いたりするのだ。
彼との出会いは心には残らない、けれども楽しかった思い出にするつもりだった。
それが難しくなったと感じるようになったのはいつからだろうか。
周瑜は俯いたままのと、彼女を思いやり寂しげに見つめている凌統から離れると軍の元へと歩き始めた。
密偵仕事の合間の楽しみが、いつの間にやらとても大切なかけがえのないひと時になっていたらしい。
遠からず未来孫策の手に収まるであろう許昌だが、2人さえ望めば離れ離れになる以外にも道はある。
それを示してやるのも悪くはないと独り言を呟きながら、周瑜は夕日に染まる許昌を後にしたのだった。







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