女狐の艶笑     10







 馬家を訪ねる時はいつも緊張する。
恋人の実家なのだから緊張を強いられるのは当然といえば当然のことなのだが、殺意を警戒しなければならないまでに緊張するものではないと思う。
背後から狙撃されんばかりの殺意を抱かせるに至った原因がこちらにあることはわかっている。
わかっているが、男には後には引けない時もあるのだ。
今回もその1つにあたる。
今日を逃したらもう、次は永遠にやって来ない。
今日が最初で最後の機会だった。
そうだとわかっているから尚更緊張する。
指の先、髪の先までのすべての動きを使用人にまでじっくりと観察されているようで、うっかり挙動不審になりそうだ。
ちょっとでも下手な動きを見せてみろ、お前なんかにうちの姫様をくれてやるものかと言われているようだ。




「・・・戦場よりも緊張するとはな・・・」
「子龍殿、ここはうちです。ちょっとおっかない人もいるけど、みんな根はいい大切な人たちです」
「すまない。・・・行くぞ、覚悟はいいか」
「はい。行きましょう、そして今日こそびしっと言ってやって下さい」




 恐れることは何もない。
駄目だと言われたその時は、想いが通じ合っていればそれでいいではないかと言ってやろう。
当人たちの意思が一番大事なのだ。
行こう、未来を奪いにいこう。
趙雲は意を決すると、魔王の待つ間へと足を踏み入れた。



























 妹御を妻として迎えることを許していただけないだろうかと叫び頭を下げたきり動かない趙雲を、馬超は静かに見下ろしていた。
ようやく来たか、この時が。
いつか来るとはわかっていたし、おそらくはその相手は武官だろうとも思っていた。
巴蜀の地を訪れて劉備軍に入り、趙雲と出会った時から漠然と予感はしていた。
と付き合い始めてからも趙雲は思っていた以上に良くも悪くも慎重で、そのおかげで今日まで縁談話がもつれたのだろうが。
趙雲はいい男だと思う。
仲間から裏切られたことに逆上しあっさりと故郷を失った短気な自分よりも大人で落ち着いた性格である趙雲は、自分とやや似たような性格を持つには過ぎた恋人だ。
なぜ趙雲がを気に入ったのかはわからない。
わからないまま2人の愛は深まっていたらしい。
深くなりすぎて沼にはまったこともあったが、それでも縁が切れなかったのは本当に愛し合っていたからなのだろう。
愛し合う2人の仲を引き裂くような野暮なことはしたくない。
やってしまって、愛する妹に嫌われるようなことにはなりたくない。
それに、一度は許す的なことを口にしたではないか。
今更何を躊躇う必要があるのだ。
妹をよろしく頼むと、その言葉を言うのにどれだけ戸惑っているのだ。
お前はそんな臆病者ではなかったぞ、馬孟起。
縁が切れるわけではないのだから、温かく速やかに送り出してやれ。





、本当に趙雲殿でいいんですか?」
「子龍殿がいいの。岱兄上だって一度は許してくれたじゃない」
「敵と味方の区別もつかないようなうっかりさんですよ、彼は」
「あれは本当にすまないと思っている・・・」
「ほら、子龍殿もそう言ってるんだからいいでしょもう。お願い兄上、私、子龍殿以外の人の妻になんかなりたくない」
「・・・確かに、お前のようなじゃじゃ馬娘をもらってくれるような奴は他にはいないだろうな・・・。趙雲殿、約束してほしい。これからはもう、を悲しませるようなことはしないと」
「約束する。彼女を、殿は私がこの身に代えてもお守りする」




 身に代えられてしまっては困るのだが、そういう生真面目なところにもは惚れたのだろう。
馬超は苦笑いを浮かべると、今度はへと向き直った。
今も昔もお転婆だが、人の妻になると少しは大人しくなったりするのだろうか。
嫁として出す以上は、ひととおりの作法は学ばせておきたい。
それが終わればいつだって送り出してやる。
馬家の娘として恥ずかしくない、立派な式を挙げてやる。
それが長年苦労ばかりさせてきた妹への最後の贈り物だ。




、お前は明日から真面目に花嫁修業に打ち込め。終わり次第、どこへなりとも嫁げ」
「兄上・・・! そんなの10日で終わらせてやるわ、私を見くびらないでよね」
「ほう、10日と言ったな? それは真か」
「女に二言はないわ。やってやろうじゃないの、ねぇ子龍殿!」
「・・・いや、10日は無理だろう。せめてひと月は励んでくれ、私は待っているから」
「良かったな。散々待たされたのだから今度は存分に焦らしてやれ。半年や1年も屁ではないと趙雲殿も言っている」
「そんなにかかるものなのか? 馬超殿、私は今の彼女が好きなのだ、あまり無茶はさせないでくれ」
「そうは言っても俺やにも意地がある。涼州の田舎娘とはもう言われたくない」




 だからひと月から半年だ。
待てるだろうと馬超に言われれば、趙雲としても待てないとは言えない。
趙雲の了承を取り付けた馬超は口元を緩めると、翌日から始まるかつてない難儀なものとなるであろう勉学の時間を思い
顔を蒼ざめさせているの頭へぽんと手を置いた。







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