女狐の艶笑     8







 馬鹿だなあと思う。
懐かしい旧友に会えて浮かれていたのは、珠蓉ではなくてこちらの方だったのかもしれない。
普段ならば怪しいと思ってしまうような行動の数々を見抜けなかったのは、友人だった彼女が自らの不利益になることはしないと高を括っていたからだった。
弱くてすぐに泣いていた珠蓉のままだと思い時の流れと変化を受け入れなかったから、こんな無様な失態を犯してしまったのだ。
劉備軍の一軍を預かる将ともあろう者が、まんまと敵の罠に嵌るとは。
しかもただの暗殺などではなく、程度の差こそあれ女色に溺れたが末の狙撃とは。
医師たちによる迅速かつ懸命の治療の甲斐あって一命は取り留めたが、あまりの不甲斐なさに趙雲は消え入りたい気分だった。
様々な人に会わせる顔がない。




「趙雲様、馬超様がお見えです」
「・・・お通ししてくれ」





 寝所へ現れた馬超が、趙雲の顔を見ると少しだけ口元を緩める。
加減はどうだと尋ねられたので大事ないと答えると、そうでなくてはならぬと言われ頭を叩かれた。
劉備や諸葛亮と顔を会わせるのも辛いが、馬超とは別の意味で気まずい。
可愛い妹そっちのけで他の女に走り、挙句殺されかけたなど、怒るか蔑むか呆れるかのどれかしかしないだろう。
もしかしたら3つすべてをぶつけてくるかもしれない。




「これを期に、慣れぬ女遊びは断つべきだな」
「面目ない・・・」
「なあに、相手は岱も絶賛するほどの美女だったのだ。趙雲殿が骨抜きになるのも致し方ない」
「・・・私はつくづく馬岱殿に嫌われることしかしないな。今回もまた・・・」
「そうだな。あいつも趙雲殿が憎いわけではないのだ。ただ、趙雲殿をに相応しい男にしようとあれなりに尽力しているだけなのだ」





 こちらのためを思って単身敵の巣に乗り込んだというのに逆に悪者扱いされ、馬岱の心中はどうなのだろうか。
傷ついたどころではないだろう。
今度こそ本気で殺したくなるほどに憎まれてしまったかもしれない。
良かれと思ってやったことが認められず、誤解されることほど辛いものはない。
まずい、いよいよもって崖っぷちだ。




「そうだ・・・、珠蓉は?」
「知らないのか? ・・・いや、気付かなかったのか?」
「何にだ?」
「岱の話によれば、倒れる直前にお前が払った剣撃で女を斬ったらしいのだが」
「私が? 珠蓉を?」
「すぐには死ななかったが致命傷でな、岱とが埋葬していた」





 確かに、倒れる直前に剣は薙いだし何かしらの重い手応えはあったが、まさか珠蓉を斬ったとは思わなかった。
そうか、この手で友を殺めてしまったのか。
形はどうであれ、親しくしていたかつての昔なじみを。
珠蓉がああなってしまった原因の一端は、今思えば自分にもある気がした。
人を疑うことを知らなかった純粋な珠蓉との約束を破ってしまったことが、すべての始まりだったのかもしれない。
聞き分けのいい子だし聡明でもあったから、わかってくれると思っていた。
だからすぐに珠蓉のことは、彼女と再会する時まで忘れていた。
自分にとっては当たり前のことが珠蓉にとってはそうではなくて、そのすれ違いが今回の事件を引き起こしてしまったのかもしれない。





「・・・珠蓉のこと、馬超殿たちは知っていたのだな・・・」
「趙雲殿にまとわりついていた女に嫉妬したが従者に素性を洗わせたのが始まりだ。ただの女にしてはきな臭かったので、軍師殿にも事情は話した」
「知らなかったのは私だけだったのか・・・」
「すまない。しばらく女を泳がせて、あちらから尻尾を出すのを待っていたのだが・・・」




 尻尾は、ひょっとしたらとっくに出ていたのかもしれない。
趙雲一人が気付かなかっただけで、馬超も誰もが気付いたから珠蓉の足取りを辿り、先回りすることができたのだろう。
どこまで使い物にならない男なのだろう。
少なくとも馬超よりは冷静で賢いという自負が音を立てて崩れ落ちてしまった。




は怒ったり慌てたりと大変だったぞ。趙雲殿の旧友とやらはとんだ女狐だとも騒いでいた」
「女狐・・・。そうだろうな、珠蓉はまさにそうだった・・・」
「とりあえずあいつが納得するまで謝れ。馬で踏み潰すとも言っていたぞ」
「その道は避けられない気がする」
「自覚があるなら尚更悪い。そもそも何なのだ、のようなどこからどう見ても可愛らしい恋人を持ちながら他の女に走るとは。俺も実は怒っている」
「本当に申し訳ない・・・」
「あれも父が側女に産ませた娘だから、妻は1人でなくてはならぬなどとは思っておらん。
 だがな、せめて恋人同士の付き合いをしている時くらいは他の女に現を抜かさないでくれ。妓女はともかく、普通の娘など言語道断だ」





 もっともな事を言われて、ぐうの音も出ない。
多少妹溺愛ゆえの偏見が入っていた気もするが、ほとんどは正しいので大人しく叱責を受けるしかない。
それにしても酷い叱られようだ。
馬超からのことでこれほどまでに親身に叱られたことはない。
まるで、仲を認めた上で今後の身の振り方を説諭されているようだ。





「兄上、そろそろ私に子龍殿譲って」
「ああわかった。怪我人を困らせるようなことは今はならんぞ」
「大丈夫、さすがに今日は何もしないから」




 馬兄妹の不穏な会話を耳にして、趙雲は気分が落ち込んだ。
これから何を言われるのだろう。
言われる前に、何と言って謝ればいいのだろう。
何を言っても許してもらえない気がする。
当たり前だ。あろうことか、も見ていたところで他の女と仲睦まじくしていたのだから。





「ということだ趙雲殿。くれぐれもに余計なことは言わずに、ひたすら謝ること」
「わかった・・・・・・」




 やはり、助け舟を出してはくれないのか。
趙雲は馬超と入れ替わりに入って来たを見つめ、とりあえず頭を下げた。







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