Please take my hand, princess!     終







 最悪だ。
絶対に心の中では笑われている。
凌統は、組み敷いたの真上で痛みに悶絶している己にほとほと嫌気が差していた。
痛くなるのは怪我だから仕方がない。
しかし、なぜ今なのだ。
が来る前はあれだけ落ち着いていたのに、なぜ今になって急に暴れだすのだ。
これは何かの戒め、呪いの類だろうか。
凌統は脇腹に手を添えるとうぅと呻いた。





「くそっ、なんだってこんな時に・・・!」
「公績殿、やはり安静になさった方がよろしいかと。早くお休みになられて下さいませ」
「やだね」
「公績殿」
「せっかくここまで来たんだ、今更引き返せないっての。もやっとその気になったんだし」
「わたくしは公績殿のお傍におります。このようなことになる日もまた訪れましょう」
「ほんとに?」
「・・・・・・公績殿のお体が回復された暁には、きっと」





 口から出まかせだろうがその場しのぎだろうが、こうでも言わない限り凌統は体を休めてはくれない。
咄嗟に判断した上での返答だったが、よくよく考えてみるととてつもなく恥ずかしい言葉だったように思えてくる。
これではまるで、凌統に抱かれるのを待っているようではないか。
なんとはしたない、向こうにいれば確実に咎められていた。
は恥じらいをなくした自身に少しだけ切なくなった。





「怪我はどうってことないんだ、たまたま痛くなっただけで」
「お怪我をなさっておいでなのですから痛いのは当たり前です。申し訳ございません、無理をさせてしまい・・・」
、余裕だね」
「え?」
「俺が元気だったら今頃はとっくに俺に抱かれてたのに余裕あるなって」
「そうでしょうか・・・」
「そうだよ。・・・生娘とは思えない肝の据わり方・・・」
「公績殿・・・、それほどまでにわたくしのことをお疑いに?」
「いや、違うっての。なんだか見てると頼もしくなってきて」





 どんな状況に置かれていても自身を見失わない鉄壁の理性を持つ恋人。
ちょっとしたことですぐに機嫌が変わるこちらとは大違いだ、
の心は揺れるということを知らないのかもしれない。
いつもどっしりゆったりと構えていて、慌てふためき我を失っているこちらを引き戻してくれる。
だから安心できるのだろう。
何があってもはここにいる、傍にいてくれると信じられるから。
凌統は寝台に横になると、枕元で不安げな表情を浮かべているの手を握り締めた。
今はこれ以上のことはできないが、柔らかな手を握っているだけで心地良い気分に浸れる。
ならばどこでも、なんでもいいのだ。
であることに意味があった。





「なぁ
「はい」
「俺、もっと強くなるよ。それで今度は怪我なんかこさえないでちゃんとを守れる男になる」
「あまり無理はなさらないで下さい。わたくしは公績殿のお傍に置いていただけるだけで幸せでございます」
は欲がないっての。俺なんかたくさんありすぎて困ってるくらいなのに」
「では、褒章をたくさん孫権殿より賜らねばなりませんね」
「今までもらった中で一番の褒美はだよ。後はそうだな、をうちに引き取って妻に迎えるお許しは欲しいね」
「まあ・・・」





 こちらとしても、じりじりといびり倒す遠戚の小姑からは早く離れたくて仕方がない。
は凌統の手を握り返すと、薬が効き始めうとうとと舟を漕ぎ始めた凌統に淡く微笑んだ。


































 心配してやって大損をした。
敵国から連れ去ったくらいに盲目的に愛し愛されている関係なのだから、初めから心配など無用だった。
そうだというのに余計なお節介をして、ますますもって憎たらしい。
陸遜は自身の執務室で微笑ましく語らっている同僚とその恋人にして同居人を苦々しい思いで見つめていた。
仲が良いのは結構だが、そういうことは余所でやっていただきたい。
少なくとも、恋い焦がれる女性に対して何の行動も起こせず悶々としている男の前ではやめてほしい。





「それでさ、その時甘寧の奴が呂蒙殿をぐわっと!」
「まあ、さぞや楽しい宴だったのでしょう」
「ただの馬鹿騒ぎの乱痴気騒ぎですよ。まったく、行儀が悪い」
「そういう軍師さんだってかなり飲んでべろんべろんになってたじゃないですか。誰ですか姫って」
「・・・私はそんなことを?」
「言ってましたよそりゃもう大声で。私も近いうちにあの姫君をどうとかって」
「・・・・・・忘れて下さい。あと、あなたのことではありませんから」
「はい、存じております」





 陸遜殿にもそのような方がいらしたのですねおめでとうございますと、まだ何もおめでたい展望を迎えていないにもかかわらず祝福するに思わず嫌味かと訊き返したくなる。
これだから幸せボケしている連中はいけない。
陸遜は心中でに毒づくと、先日の失態を深く恥じ入った。
相当胸に抑えがたい想いがあったのだろう。
いつもは密かに心の中で溜め込んでいる想いが、酒の勢いで溢れ出てしまったらしい。
酒に弱く口に締まりのない、だらしのない男だと思われてはいないかと気が気でなかった。






殿、陳情書を認めてほしいのですが」
「かしこまりました」
「ありがとうございます。では内容はいい加減殿から解放していただかなければ私は本気で決闘を挑みますので、早急に殿専用の執務室を用意して下さい、と。
 先日もお願いしたのですが、まったく聞き入れてもらえずにいまして」





 嫁でも何にでもなっていいから、とにかく早く幸せになって心安らかになりたいしなってほしい。
今度俺にも恋文書いてくれよ、書いたことがないゆえ恥ずかしゅうございますとまたもや仲睦まじく語り始めた凌統とに、陸遜は常備物の決闘状を突きつけた。









  ー完ー







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