秘め事は繰り返す




 その人物が戦っていた姿を見たことはない。
大層変わり者の公主で、さる戦では自室に大挙して押し寄せてきた敵兵もろとも部屋を灰にしたという話だけは聞いたことがある。
口さがない女官どもがいかにも好みような与太話だと相手にしていなかったが、確かに許昌城内の宮殿には炭の匂いが微かに漂っている部屋がある。
修繕はしたようだが、部屋の主だった公主が戦死を遂げてからは手入れされることもなくなったらしい。
愛読していたのか、あるいは亡き異母妹に文才豊かな兄たちが捧げたのかは定かではないが、詩集以外は何も置かれていない寂しい部屋だった。



殿、剣をこちらへ」
「いいえ司馬懿殿、ここはわたくしが」
「なんだ司馬懿、その女は! 貴様、この私が何者かわかった上での無礼か!」
「そなたは曹爽殿、ろくな才知も持たずただ徒に兵を喪い、享楽と贅の限りを尽くす愚かな男です」
「貴様、ただで済むと思っているのか! ええい、今すぐこの不敬な女を捕らえよ! いや、首を刎ねてしまえ!」
「不敬はそなたであろう!!」



 綺麗な一閃だった。戦い慣れている者の太刀捌きだった。
戦死したと思われるような修羅場を幾度も生き抜いてきた、ただの良家の子女が手習いで覚えたようなそれとは違う、人を殺せる太刀筋は確実に衛兵たちの筋を薙いだ。
曹爽にはこの戦い方はできないだろう。
が剣を構えたまま曹爽へと間合いを詰めると、曹爽は情けない声を上げへたり込んだ。



「きき貴様、何者だ! 司馬懿、貴様の仕業か!?」
「司馬懿殿は陛下にお仕えする忠実な臣でございます。一族でありながら、いや、傍系風情が陛下を蔑ろにし、己が帝になったとでも思い違いをしているのではありますまいか?」
殿、抑えられよ」
「そなたが陛下のために何をした、民のために何をした。国はそなたの欲を満たすためにあるのではない、世を平らかにし民のためにあると、なぜ気付けぬ? 気付けぬのなら、そなたが曹魏には最も不要よ」



 彼女の手を汚させるわけにはいかない。
これは、一部の臣下の専横を止められなかった我々の責任だ。
司馬懿は剣をそっと取り上げると、曹操の首筋へ切っ先を当てた。
貴様は、いや、お前、いや、まさか。
心当たる節にようやく気付いたのか、おもむろに狼狽えだした曹爽の口がわずかに開く。
誰にも呼ばせはしない、その言葉は。
公主。
そう呟かれることはなく、曹爽の首が高く宙を舞った。




彼女を慕っていいのは、今や私だけなのだ



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