プレゼントは木牛流馬に乗せて




 るんるんと踊るような軽やかな足取りで市場を覗くの背中を眺め、はああとため息を吐く。
初めて出会った時から頭が弱い所謂馬鹿だとは覚悟していたが、世間知らずも備えているとは思わなかった。
なんだかんだで丞相府に勤める一員だから、最低限の世事には通じていると信じていた。
彼女はこちらの期待を常に裏切る、応えてくれたことはない。
そして丞相も丞相だ。
自分が彼女を苦手としていると知ってなお彼女の相手をさせようとするとは、実は嫌われているのではないかと暗い気持ちになってしまいそうだ。


「ねえねえ姜維殿、どっちが似合うと思う?」
殿は丞相の真意を伺ったのか?」
「ううん。好きなの一式買っておいでってお小遣い貰っただけだから、仲睦まじい上司部下のひととき味わってるだけだけど。あっそれとも父娘かなあ、それはそれで照れちゃうなあ」



 それよりもそっちとこっち、どっちが似合うと思う?
ここ最近でも抜きんでてどうでもいい質問を投げかけられた姜維は、の両手にぶら下がる服を一瞥しどちらでもと答えた。
本当にどうでもいい。
知りたいのはどちらの色がにより似合うかではなく、を買い物に行かせた策の真意だ。
は単純にお小遣いをもらったと思っているようだが、断じてそんなはずはない。
特段秀でた働きをしているわけでもないに褒賞を与える理由がない。
何も気づいていない、知ろうともしないの能天気さを見ているだけで腹が立つ。
珍しくも北伐に従軍し戦場へ赴いたがやることが、兵站の管理でも兵器の点検でもなくお買い物。
しかもその供がこの自分。
買い物くらい殿でもひとりで行けるでしょうとはもちろん抗議した。
他にもやるべき務めがありますと食い下がると、今姜維が為すべきなのはの供ですと即答された。
丞相はを甘やかしすぎだ。
だからもつけ上がるのだ。
何が父娘みたいだ、丞相がこんな不肖の娘を持つわけがない。



「まあ私ならどっちも似合うしな・・・。月英様とおそろいぽいのにしようかな! あっそうだ、せっかくだから絵姿も描いてもらお。諸葛亮様に綺麗なとこ見てもらいたいけど忙しいかもしれないし。ねえ姜維殿、聞いてる?」
「聞いていない」
「どうして私にもわかる嘘つくの。もう少し私のこと先輩として敬ってみようとか思わない?」
「思わない。逆に訊きたいが、殿は自分が先輩として敬われるに値する人物だと思っていると?」
「そりゃ思ってないけど」



 思っていないのか、やっぱり。
なぜこんなにもこの人は向上心がないのだ、蜀のための心身を削って激務をこなしている丞相の役に少しでも立ちたいとは思わないのか。
蜀は小さな国だ、それは魏からやって来たからよくわかる。
人も少なく、産業も大国のそれほど豊かではない。
だから民の一人一人が懸命に毎日を生きている。
そうだというのにはどうだ、前線へ来てもヘラヘラとして何も成していない。
腑抜けている。
好きな物事にはとことん精力的に動くらしいが、描いてもらったらしい絵姿を手にひらひらと手を振っている。
腕の良い画家の手によって、笑顔のが描かれている。
生身のどころか、紙の中のにすら苛立ちが湧いてくる。
駄目だ、このままでは彼女にとんでもなく酷いことを言ってしまいそうだ。
言ってしまえばきっとでも傷ついてしまう。
彼女のことは得意ではないが、だからといって傷つけたいわけではない。



殿、私は急用を思い出したのでこれで失礼する」
「そうなの? 忙しいのに付き合ってくれてありがとう姜維殿」
殿。・・・殿ももう少し身の振り方を考えた方がいい。今のままの殿のことを私はあまり得意ではないと、思う」
「姜維殿ってほんとに正直だよね。ずっとその気持ち大事にしてね」



 諸葛亮様、見てくれるかなあ。
特段傷ついた様子もなく来た時と同じように軽やかな足取りで幕舎へと帰っていくの背中を、姜維は見ることができなかった。
























 今頃無事に届いただろうか。
届けられたものを見てあの男は、いったいどう思うだろう。
そもそもまだ覚えているのか、忘れられていたら不憫だとは思う。
取り戻したいと願われたところで、その願いを叶えてやるつもりは微塵もないのだが。
先日も小遣いを渡すなり笑顔で店へ飛び出して行って、強く逞しく健やかに育ってくれたことに安堵している。
北伐についていきたいとごねられた時はついに反抗期かと月英ともども身を固くしたが、少しでも一緒にいたいからと恥ずかしげもなく理由を答えてくれた。
老いた男を泣かせるのに長けた心優しい娘だ。
目をかけて育てた部下はあんなことになってしまったが、娘は三国一立派に育てたと自負している。
がどう思っているのかは知る由もないが。



「あれー諸葛亮様、こないだ買ってもらった服どこ仕舞いました? 葛籠に入れてたはずなんですけど」
「すみません、私としたことが曹魏へ送ってしまいました」
「え~大間違いじゃないですか! 最近いっぱい過激なお手紙送ってるのは知ってましたけど、どなたに?」
「司馬懿です」
「へえ! じゃあもしかして絵姿も入れちゃいました?」
「私は着飾ったをしかとこの目に焼き付けたので・・・。月英によく似た色味でした。大きくなりましたね、
「ですよねですよね! 姜維殿もどっちでも似合うって言ってくれたんですよ。にしてもあんなもの貰って、喜んでくれるかなあ」
「喜ばれても困りますが・・・」
「確かに! 私も困っちゃいます」



 お買い物の策の真意とやらはあったのだが、一応姜維に報告した方がいいのだろうか。
苦手としている相手に種明かしされるのは嫌かもしれない。
気になればそのうち訊きに来るだろう。
それにしても、手紙が駄目なら女物の服を送ろうという考えには驚いた。
送られた服捨てられちゃうのかな、もったいないなあ保管されてたらそれはそれで気持ち悪いけど!
は服の代わりとばかりに詰め込まれていた葛籠の中の書物の山をそっと撫でた。




「父上、なんで泣いてるんですかね。母上、何かしました?」「さあ、若い頃でも思い出したのではないかしら」



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