別れねば、出会えぬ幸と知りえども




 やはり、決心などしなければ良かったのだ。
人よりも生きることが不得手なこの身が新たな命を生み出したとしても、その命もまた生きるには難いのだ。
は病に侵された幼い我が子の溶けるように熱い額を撫で、深く息を吐いた。
今年もどうにか娘の生誕日を祝うことができた。
夫の曹操も忙しいであろう政務の合間を縫って訪ねてくれ、喜んでくれた。
やはりわしに似ておる、娘は可愛いなとしきりに自分に似ていることを口にしていたのは何かの暗示だったのだろうか。
あと何度、彼女の成長を喜ぶことができるだろう。
母娘揃って病と縁が深い。
確かこの子は去年の今頃もこうして床に臥せていなかっただろうか。
母として丈夫に生み、育ててやることができない。
自分ひとりが生き延びるだけでも精いっぱいで、自分以外の命を守れるほど強くはない。
たとえ守りたい命が娘であろうとも、体がそれを許してくれないのだ。



「これでは孟徳殿に申し訳ない・・・」



 病篤い体であろうと、その儚い一生のすべてが欲しいと熱烈に口説かれ曹操の側室となった。
体調と折り合いを付けながらだったが、夫との生活は人生の中で最も満たされた楽しい時間だった。
娘を授かった時は不安と喜びの絶頂で、この子の成長をずっと見守っていたいと心から願った。
けれどもそれは叶わない。
そして娘もまた、体が弱く生まれてしまった。
どうしてそんなところが似てしまったのだろうと思う。
誰よりも健やかに育ってほしかったのに、やはりこの世は自分にはとことん厳しい。




「・・・妹はいるか?」
「そなたは?」
「父が、私の妹が病に倒れたと教えてくれた。故に見舞いに来たのだが、妹は息災か?」



 随分と年若い来訪者だが、面影には見覚えがある。
確か彼は正妻卞氏との間に生まれた長子、曹丕といったか。
確かに彼は娘の異母兄ではあるが、曹操には娘や彼の他にも大勢の子どもがいる。
この少年はこうして都度、弟妹たちの様子を見ているのだろうか。
さぞかし骨が折れるだろう。
我が子に彼の体力のほんの少しでもあれば、もっと楽に生きられるものを。
不安げな表情を浮かべている正妻の息子を無下に扱うこともできず、娘が眠る寝所へと案内する。
今はようやく眠ってくれたところだが、起こした方が良いのだろうか。
物言わぬ妹の寝顔をとっくりと眺めていた曹丕は、彼女の枕元に包みを置くとこちらを顧みた。
目元が曹操によく似ている。
とても賢そうだ。
これから先何事もなければ、きっとこの子が曹一族の家督を継ぐのだろう。



「妹とはこういうものか。弟たちよりも小さいな」
「体があまり強くないのです。わたくしに似てしまったのやもしれませんが・・・」
「妹は父に似るより母に似た方が良いと思う。私の母上が仰っていた、幼いうちに病を多くすれば成長した暁には大病をせぬと。・・・あなたはもうあまり長くないと聞いている」
「孟徳殿からでしょうか」
「父は、妹を母上に預けるつもりだ。だが我ら兄弟には男がおらぬ、妹は怖がるやもしれん」
「それで曹丕殿が先んじて娘の見舞いにいらしたと・・・。お心遣い感謝いたします」
「彰は気性は荒いが根は優しい。植の詠む詩は絶品だ。末の弟とはあまり歳も変わらぬゆえ、良き遊び相手になると思う」
「曹丕殿はいかがなのでしょうか」
「私か? 無論歓迎する。一番辛く、寂しい思いをするのは妹なのだ。せっかく我らの元に来た妹なのだ、そのような思いはさせたくないではないか。それに、少なくとも父のように好色な者には近付かせぬと約束しよう」
「まあ・・・」



 そうして楽しむ娘の姿を見届けることができないことが、なんと悔しく無念なことか。
熱が引いたらしい娘が、すっきりとした表情で覚醒する。
愛らしい妹だな、私がお前の兄だ。
突然の自己紹介に目を瞬かせた幼子が、無邪気にきゃっきゃと笑い声を上げた。




妹を、手放す兄がどこにいる



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