私の好きな人が転職しました




 え~すっごい美丈夫!
今まで元直とか諸葛亮殿、ホウ統殿みたいなへろんとした男ばっかり見てきたけど、武官ってこんなに分厚いんだあ!
それに鎧のせいなのか、なんだかキラキラしてる!
思ったことが口に出てしまっていたのか、隣で畏まっていた元直がこほんと咳払いをする。
いっけなーい、私ったらまた余 計なことを!
犯してしまった失態に今更ながらに身を縮めていると、美丈夫がはははと快活に笑った。



「よく言われる。貴女のような素敵な女人に称賛されるとは光栄だ」
「そっ、そうですよねー!」
「ケッ、趙雲ばっかりチヤホヤされやがる」
「すみませんすみません、が失礼を・・・」
「気にするな。徐庶のご友人は愉快な方だな」




 部下が好漢なら、上司もまた心が広い。
一目見たら忘れられないようなお顔立ち、これが噂の劉玄徳様。
元直に無理言って新野までついてきて正解だった。
隆中に引き籠ったままだったら、こんな出会いはまず訪れなかった。
あーあ、諸葛亮殿も早く誰かに仕官すればいいのになあ。
そしたら溜めに溜めてる家賃もすっきり一括でお支払いしてくれるだろうに。
あの人、このまま踏み倒すつもりではないだろうか。



「良かったね元直、やっと理想の主に出会えて! これからは心根を入れ替えて性格も明るくしてお酒にももっと強くなって劉備様の軍師として」
「いや・・・。にはまだ言えてなかったけれど、俺は曹操の元へ行く」
「・・・へっ? なんで?」
「母上が曹操の人質にされてしまった。俺は母を見殺しにすることはできない・・・」
「・・・そ、そうなんだあ? だったら私も準備しないと。曹操ってどこ住み? そっかあ~、元直のお義母様と3人でかあ~」





 元直が劉備様と出会って何日だろう。
ようやく見つけた俺の主と珍しく興奮して私の腕をぶんぶんと振り回していたのはほんの数日前。
乱世というのは兎角目まぐるしく動くらしい。
私が趙雲様という美丈夫に見惚れたのはほんの数分前。
こんな別れをするのならば紹介してほしくなかった。
強引に元直にくっついてきたのは私なのだけど。
もちろん今度の元直の長い旅路にもついていくんだけど。
元直と劉備様の涙目以外では見守ることができなかった別れを見届け、とぼとぼと邸への道のりを歩く。
押しかけ女房気取りに初めこそ躊躇っていた元直も、諦めてくれたのか今では何も言わない。
きっと今度も何も言わないだろう。
元直、そろそろ私に惚れてきてるんじゃないだろうか。
押せばいけるんではないですか、元直もあれで男ですしとこちらをちらとも見ずに進言した諸葛亮殿もたまには役に立つみたい!



「俺はを連れて行くことはできない。君は孔明たちの元に留まるべきだ」
「今更何を他人行儀なこと言ってるの!」
「俺と君は他人だ」
「劉備様と別れてしょげてる元直とご高齢のお義母様をふたりきりにしておけるわけがないでしょ。私のことは押しかけ恋人とでも思ってくれたらいいから!」
「思ったこともない・・・」




 都合の悪い言葉が聞こえた気がしたけれど、きっと風の悪戯だろう。
慣れ親しんだ土地を離れるのはもちろん寂しい。
でも、元直と別れてしまう方がもっと寂しい。
自慢じゃないけど、家賃を滞納する自己評価が高すぎる自称伏龍を名乗る男ともなんだかんだで仲良くやれているくらい私は友好的な生き物だ。
彼ほど面倒な男は曹操も部下に迎えていないだろうから、交友関係は私に任せてくれればいい。
お義母様もきっと私を快く迎え入れてくれる、同居もどんとこい。



「お願い、これから先は強引なこともしないから最後の我儘だと思って?」
「・・・俺は、君に弱っているところを見せてしまうかもしれない」
「今も充分弱ってるから大丈夫! それにもう見慣れてるから今頃照れないで!」




 役に立てるなら、一緒にいられるのなら何だっていい。
どんな理由だっていい。
本来ならもらえるべき家賃がないから旅支度もろくにできないけど、身ひとつでもいいから好きな人と一緒にいたい。
私は元直にしがみついた。
おずおずと、元直の腕が私の肩に回った。




それはまだ、夢しか見ていなかった頃の思い出



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