木偶人形は愛さない




 殿が単身暮らしを始めた。
従者も侍女もいらない、だって私ひとりだからねと言い張った彼女の表情は強気な発言とは裏腹に少し寂しげで、気が付けば一緒に暮らそうと早口で告げていた。
それの意味がわからないほど私は愚鈍でも朴念仁でもないし、殿も子どもではないからわかるはずだ。
わかってくれるはずだった。
そう思い込んでいたこちらは、まだまだ彼女のことを深くは知らなかったのだと痛感した。



「えっ・・・、私また姜維殿に寝ずのお小言受けるような粗相した?」
殿、その手の冗談はもう聞き飽きてしまった」
「じゃあどうして? あっ、もしかして姜維殿ってば人肌恋しい年頃になっちゃった?」
「合っているようで、おそらく違うと思う」




 殿はとても明るい。
落ち込んでいる人を見れば声をかけ、慰め励ます度量の広さも持っている。
年中成都をふらついているせいか人脈も広いようで、共に巡回をしていると声をかけられる機会も多い。
あらぁちゃん、今日はいい随分といい男を連れてるじゃないの!
道すがら商家の女将に揶揄われ、てへへと締まりのない笑みを返しているのもよくある光景だ。
『今日は』とは、だったらいつもは違う男と歩いているのか。
それは誰だ、素性のはっきりとした男なのか。
そう彼女を問い質したことも数多くある。
その度にのらりくらりと返答を避けてきた彼女の真意と心を掴みたくて、焦っていた。



殿、今日こそ私の話を聞いてほしい」
「その言い方だとまるで私が普段は姜維殿のお説教を聞き流してるみたいじゃない?」
「説教をするつもりも小言を言うつもりもない! ・・・私は時々不安になる、殿はわざと私の気持ちを避けているのではないかと」
「やだぁ姜維殿、私がそんな策略めいたことできると思う? まあ私の色香に惑わされて勝手に翻弄される人はいるかもだけど」
殿」
「はいはい」
殿は、私にとってかけがえのない人になってしまった。一緒に暮らしてほしいと言った真意は下心しかない」
「そう」




 笑顔で相槌を打ったきり何も喋らない殿の顔を見つめる。
高価な器のように白い顔は、想いをぶつけられても紅潮する兆しすら見せない。
本当に聞いただけ、受け止めただけらしい。
知りたいのは彼女の本心だ。
出会ってこの方、殿に好かれるようなことをした覚えはない。
彼女が都度嫌がるように、叱ってばかりだった気がする。
偉大なる名将諸葛亮の傍にずっといながら、彼から何ひとつ学ぼうとしなかった不出来な娘。
実の娘ではないとだけ聞かされていたが、彼女の素性は何も知らない。
戦乱の世なので、親兄弟を喪った者は珍しくない。
彼女もきっとその類で、彼女の境遇を哀れんだ諸葛亮夫妻が溺愛してしまっただけ。
嫉妬をしていた。
幸運に浸っているだけの彼女を疎み羨み、彼女から真っ直ぐな愛情を向けられている存在すべてが妬ましかった。



「姜維殿、本当に人肌恋しかったんだ」
「その受け止め方はさすがに・・・」
「いいよ別に、姜維殿は美丈夫だし。そういう理由で一緒に暮らしたいんならまあ、一緒にいる方が都合がいいよね。でもなあ・・・う~ん」
「妻になってくれるわけではないのか?」
「妻? それはやめといた方がいいって! ごめんね」



 なんと軽い、なんと薄い。
ようやく告げた思いをこうもあっさりと切り捨てられるとは。
やはり、自分は殿のことをあまりにも知らなさすぎる。
誰に訊けば彼女を知ることができるのかすら見当がつかない。
彼女は何者なのだ。
この国で姜伯約を拒むことができる人物がいったい何人いる?
そもそも彼女に何の権限がある、何が彼女を縛りつけている。
殿は、何をもってやめた方がいいと断言しているのだ。
それを決めるのは彼女ではないのに!



「それでどうする、私は明日からお引越ししていいのかな? 部屋は分けてほしいけど来たい時に来ていいよ!」



 つい最前こっぴどい拒絶をした事実を綺麗さっぱり忘れてしまったのか、殿がぴたりと体を寄せてくる。
彼女の本心を暴くことを、今日の私は諦めた。




「ちなみに私が今までお会いした中で一番の美丈夫は趙雲様なんだけどね!」「ああ、そう・・・」



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