感情は宛先不明




 最近殿来ないですねぇ。
丞相府に勤める若い文官がはあとため息をつき、年嵩の文官に睨まれている。
来たい時に来るような出仕体制がだけには特別に組まれているらしい。
姜維は思ったよりも強めに窘められている文官に驚きながらも、再び書簡に目を落とした。
魏から蜀へ降ってからしばらくの時が経った。
新たな出会いはどれも新鮮で、非常に刺激的だった。
丞相府に勤める人々も皆性格温厚にして職務にも忠実、さすがは国の中枢を担うだけはある逸材揃いだ。
負けていられない。


殿もいよいよ丞相離れか・・・」
「政庁に咲く可憐な一輪の花じゃもったいないもんな」
「皆、職務の手が止まっているようだが」
「丞相は全然殿離れする気はなさそうだけど」
「できなくなった、の間違いだろ」
「こんにちは!! 諸葛亮様、お昼食べよ!」
「あ、来た」



 政庁の入口で華やかな声が上がる。
声だけでいつまで経っても室内に入ってこないに、文官たちの顔色が一様に曇る。
ああそっか、もういないんだった。
の呟きに、諸官が一斉に顔を伏せる。
が現れただけで士気の低下、彼女は政庁に何をしに来たのだ。
姜維は要領の得ない不可解な動きを見せる先輩を横目に、席を立ちの元へ向かった。
初めの明るい声とは違い、真顔で回廊を歩いてくるの前に立ちはだかる。
花に喩えるなら、まるで萎れているようだ。
姜維は小包を両手に抱えたを見下ろした。
勢い良く顔を上げたの口が不自然な動きを見せた気がしたが、彼女は元々変わっているのでいちいち気にしてはいられない。



「用件は何でしょう、殿。丞相は今執務中だ」
「だから諸葛亮様とお昼食べようと思って。姜維殿知らないの? 諸葛亮様忙しすぎるから、私が来ないとお昼食べ損ねちゃうんだよ」
「だったら私がお預かりしておこう」
「え~、一緒に食べちゃ駄目なの~?」
「先程自分で丞相は忙しいと言っていただろう。殿のようにのんびり生きていないのだ、丞相は」
「別に私ものんびりしてないし」



 でもでもと尚も言い募るの手から、小包をやや強引に引き取る。
2人で食べるつもりだったにしては量が多い気がするが、実はは大食漢なのだろうか。
それにしてはあまり肉感的ではないが、も関銀屏と似たような体質なのかもしれない。
姜維は、手ぶらとなっても後ろを歩き続けた挙句、執務室へ到着したを顧みた。
馴染みの顔がいくつもあるようで、先程まで顔色が悪かった文官たちの血色も生き生きとしたものに戻っている。
男という生き物は現金なものだ。
やっぱり殿がいないとなと緩んだ顔で抜かして、を一輪の花だなどと気持ち悪い評価をしていたとに教えてやりたい。



「良かった、もう殿来ないかと思ってましたよ」
「まー私もいろいろ忙しいんですよ! って徹夜してる皆さんの前で言うことじゃないけどね」
「区画整備の立ち退き、殿が話通してくれましたよね? 丞相が安堵してましたよ」
「まあ、心を攻めるのは上策ってやつ?」



 ひとしきり世間話に花を咲かせ満足したのか、がすっきりした顔で出口へ足を向ける。
あ、そうだ思い出した。
奪われた小包を取り戻したかったのか、が駆け寄ってくる。
一緒に食べたいと駄々を捏ねはしないのだなと、初歩的なところで感心してしまう。
姜維はそれ、と言って指差された小包へ視線を落とした。



「3人分作っちゃったけど、姜維殿若いから2人分くらい食べられるよね?」



 お返しは甘味処でいいからね!
こちらが何か言う前に駆け去っていったの背中を見送る。
差し入れしたかったのなら初めからそう言えば良かったのだ、可愛くない。
姜維は託された小包を手に、諸葛亮の部屋を戸を叩いた。




「一緒に昼食を取ってくれなくなる。これが反抗期、ですか・・・」「一緒に食べたかったのは丞相だったのですね・・・」



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