私に特技を授けてくれる人がいました




 元直の曹操軍生活が始まった。
特別難しい任務を与えられているわけではないようで、淡々と出仕して刻限になれば帰ってくる。
歓迎の宴もないらしい。
お義母様を人質にしてまで欲しかったはずの元直なのに、意外と扱いが淡白だ。
確かに元直は口下手だし性格も暗いけど、それでも形だけでも宴とかやってくれてもいいと思う。
司馬懿殿の時はどうでしたか?
私は、ひょんなことからお近付きになってしまったご近所の司馬懿殿に話しかけた。
司馬懿殿は元直以上に仕事とご縁がないようで、昼から屋敷の辺りをうろついている。
名家の生まれらしいから、ひとりくらい仕事しなくても食い扶持には困らないんだろう。
結構なご身分だ。
私の心の中を読んだのか、司馬懿殿が苦々しい顔をした。
私が知る軍師と名乗る人々は感情を表に出さないことを是としていたけど、司馬懿殿は自由気ままに表情筋を動かしている。
国が違えば軍師の心構えなんてのも違うのかもしれない。
今度元直に教えてあげよう。



「私に訊くな、馬鹿者」
「あー確かに、ろくろく出仕してない人はそもそも歓迎の宴自体ないですよね」
「貴様、誰に向かって口を利いている」
「司馬懿殿ですけど」



 元直いわく、司馬懿殿はこれでものすごく頭が切れるらしい。
孔明と同じくらいの智者なんだよと評価していて、なるほど確かにものすごく切れっぽい。
でもそんなに諸葛亮殿と似てるかな、仕事しないとこくらいしか似てない気がするけど。
私は、2人きりの夕食での会話を思い出した。
せっかく2人きりなのだ、もっと私たちの話をしたい。
それもこれも、私が初対面の司馬懿殿に攻撃するという不手際をしてしまったせいだ。
おかげさまで、徐庶殿の邸の侍女殿は大層剛毅な方だと嫌味を言われてしまった。
着任早々元直に謝罪させてしまったけど、ご近所挨拶も一緒に済ませられたと前向きに考えることにしている。
妻ではなく侍女と勘違いされたことについては一言も二言も物申したいけど、今はこれ以上ご近所さんと険悪になりたくない。



「まあ私としては元直と長く一緒にいられるから大歓迎なんですけど、役人としてはどうなんでしょう」
「職務には忠実、殿のお召しにも卒なく応じていると聞いている。お前が気に病むようなことは何もない」
「そうなんですか! じゃあ元直は一応この国に馴染んでるんですね! 良かったあ、じゃあ私も次の段階にいかないと」
「次?」
「私、司馬懿殿に羽扇の扱い方を教えてもらおうと思っていて」
「・・・初耳だが」
「そりゃそうですよ、今言いましたもん」



 別れ際に諸葛亮殿に押しつけられた餞別の白い羽扇を懐から取り出す。
良くない思い出が蘇ったのか、司馬懿殿が体ふたつ分ほどの距離を置く。
ひどい、取り出しただけでまだ構えてもないのに。
私は広げられた距離を埋めるべく、司馬懿殿ににじり寄った。
ねえ司馬懿殿、お願いがあるんですけど。
諸葛亮殿にはそこそこに効き、元直にはてんで効果がなかった必殺のお願い体勢に入る。
元直が言うとおり司馬懿殿が諸葛亮殿に似てるんなら、このお願いも聞いてくれるはずだ。
諸葛亮殿は家賃を払う以外の要求にはこれで概ね応じてくれていたのだ。



「ねえ司馬懿殿、私、元直の足を引っ張りたくないんです」
「まず私の袖を引くな」
「元直が行きたいところに行きたくなった時、私が足枷になっちゃいけないの」
「貴様、何を考えている?」
「え? だから司馬懿殿に羽扇の扱い方・・・まあできれば白い光が出るように教えてほしいって考えてて」
「そうではない」



 貴様はまさか、この国から出ることを考えているのではないか?
司馬懿殿の目がすうと細くなり、私の顔を刺さんばかりの鋭さで見つめてくる。
ううわ、こわ。
司馬懿殿ってば何考えてるんだろ。
これだから軍師は底が知れなくて恐ろしい。



「滅多なことを考えるのはやめた方が良い。貴様の短慮な行動ひとつで、徐庶殿の立場が危うくなることを考えよ」
「司馬懿殿って・・・意外と優しいんですね」
「・・・貴様と話すと頭が痛くなる。帰る!」
「あっじゃあ初回の講義は明日以降で!」
「私の都合を聞け!」



 、司馬懿殿から文が投げ込まれていたけど、2日後に何かあるのかい?
夕飯時に帰宅した元直の口から飛び出した日程確認に、私はあると即答した。




「何もかもが短慮すぎる、放っておけば何をしでかすかわからぬ」



分岐に戻る