敗戦の将は膝上で語る




 ばしゃりと真正面から水をかけられ、水も滴るいい男へ変貌を遂げたばかりの男を眺める。
とんでもなく面白い場面に遭遇してしまった。
さすがは姜維殿、顔立ちが整っているばかりに欲が赴くままに女の子を引っ掛け続けたんだろう。
今ので何人目だろう、本命にバレてなかったらいいけど。
私は曲がり角の壁から修羅場を覗き見しながら、怖い怖いと呟いた。
姜維殿に怒りの冷水を浴びせていた女の子は泣いていた。
子どもとかできてないといいけど。
責任はちゃんと取った方がいいと思う、私の実体験に基づく意見だからたぶん間違いない。



「あれえ、殿何見てるの~?」
「姜維殿が女の子泣かせて水かけられたとこ見てました」
「へえ、姜維殿やるねぇ。でも覗き見は良くないと思うよ、諸葛亮殿もいい顔はしないんじゃないかな」
「馬岱殿は内緒にしてくれますよね?」
殿がそうしてほしいならもちろん! 俺は殿の子守りじゃないからね」



 地面をしとどに濡らしながら棒立ちを続ける姜維殿へと再び視線を戻す。
あの女の子は誰だろうか。
綺麗な身なりをしていたから、そのへんの住民ではなさそうだった。
姜維殿は諸葛亮様の最側近の品行方正な人で友だちも少ないから、政庁と自邸の行き来ばかりしていると聞いている。
ということはあれは、宮殿や政庁に出入りしている女官もしくはいいところのご令嬢?
面倒なお家柄の子に手を出してなければいいけれどと、姜維殿を心配してしまう。
姜維殿は魏からの降将だから閨閥を駆使して地位を確立していくのもひとつの手ではあるかもしれないけど、血で雁字搦めになった姜維殿はあまり見たくない。
よくわからないけど息苦しそうだ。



「綺麗な人でしたね」
殿の方がかわいいよ」
「だったらどうして姜維殿は危ない火遊びなんて・・・」
「う~ん、俺から見たら殿に手を出す方がよっぽど死地に向かう気分かな」
「ふぅん?」
殿はかわいいけど、諸葛亮殿の目が黒いうちは姜維殿どころか誰もおいそれと手を出せないと思うよ」
「ふぅん・・・・・・」



 燃えるような恋がしたいと思う時がある。
私も恋に恋したい年頃の女の子の端くれだから、そろそろ人並みに逢瀬を重ねたり一緒に遠くにお出かけしたりしたい。
姜維殿は私よりもだいぶ遅れて魏から来たのに、私よりもずっと早くその手の道を爆走している。
ずるい。私も追いかけたい。
我慢できなくなった私は、女の子が駆け去った後も相変わらず往来のど真ん中で立ち尽くしたままの姜維殿の前に躍り出た。
壁からは馬岱殿のあちゃーと嘆く声が聞こえる。
駄目だよ姜維殿と叫ぶと、焦点が定まっていなかった姜維殿の2つの目が私を捉える。
なぜここにと頬を赤らめて狼狽えたりして、軍人でもなんでもない私の存在にすら気付いていなかった姜維殿の腑抜けた根性を叩き直してやりたくなる。



「今の人誰ですか! 駄目ですよ、女の子とのお付き合いはひとりに絞らないと!」
殿、何を言っている? 彼女との間に疚しいことは何ひとつない」
「でもさっきの子泣いてたじゃん。姜維殿も水までぶち撒けられて、何もなくてそこまで悲惨な目には遭わないはず」
殿は私が軽薄な男に見えると言いたいのか?」
「だって姜維殿は趙雲様ほどじゃないけど美丈夫だから、それに騙されて寄ってくる女の子もいるだろうし、寄られたら姜維殿も食べるでしょ?」
殿の目には私はどんな餓狼に見えているんだ・・・。いいですか、確かに彼女は私に好意を抱いていました」



 突然始まった聞くつもりもない姜維殿の自慢話に、私は壁の馬岱殿へ視線を投げた。
馬岱殿はとても気が利く察しの良い方だから、退屈そうな私の顔を見ればすぐに適当な用件を手に現れてくれる。
私の窮状を訴える目を確認した馬岱殿がよっこらせと腰を上げ、私とは逆の方角へ歩き出す。
え、なんで?
ここは通りすがりの馬岱殿を装って私を連れ出してくれる手筈なのでは?
私の挙動の怪しさを見逃さない姜維殿が、話は終わっていませんよと鋭い声で追い打ちをかける。
話など初めからない。
そう詰ったところで、すっかり自分語りの世界へ入り込んでしまった姜維殿に私の声は届かない。
姜維殿の悪癖がここにきて出てしまった。
彼は窮すると、見たいものしか見えなくなる料簡の狭さを発揮するのだ。
今後一切発揮してほしくない。
ゆくゆくは兵の先頭に立って指揮を取るような人なら尚更だ。



「彼女の提案は心地良いものだったが、お断りした」
「へえ、膝枕でもしてもらった?」
「私の志は丞相に委ね、丞相のお考えと共に在る。私の信念を前には何者も付け入る隙がない・・・と論じたところ、水をかけられました。おそらく彼女の矜持を傷つけたのだろう。それから、膝枕は殿の方が落ち着いたので安心してほしい」
「ていうかしっかり心地良い思いしてるじゃん! なんでそんなほいほい他人に首預けるの!?」
「・・・やめないか、この話。少なくとも往来の真ん中で交わす内容ではないと思う」


 そんなことないと言い張ると、姜維殿がいつになく強い口調で大問題だと反論する。
視線が痛いと言われても、私は何も感じない。
濡れ鼠の姜維殿が目立ってるだけなのではと冷静かつ的確に分析すると、図星だったのか姜維殿が苦々しげに顔を歪める。
何だその顔は、まるで私が無理難題を押しつけて困らせてるみたい!
元はと言えば、女の子の誘惑に勝てなかった姜維殿がいけないのだ。
いつの日か姜維殿が目の前の膝枕に誘われてふらふらと横になって、姜維殿に気があるふりをした暗殺者に寝首を掻かれでもしたらどうするんだ。
どうしようもない、馬鹿だなあ姜維殿って笑い泣きするしかできない。



「やだわぁ、あの人ちゃんと親しくしてるのに他の女と火遊びしたんですってよ」
「濡れてるから水遊びでしょう? ちゃんかわいそうにねぇ、あんなに可愛くて気立てのいい子いないのに何が不満なんだか」
「・・・・・・このままでは私が殿を尻目に遊んだ軽薄な男になってしまう」
「合ってるよ?」
「先日も丞相の誤解を解くためにどれだけ言葉を尽くしたか殿は知らないから・・・・・・。この件は内密にと言ってわかる殿でもないし・・・」
「さっきまで馬岱殿と一緒にいたんだけど、内緒にしてって言ったら秘密にしてくれるよ」
「ああ、一番目か二番目に拡散に適した人物だな・・・」



 みるみるうちに落ち込んでしまった姜維殿がさすがに心配になり、大丈夫と声をかける。
膝枕してあげようかと冗談で提案してみると、項垂れているのにはっきりと首を縦に振られる。
姜維殿ちゃっかりしてる。
そういうとこあるから女の子も仲良くなったと勘違いするんだろうな。
これは最初から最後まで思わせぶりな態度を取った姜維殿が悪い。



「元気出して姜維殿! 大丈夫、次は上手く私にバレずにやれるって!」
「もはや私を陥れる粗雑に見せかけた巧妙な罠としか思えない」
「もっと遠くで密会したら?」
「妙案だな。では今から丞相が追いかけてこないラク城あたりに行きましょう」
「あ、その手の遠出は好きな人と行きたいから姜維殿じゃちょっと」
「ちょっと」



 水をかけられた後の雷撃は堪えますね。
姜維殿の覇気のないぼやきに、私はのろのろと手ぬぐいを差し出した。




「姜維殿が往来で女の子泣かせてちゃんに怒られてたんだって! やばすぎなんですけど」「しかも曲解されている・・・」



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