叶わぬ夢の叶え方




 戦を知らない顔をしている。
出自のみで己を名乗り、飾り立て、中身はてんで空っぽだ。
あれが大将軍のお顔なのですね。
夏侯覇は斜め後ろから聞こえてきた冷ややかな声に、びくりと肩を震わせた。
恐る恐る振り向けば、とうの昔に死んだはずの昔なじみが申し訳程度の武装を施した姿で立っている。
いやいやいやいや!
夏侯覇は大きく叫ぶと、突然の異変に訝る部下たちの視線から逃げるように声の主を連れ出した。


「公主!?!? なんで!? え、俺死んだ!? 出陣前に流れ矢に当たったとか!!」
「いいえ、夏侯覇殿の光り輝く鎧は蜀兵の弓矢など通さぬでしょうに」
「だよな! じゃなくて! え、なんで!?」
「さる方のたっての願い・・・と言えば聞こえは良いのですが、実のところは帰郷を余儀なくされておりました。お懐かしゅうございます、夏侯覇殿」



 帰るとはいえ洛陽は初めてでしたがと穏やかに微笑むを、上から下までじっくりと眺める。
頭はある、足もある、体も透けていない。
最後に見たのは赤壁の戦いに出陣する前だから、お互いにそれなりに歳を重ねた。
それでも一目見てかつての友と判別できたのは、守るべき貴人の姿を一度たりとも忘れたことがないからだ。
夏侯覇は慌てて予備の兜をに被せた。
見てくれはよろしくないが、せっかく生き残っていた大切な御身だ。
命を守れるのであればどんな格好だってさせるつもりだし、何なら総大将よりも身を挺して守るべき人だ。



「曹爽殿とやら、子丹殿のご子息と伺いましたが、あまり似てはおられませんね」
「ああ、気骨がいまいち足りない。まあ足りないのは他もあるんだけど」
「例えば才知、それから武功・・・」
「なんでだか生きてた公主の方が場数は踏んでそうな気もするんだよなー。・・・魏に戻られるまでにいろいろあったんでしょう。おいたわしい」
「それはお互い様でございましょう。ですが」



 いささか不愉快ですと呟くの声の低さに、先程とは違う畏れを感じる。
曹爽は事あるごとに宗家宗家と、まるで自らが曹魏の主にして一族の頂点であるかのように振る舞う。
曹孟徳の娘であるにとって気分が良いわけがない。
放っておけば一言でも二言でも物申しそうなまでの怒りすら感じる。
夏侯覇はぐるりと周囲を見回した。
戦場には不似合いな笑顔を浮かべた司馬昭がひらひらと手を振っている。
夏侯覇はを背に隠そうとし、自身に隠せるだけの背丈がないことにすぐに気付き落胆した。



殿、父上が血眼になって探していましたよ。お戻りいただけないですかね」
「いやいや待ってくれ、司馬昭殿はこの方をどなたかご存知で?」
「そりゃあもちろん。殿を後継争いで泥沼化した孫呉から引っ張ってきたのは父上ですよ」
「え・・・? じ、じゃあ公主がさっき言ってたさる方ってのは」
「司馬昭殿のお父上です」
「ま、このとおり殿は父上にまったく気を許してないけどな」
「司馬昭殿、わたくしは夏侯覇殿と進軍いたします」
「わかりました。てなわけで夏侯覇、殿をよろしく」



 深い詮索もごねることもなくあっさりと引き下がった司馬昭を見送り、夏侯覇は眉を潜めた。
と司馬懿はどのような関係なのか確かめるのが少し怖い。
孫呉で生き永らえていたをわざわざ呼び寄せるほどだ、ただの思いつきの行動ではないだろう。
曹丕、曹叡と立て続けに若くして帝が亡くなり、宗家の力も少しずつ、けれども確かに薄れつつある。
この期に及んでを利用するつもりかとも考えるが、はそう易易と御せる相手ではない。
何よりも、当の本人がもはや己の出自や肩書に何の価値も感じていないはずだ。



「ようやく夏侯覇殿と同じ戦場に立つことができました。夏侯覇殿の雄姿をやっとこの目に焼き付けることができようとは、この国にもまだ楽しみはございました」
「そりゃ存分に見ていただきたいですけど、公主はもっと安全な後方にいてほしいな、とか・・・」
「かつてわたくしは赤壁で、安全と思われた後方で襲われたのですが」
「そうでしたね、父さんからもそう聞いてた! あーもうじゃあ気合入れるしかないか!」



 戦果を期待しておりますと至上の存在から直々に激励されれば、どんな愚策で挑もうとも士気は俄然上がる。
これが総大将の器、これこそが人々が宗家に求める威風だ。
夏侯覇の渾身の雄叫びに、もまた剣を構えた。




草原はよく燃える



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