虫と蒸しにご用心




 馬に跨がりのんびりと、道のようで道ではない行路を往く。
途中までは馬車で送ってもらったけど、橋から向こうは悪路で車輪が動かなくなるらしい。
馬に乗るのは好きだ。なんて言ったって私の馬術のお師匠は馬超殿に馬岱殿、趙雲様だ!
馬が好きになるようにそれはもう丁寧に丁寧に馬との付き合い方を教えてくれた。
あまりに私を構うから、諸葛亮様とお三方の仲がその頃ちょっぴり悪くなったくらいに教育に傾倒してくれた。
蜀の中でそれぞれいちばん馬を扱うのが上手いと自負されている趙雲様たちのご指導の賜物で、少々の悪路は私を阻む障害にはならない。
虎が横切っていようと熊が闊歩していようと、私を乗せた愛馬はずんずん建寧へ進む。
私の勇姿を趙雲様にぜひ見てほしかった。


「見て見て関興殿、あの虎白いです」
殿、あまり道を外れてはいけない。寄りすぎなければ虎は近付いてこない、くれぐれも距離を保つように」
「白い虎もいるって教えたら、月英様は白い虎戦車も作ってくれると思いますか?」
「そうなんだ~!」
殿が言えば月英殿は何だって作ってしまうと思う」


 耳寄りな情報を教えてくれた関興殿が、馬上から器用に私の馬の手綱を引く。
南蛮王の孟獲殿とやらの元へ情勢視察と気分転換を兼ねてと諸葛亮様が送り出してくれた私には、関興殿という頼もしい護衛がいる。
南中とは友好関係を築いているとはいえ、さすがに女の子ひとりで遠方に向かわせるには危険らしい。
そこで諸葛亮様が伴につけてくれたのが関興殿。
お忙しいのにごめんなさいと恐縮すると、名乗り出たのはこちらだからと微笑んでくれる優しいお兄さんだ。
魏にいるであろう私の実の兄たちもこのくらい優しければいい。
会うことはないだろうから、実際のところはどうでもいいんだけど。



「建寧ってどんなところかな? ご飯美味しいですか? 孟獲殿ってどんな方かな? 陛下みたいな方ですか?」
「建寧は・・・暑い。汗を多く掻くので道中は水をよく摂り、あとは状況に応じて体温調節を・・・」
「確かにここ暑い・・・」
殿、場所を変わろう」



 言われるがままに関興殿と隊列を組み直し、影が差している道を進む。
関興殿は細かなところも気が付いてくれる。
足元のぬかるみ、数歩先の転びやすそうな石、馬を降りなければ渡れそうにない浅瀬。
関索殿や銀屏殿の兄をやっているだけあって、お2人よりも更に若い私を徹底的に見守っている。
諸葛亮様が関興殿を選んだ理由がわかる気がした。関興殿は丁寧な兄だ。



「孟獲殿は劉禅様とは違うな・・・。とても大らかで温かい、私たち蜀のことも家族と呼んでくれた。劉備殿や諸葛亮殿が目指す仁の世にも共感してくれている」
「良い方なんですね」
「それは間違いない」
「銀屏殿が教えてくれたんですけど、象っていうすごく大きくて力持ちの獣がいるんですよね! 力持ちなら私も乗せてくれるかな? 馬超殿は良い心がけだって言ってくれたんですけど、諸葛亮様と馬謖殿はやめてくれって」
「それは・・・孟獲殿に訊いてみよう」


 行っておいでと南中行きを勧めてくれたのは諸葛亮様なのに、いざ出立の日が近付くとこちらが心配になるくらい顔色が悪くなっていた。
友好国を訪ねることは悪いことではない。
孟獲殿からの文によれば私は大歓迎されるらしい。
だったら何も心配はいらないのではとぼやくと、趙雲様に親心は難しいからと苦笑された。
諸葛亮様は私の親ではないけれど、私の親よりも親らしく子でもない私のことを案じてくれているのかもしれない。
嬉しいような恥ずかしいような、なんだかむずむずする。
首のあたりがとってもむずむずする。むしろ痒い。


「関興殿、なんか私刺されてません?」
「・・・えっ」
「なんか首から下あたり痒くて、暑いからと思ったけどほら見て下さい、これ」
「・・・ああ、悪い虫がついている」



 とりあえず摘み上げた見たことのない虫をぷちりと指で潰す。
触った限りでは肌も少しざらついていて、早速異郷の洗礼を受けた気分だ。
暑くて汗を掻いていたから、匂いにつられて虫が寄ってきてしまったのかもしれない。
関興殿にまで汗臭いと思われていたらどうしよう。
終始涼しげな顔をしている関興殿からは汗の匂いがまったくしないのも不思議だ。



「建寧で孟獲殿たちにご挨拶を終えたら、少し休もう。痒みに効く薬が調達できるかもしれない」
「そんなのあるんですか? 南蛮すごーい」
「原料はわからないが効能はあったはず・・・。いや、その前にこれは・・・」


 困ったな、と関興殿が眉間に皺を寄せ考え込んでいる。
道中で鏡を見るわけにはいかないので私は私の状態を見ることができないけど、もしかしてそんなに醜い状況なのだろうか。
建寧に入ることすら憚られるような見てくれになっていたらどうしよう。
私は月英様いわく産みの母によく似た可愛らしい娘なので、私の数少ない誇れる利点が喪われるのは避けたい。
頭も器量も出自も悪いときたら私には何も残らない。



「か、関興殿・・・。私、可愛くなくなったりとかしてたり・・・?」
「ん? いや、殿はいつもどおりだが・・・」
「何でも言ってください! 私でお役に立つことならがんばるので!」
「だったらこれを首に巻いて」
「うわ、暑そう・・・」


 暑いから体温調節を的確にと助言してくれた関興殿はいなくなってしまったらしい。
暑すぎる南蛮、建寧に入る直前で首巻きをぐるぐると結ばれた私は、弱々しい声でがんばりますと呟いた。




「馬術、巧すぎるのでは?」「お師匠様がいっぱいいるんで!」



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