流れ星の置き土産     2







 大きくなっても小さなガキだ。
結局誰かに預けるでもなく軍で連れ回し、今やすっかり強面の猛将たちとも馴染んでしまったあの日の薄汚いガキは、多少身綺麗になっても相変わらず小さなままだった。
腹いっぱい飯を食わせても、たいして大きくならない。
同年代の子どもたちがふた回り大きくなっている間にも、彼女はせいぜいひと回り程度しか成長していないように見える。
いつまでも抱きやすくて愛らしいではないかと夏侯淵や曹仁は言うが、将来ちんちくりんなままで苦労するのは彼女だ。
だからもっと食え、たらふく食えと食事を促している。
こちらは悪くない。たとえ涙目になられようとだ。



「こら、またそれだけしか食わないでもっと食え!」
「もう食べられない・・・残さず食べてるもん!」
「それっぽちでこの後農作業なんざ途中でぶっ倒れでもしたらどうすんだよ! 今食えないんならほれ、餅持っていけ」
「今日は畑じゃないもん、曹休様におつかい頼まれてる」
「だったらおつかいの後で食え! てかおつかいって何だ? 草むしりか? 馬の世話? 遠くに出るんなら一言言って行けよ、近頃血の気の多い連中が外で腕試ししてるから危ないんだ」
「どれも違う・・・」



 そう言ってぷいと横を向いたの膨れた頬を、指でちょいとつつく。
子ども特有のもちもちとした柔らかな肌触りは正直嫌いではない。
戦を知らない無垢な肌だなと、自分たちが命をかけて守っているものの尊さを思い知る。
もう餅持ってるじゃんと軽口を叩くと、が持ってないと叫ぶ。
お返しをばかりにこちらの髪をつかもうと狙ってくるが、ぎりぎりのところで躱してやるので彼女の小さな手が届くことはない。



「ほーらどうした、全然届いてないけど?」
「李典のいじわる! きらい!!」
「おーい、おつかいのお菓子できたぞー」



 厨房の奥から料理人の親父の声が聞こえ、が李典の手をぱしりと振り払う。
頼まれた依頼はきちんとやる(ただし李典のもっと食え発言は除く)の教えをおそらくは于禁あたりから徹底的に仕込まれているにとって、依頼開始の合図は何よりも重要だ。
だからといって手を振り払うまではしなくてもいいと思うのだが、以前それを夏侯惇に愚痴った際に言われた返答は『お前が構いすぎるのが悪い』だった。
心外である。
誰もがべたべたと甘やかし可愛がるのでせめて自分ひとりくらいはとあえて厳しく接していたのに、外野からそのように見られているとは考えもしなかった。
楽進には2人は仲良しですねと誤解されるし、そもそもはこちらのことをおそらくは嫌っている。
嫌われ役で結構だが。
子どもに嫌いと面と向かって言われるのはさすがに堪えるが!!



「それ、曹休殿が食べるのか?」
「ううん、曹休様がこれから会いに行くれいりな人にあげるの」
「怜悧な人? あー荀彧殿か? だったら俺もついていくわ、ひとりで行かせるとあの2人なら心配しまくるだろうし」
「荀彧様じゃない・・・違うれいりな人・・・」
「だったら尚更俺も行くぜ。ほら、手」
「はい」



 先程まで頬をつつき回した後に無残に振り払われた手を差し出すと、が何の躊躇いもなく手を重ねてくる。
ふにふにとした柔らかな手触りもかなり好きだ。
一度くらいならこの手で髪をもみくちゃにされてもいいかもしれない。
そうすればもひとまず溜飲を下げるだろうし、それこそ優しさと厳しさの使い分けというやつだ。
そうでもしなければ、このままでは優しい担当の楽進と厳しい担当の李典で完全に悪役になってしまう。
厳しくするのは構わないが、憎悪の対象にはなりたくない。
はまだ幼いのだ。
これからまだまだ長く生きていくであろう彼女にずっと悪い印象を持たれながら生き続けるのはさすがに辛い。
仲直りの機会くらい与えてほしい。




「あ、曹休様。荀彧様もいる」
「ほんと目がいいよな、
「もうひとりいる・・・知らない人」
「怜悧な者じゃないか?」



 向こうもこちらの姿を認めたのか、曹休が大きく手を振っている。
振り払われる前に緩めていた李典の手を案の定振りほどいたが、曹休に向かって走り出す。
しゃがみ込みを出迎えた曹休が、ご褒美とばかりにの頭を撫でている。
を廃屋から見つけた時から案じていた曹休は、を犬か妹かのように可愛がっている。
暇があれば馬に乗せ、馬の乗り方を教え、曹休からの依頼の時間が来るたびに手を振り払われるこちらとは待遇が大違いだ。




「ありがとう。まさか李典殿も一緒に来てくれるとは、手間をかけさせてしまったな」
「いいえ、俺はこいつがひとりでおつかいできるか不安だっただけですので。まあ、荀彧殿ではない怜悧な者とやらにも興味があって」
「そうだったのか。俺もあまり詳しくは知らないのだが、荀彧殿の紹介で殿に新たにお仕えすることになった・・・・・・あれ? ?」




 お菓子を渡し終え、先程まで足元をうろついていたの姿が忽然と消えている。
往来、しかも将軍たちの目の前で人攫いとは考えにくいが、ひとりでふらりと消えてしまうようなでもない。
少し目を離した隙にの身にいったい何が、これだからガキは。
そう焦りながら周囲を見回した李典は、狼狽える荀彧の隣で幼女を抱え上げ頬ずりしている青年を発見しひぃと声を上げた。
が暴漢に襲われている。




「実に可愛らしい娘だ・・・。そう思わないかい、荀彧殿」
「ええ、そうですね。ですが郭嘉殿、その子はまだ・・・」
「だろう? 確かにこの子はまだこんなに幼い・・・。けれども大きくなればきっと素晴らしく美しい娘になると、私はそう確信しているのだけれど」
「そ、そうかもしれませんが郭嘉殿、が嫌がっています」
「なぁに照れてるだけ・・・だよね。へえ、というのかい。素敵な名前だ、うん、ぴったりだ」
「照れてないって、困ってるって見ればわかるだろ!?」



 年端もいかぬ幼子を目眩のするような色気に当て昏倒させる直前だった男から、をもぎ取る。
おや残念だと悲しげな表情を浮かべている男の隣で、荀彧が真っ白な顔ですみませんすみませんと頭を下げている。
荀彧は何も悪くないが、尋ねずにはいられない。
李典は抱き下ろした直後背後にぴゃっと隠れたの頭を撫でながら、こいつはと口を開いた。



「荀彧殿、いくら怜悧な者とやらでもうちのに妙なことをする奴は勘弁してほしいんですが」
「申し訳ありません。郭嘉殿は女人が大層お好きとは聞いていたのですが、まさかまでとは・・・。私の注意不足でした」
「荀彧殿は悪くないですよ。強いて言えば・・・私が、この子を目にしてしまったことがいけなかったんだ。これほど魅力的で可愛らしい娘がいると知っていたら、もっと早く曹操殿へ伺っていた。荀彧殿も早く報せてくれれば良かったのに、あなたも無粋なことをする」
「郭嘉殿のそのような点をただひとつ案じていたが故だったのですが・・・。、怖い思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。
 郭嘉殿は悪い方ではないのです、殿の元でこれより共に働く方です」
「殿の? じゃあ荀彧様や李典と一緒?」
「ええ、そうです。それから李典殿のことも呼び捨てにしてはいけません」
「ははは荀彧殿、李典殿は特別なのだ。慕われていて微笑ましいことだ!」




 慕われてなどいない。微笑ましいことなど何ひとつない。
どんなに彼女のためを思って行動しても、行きつく先は『いじわる』で『きらい』なのだ。
しかしこの男、魅力も何もない乳と土臭いガキなどに発情して大丈夫なのだろうか。
軍師としては優れていても、のためにならないような男だったら荀彧には悪いが参謀側との交流を制限することも考えなければならない。
拾った時に、当事者皆でまっとうに育て上げどこへ出しても恥ずかしくない娘にすると誓ったのだ。
よもや内部の、言い方は悪いが女とくれば歳も容姿も頓着しない変態に良からぬ目に遭わされることだけは避けたい。
早速次回の酒宴で相談しなければ。
大体、どいつもこいつもを可愛がっている割には放置している。
こちらが話題にあげない限り親身にならない。
子は親を見て勝手に育つものと皆言うが、では貴方たちは堂々と背中だけを見せられるに値するいい親父ですかと詰ってやりたい。
今ですら、放っておけばは日暮れまで畑で農作業に勤しんでいるだけだというのに。
毎日典韋と許チョとの農作業進捗を聞かされる身にもなってほしい。



、今日以降も私の知り合いの軍師たちが殿の元へ伺うことになっているので、またよろしくお願いしますね」
「郭嘉殿みたいな女好きはいないでしょうな」
「ええ、皆誠実な方ばかりです。そうですね・・・満寵殿などは面白い方ですよ、罠と仕掛け作りに精通されていて、程イク殿とのお勉強の言いつけを破ったにぴったりのお仕置き部屋も喜んで作ってくれそうです」
「ひい・・・」
「あー・・・、、また程イク殿のさぼったのか。叱られるぞー怖いぞー」
「がんばったら、また馬に乗せて好きなところに連れて行こう! だから勉学もきちんと励むんだ、!」
「う・・・がんばる・・・・・・」
、わからないところは李典殿は教えてくれますよ。ね」
「任せとけ。程イク殿からの課題の山くらいすぐに当てちゃうぜ、俺!」




 がんばったら私もご褒美あげようかな、しかもとっておきの。
間髪入れず付け加えられた郭嘉の余計な一言に、は涙目を浮かべ李典の足に再びしがみついた。







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