とりかえやば







 目が覚めると、かき上げるはずの前髪がなくなっていた。

























 洗面台の鏡に己が姿を映し、しばしの間呆然とする。
断じて見惚れていたのではない。
予想だにしない姿を目の当たりにし、魂を飛ばしていた。
何をどうすればこんな事になるのだろうか。
いつぞやの時のように、何者かに呪われて入れ替わってしまったのだろうか。
しかし、なぜにこの人の姿。
恨まれるまでには仕事を怠けていないつもりだったには、今日の珍事の原因がわからなかった。
恨まれているとしても、だからといってあの男が姿を入れ替わりたいなどとは思わないだろう。
軟弱だの背が小さいだの女々しいだの、常日頃から罵詈雑言を浴びせている男になって、彼が喜ぶはずがなかった。






「・・・、気付くよね・・・・・・」




 目覚めが良くいつも自分より先に起きだして朝食の支度をしているはきっと、彼を起こす時に初めて異変に気付くのだろう。
性格的には抜けているところもあるが、聡明な娘である。
正反対の生き方をしてきた自分と彼とでは、すぐに違いがわかるはずだ。
いや、わかってもらわねば大いに困る。
とりあえず朝食を済ませたら真っ直ぐ自宅へ行こう。
は慣れない軍服に着替え慣れない髪型を見よう見真似で整えると、彼らしからぬ駆け足での元へと向かったのだった。


























 今まで生きてきて様々な目に遭ってきた。
魔性の輩に心を奪われたこともあるから、ちょっとのことでは驚かない。
たとえ城に魔物が大挙して押し寄せてこようとも、冷静に対処することができる自信があった。
しかしこれはどうしたものだろう。
マルチェロは目覚め、見たこともない華やかな室内と鏡に映る自身の姿に言葉を失った。
おかしい、昨晩は確かに自宅で眠りに就いたはずである、
モシャスを唱えた覚えもないし、そもそもそんな呪文は知らない。
まさか、本来の体には奴が入っているのだろうか。
そう考え、マルチェロは急に我が身が心配になってきた。
性格がまるきり違う人間だ。
あの姿で妙に弾けた行動を取られてはたまったものではない。
マルチェロは素早く身支度を整えるとリビングへ急いだ。
と呼びかけると、キッチンで朝食を作っていた女性が笑顔で振り返る。





「あ、おはよう。1人で起きてくるなんて今日はどうしたの?」

「あいつではない、私だ」

「え? やだ、でしょ。それともなぁに、一人称変えたの?」

「違う、もっと真面目に私を見るんだ





 マルチェロはの両肩をがしりと掴んだ。
他人の姿とはいえ、ここまで近距離で彼女を見つめるのは久し振りである。
相変わらず聡明な瞳をした愛らしい娘だ。
マルチェロはもう一度力強くと呼びかけた。
頬を染め恥ずかしがっている場合ではないのだ。
大体何だ、一緒に暮らすようになってそれなりの年月が経つというのに、まだ頬を赤らめたりしているのか。
あの男のどこが良いというのだ、ここぞという時に好きな女1人守れなかったくせに。




「どこか、いつもとおかしいとは思わないのか。心の目で私を見ろ」

「あー・・・・・・、、なんだか今日はいつもよりも情熱的だね・・・・・・?」

「違う! 私は「に近付きすぎですってばマルチェロさん!!」





 扉が壊れたのではないかという破壊音が聞こえたかと思うと、マルチェロが猛然と部屋に飛び込んでくる。
天地がひっくり返っても見ることができないと思っていたマルチェロの暴走に、は思わず悲鳴を上げる。
一度見て見たいとは思っていたが、実際に見てみると恐ろしいことこの上ない。
この人まで混乱してしまうとは、明日には新たなる魔王が誕生するのではないか。
はマルチェロを見つめたきり硬直しているの背中に思わず身を潜めた。





「ちょっと、どうして僕を避けるの!? 僕だよ!」

、マルチェロさんが、マルチェロさんが変だよ!!」

「落ち着け。・・・・・・まさか、その痴態を外でも晒してきたのか?」

「マルチェロさんこそどうして僕のにそんなに密着してるんですか。誰の嫁だと思ってるんですか」

「不本意極まりないが、この体の本来の主の妻だ。今すぐ私の体から出て行け!」

「それはこっちの台詞です! ていうかまずはから離れて下さい!」





 この口論は何度か聞いたことがある。
の背中から顔だけ出すと、もう一度マルチェロを観察した。
今でもまだ狂乱のマルチェロを視界に入れるのは怖い。
しかし、何かがおかしいことには気付いた。
先程からマルチェロの発言は全て、いつもが言っている言葉のように思える。
そういえば今日は朝からの様子もおかしかった。
こういうもかっこいいなぁと思いときめいていたが、まさか。





「・・・がマルチェロさんで、マルチェロさんがなの・・・?」

「そう! この人マルチェロさんなの、だからちょっと距離置いて、




 じりじりとにじり寄ってくるマルチェロが怖い。
中身がだとわかっていても、怖いものは怖い。
は心の中でに猛烈に謝りながらも、の姿をしたマルチェロの背に再び隠れたのだった。






























 今日の兵士長と近衛隊長はおかしい。
マルチェロは妙に上機嫌かと思えば、近衛隊長の妻の話になれば烈火のごとく怒り雷を落とす。
に至っては厳しくはあるが、理不尽な雷を落とされることも、誰が何の話をしても咎められないようになった。
まるで2人が入れ替わったみたいだと囁かれもしたが、まさかあるまいと事実は捨て置かれたままである。
知ったところで2人が元に戻るわけでもないのだ。
とマルチェロの異変は、部下たちを大いに混乱させただけだった。





「どうやったら元に戻るんでしょうね・・・。僕嫌ですよ、こんな体」

「私とて嫌に決まっている。私の姿をして羽目を外すなとあれだけ言っただろう」

「マルチェロさんこそ、僕の体だからってに変な事しないで下さいよ。あの子そうでなくてもマルチェロさんに懐いてんだから・・・」





 元に戻る方法はに調べてもらっている。
凍てつく波動ができる人に頼めば問題はすぐさま解決しそうなのだが、生憎と近所にそんな大層な特技を持つ知り合いはいない。
マルチェロを連れて竜神族の里へ行くこともできない。
呪われているわけでもなさそうなので、泉に水を飲んでも戻ることはない。
いつまでこの姿でいるのだろうか。
何かの拍子に戻ったりするものなのだろうか。
崖から突き落としたショックで戻るというのならば、迷わずマルチェロをダイブさせるつもりである。




、マルチェロさん! 元に戻る方法見つけました!」





 ぱたぱたとが食堂に駆け込んでくる。
彼女に後についてやって来たのはミーティア姫である。
ミーティアはとマルチェロを交互に眺めると、うふふと笑った。




「あらあら、最近のはそのような真面目な目はしませんよ?」

「さすが幼なじみです姫様! 目を見ても私はマルチェロさんだってわかりませんでした」

「今日のはいつもの3,4倍は男前ですから仕方ありませんね」




 本人の前でどうしてこの女性たちはこうも人を貶せるのか。
名指しで貶されているにもかかわらず、さも当然というようにふんぞり返っているの隣でマルチェロが立ち上がった。
酷いですあんまりです姫様とマルチェロが喚く姿は、直視できないほどに痛々しい。




「それで戻る方法とは何だ」

「おとぎ話でよくある、お姫様のキスを試してみましょう!」

「・・・、おとぎ話に出てくるのは姫ではなく王子のキスだ」

「でも王族には変わりないので、お姫様にキスしてもらったら治るんじゃないかなって」





 あらあらと呟くと、ミーティアは笑顔で男性2人の品定めを始めた。
いくら親友の頼みとはいえ、年頃の娘が男性と口付けを交わすだなんて勘弁願いたい。
しかし、何やら楽しそうではないか。
別に唇でなくともいいのだろうし、たちには今まで散々お世話になってきた。
キスの1つで助けられるというのならば、どうせ2人とも容姿は整っているのだし、ちゅっとやってやろうじゃないか。




。あ、いえ、中身がの方ですよ。大人しくミーティアの前に来なさい」

「僕やだ!! 何が悲しくて姫様とキスなんてするわけ、僕はがいい!」

「ごめんね、私はお姫様じゃないから・・・」

「姫にキスされるんなんらリップスにされた方がまだい「? 国家侮辱罪でその首刎ねられたいですか?」すみません・・・」




 ミーティアの目から笑いが消えた。
リップス以下の唇だと評価されたならば、怒るのも当たり前である。
だって、自分の唇が魔物よりもがさついていて気持ちが悪いと言われたら、ショックで我を失ってメラゾーマを乱射しそうだ。




「・・・でもですね姫様、僕、これでも妻帯者なんですよ。
 そりゃいくら今の姿が彼女いない歴何十年のマルチェロさんだろうと、やっぱりの前でキスされると今後の夫婦生活に支障が出ちゃうと思うんです」


「私はどうでもいいよ? まずはとマルチェロさんの体が元に戻ることが大事だし、戻るんだったらどこにだってキスしちゃって下さい」

「どこにでもというのは困る、私の体なのだからな。額か手か頬にしてほしい」

「マルチェロさんの体だと額が面積広くてやりやすそうだよね。いやー、ほんとすごいよ、この額」




 自らの肉体をこれでもかというほどに貶めているはずなのに高笑いを続けるマルチェロを、が同時に睨みつけた。
これ以上余計な事を言えばその口を潰してやる。
2人の目はそう語っていた。




「中身が変わるといつもの喧嘩も楽しいものですね。さぁでは、ミーティアの手にキスして下さいな。特別にそれで許してあげます」

「・・・キスの趣旨変わってますよね。姫様は今は何にも呪われてないですよね」

「よく考えてみなくても、ミーティアの唇を夫でもない方に捧げてはならなかったのです。でもミーティアの力が必要だというのならば、2人がミーティアにキスして下さい」

「それで治るんなら僕のダメージも少なくて済むけど・・・・・・。じゃあマルチェロさん、とっととやりましょう」

「断る」





 渋々ながらも賛成すると思われていたマルチェロの反逆にたちは顔を見合わせた。
今度は何が嫌だというのだろうか。
戦いも料理もする必要がなかった姫の手は見ての通り美しいのだから躊躇う理由はない。
どうしてですかと尋ねるに、の姿をしたマルチェロははっきりと応えた。




「私が守ろうと思う第一位の人物はいつだって、お前だ。跪き手の甲に口付けを落とす相手は、今はしか考えられない」

「マルチェロさん・・・・・・」





 中身がマルチェロだということはわかっている。
わかっていても、の姿をした状態での騎士発言はときめかずにはいられなかった。
なんだかもう、多少面倒な点も残るが、このままの状態でも案外上手くやっていけるかもしれない。
はこんな事は言ってくれない。
いつも好きだの愛してるの一点張りで、変化球というものを知らない。
うっかりときめいているの手を取ると、マルチェロは何の躊躇いもなく唇を落とした。
キスを拒まれたミーティアと、あまりにも美しすぎる展開に思わず見惚れてしまった本来の旦那が見ている前で。




「・・・ちょ! にやっていいんなら僕もにしたい、ごめん姫様!」

「あらあら、焼きもちですか」




 中身が入れ替わっていても、結果だけを見ればやっていることはいつもと同じだ。
これで2人の体が元に戻らなくても、絶対に自分は力を貸すまい。
ミーティアは自国の姫君よりも一般市民を選んだ2人の男性にわずかばかりの怒りの眼差しを向けると、ふふふと笑った。
がかわいそうだ、訳もわからず巻き込まれて。




「やっぱり他人の体じゃなくて僕自身の体でに触りたいな・・・」

「・・・・・・、私は誰だ」

「え、あ・・・・・・。、2人とも戻ってるよ!」




 ぶすりとした表情でマルチェロを睨み減らず口を叩いていると、仏頂面をして腕組みをしているマルチェロ。
懐かしい光景には思わず叫んだ。
良かった、何がどう作用したのかはわからないが、元に戻ってくれた。
このままの状態でもいいとつい数分前に思っていた気がしないでもないが、やはりこうして見てみると、あるがままの姿に落ち着いた方がほっとする。
はマルチェロの手を取ると上下に振った。




「ほんとに良かったです! もう変な顔したり変な顔口走ってるマルチェロさん見なくていいんですよね!
 私、このままだったらマルチェロさんのこと直視できなくなってました!」


「私も安心した。色々と迷惑をかけたな」

「いいえそんな! マルチェロさんのもちょっとかっこよかったなぁ・・・なんて!」

「・・・僕に対するフォローはないの、・・・・・・」





 変な顔、変な言葉、直視できないと3拍子で否定された夫。
片や、どんな姿になっていてもかっこいいと絶賛されるなんちゃって保護者。
どう足掻いても挽回できそうにない入れ替わり中の事件に、は言い返す言葉を見つけることができなかった。








あとがき

懲りずにやらかした入れ替わりシリーズまさかの第2弾。
私の中でのマルチェロさんは、このくらいのことはさらりと言ってくれるって信じてる。
どうしてマルチェロさんと結婚しなかったのかって思うくらい、2人は仲良しさんです。





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