勇者への路 ２
人は、望んだからといって賢者になれるわけではない。
少なくともアレフガルドの民は賢者一族に生まれなければ一生賢者にはなれない。
しかし異世界では、賢者には血や生まれは関係なくなれるようだ。
異世界とは言うが、勇者たちの世界をまるきり知らないというわけではない。
かつて同じ賢者一族として歩んでいた者が世界を渡り、アレフガルドの叡智を伝えたことは古文書さえ開けばわかる事実だ。
もっとも、この娘は古の血すら引いていないまったくの余所者だ。
長老は行く手を阻んだエルファを見据えると、お前も賢者かと尋ねた。
「ルビスの加護なくして賢者の道を歩むとは、そなたの世界はいかなることか」
「長老、彼女に何を言っている！」
「バースよ、お前もおかしいとは思わぬのか。ルビスの愛をもっとも多く受けるお前と、ルビスの存在すら知らぬ娘が同じ賢者と呼ばれてどうも思わぬのか」
「思うわけがないし、エルファは「バース、今は私に訊かれてるよ」
エルファは長老との間に割って入ったバースを諌めると、長老をじっと見つめた。
気のせいかタスマンに似ているように見えるが、タスマンの方がいくらか優しそうだ。
賢者にもいろいろな考えを持つ人がいて、それは当たり前だ。
エルファはゆっくりと口を開いた。
「確かに私はルビス様のことはバースから聞くまで何も知りませんでした。それに私は、元はとある国に仕えていた僧侶でした」
「ふむ、やはりそなたか。バースが禁術を施した相手というのは」
「・・・私のことです。ルビス様は、アレフガルドに住む人々以外にも祝福を与えて下さる方です。だから私は、あの時ルビスの、精霊の力を使ったバースによって命を救われました」
「さも美談のように語っておるがそもそもあれは人が使うことを禁じられた魔法。それをルビスの加護の証などと、ルビスの教えを破らせた者がよくも抜かす」
「使ってはならないとされた力を賢者が持つのはなぜでしょうか？ 神と人間がまるで違うことは誰もが知っています。
人を愛するルビスは、人間が神の力を使うことによって魔力を長く失い苦しむことを望んだとは思えません。
私は・・・、これは私の推測ですが・・・、たとえ魔力を使い果たしたとしても守りたい、助けたいと思う人が目の前にいる時、
ただ一度でもいいから守らせる力をルビスが授けたのではないかと思うんです」
バースや看病に当たってくれた賢者たちの話によれば、彼らの先祖マイラヴェルはルビスに大いに愛されていたという。
時に竜に姿を変えラーミアと共に天を駆け、人としてアレフガルドの繁栄に力を尽くしてきた不世出の大賢者マイラヴェル。
神々にすらその才能を認められ神として生きるよう促されるも、人としての一生を全うした神に最も近かった人間。
しかしいかにマイラヴェルを愛していようと、己の命を危険に脅かしかねない神の力をルビスが何の考えもなしに与ええるとは思えない。
人の力と命は恐ろしく儚い。
力さえあれば守れたのにと悔やんだことが誤った道へ進ませることも少なくはない。
もちろん力がすべてではないが、時には力に頼らなければならない時ももちろんある。
ルビスは人を愛した。
だから、愛する人が愛する人を守ることができるように力を授けたのではないのか。
リグへ加護と愛の証を授けたのも、彼もまたルビスが愛する人だったからではないのか。
エルファはルビスの他者への愛を認めようとしない長老に、違いますかと問い返した。
「確かに私たちはアレフガルドの民ではありません。でも、言ってしまえば余所者にすぎない私たちのこともルビスは守ってくれました。
私たち、いいえ、リグにアレフガルドを託しました」
「小娘風情が何を知ったような口を！」
「エルファの言葉は真理だと俺も思いますが、長老」
「バース、よもやお前までも」
「賢者は万能ではない。それは祖マイラヴェルの頃からわかっていること。・・・俺は思うのです。リグは、ロトではないかと」
ロトという言葉に長老が目を見開き、賢者たちがざわつく。
俺がロトって何だよ。
リグの問いにバースは小さく口元を緩めると、勇者ってことだと答えた。
勇者、ロト。
それが人名なのか称号なのかもわからないままそう呟いたリグは、ふと感じた違和感にわずかに眉を潜めた。
勇者と呼ばれることは慣れているし今更言われるまでもなく勇者のはずなのだがなぜだろう。
今はまだ、勇者であって勇者でないような気がした。
「ラーミアに認められ賢者からの願いを託され、そして、ルビスの愛に触れたリグはまさしく大地を救い魔王に打ち克てる勇者ロト。
俺は予言者ではないが、これだけは確信しています」
「しかし、いや、だが・・・」
「俺たち守護賢者の使命はルビスの愛を乞うことではなく、母なる大地アレフガルドを守ること。そして、代々受け継いできた知識と力を時の勇者のために使うこと」
誰よりも長く生き、誰よりも生きた知恵をお持ちのあなたならわかるはずです。
バースが台座に手を伸ばす。
今はもう、誰一人として行動を遮る者はいない。
これだけ諭してもなお抵抗する者がいれば実力行使も辞さなかったが、神殿を同胞たちの血で汚さなくて良かった。
バースは聖なる守りを手に取ると、リグの前へとゆっくりと歩み出た。
これは紛れもない、お前へのルビス様の愛だ。
再びリグの手の中に戻って来たルビスの愛の証は、ずっしりと重く感じた。
良くも悪くも、神殿でのお守り騒動でバースの賢者一族における地位は確たるものになったらしい。
誰もがバースを次の当主と仰ぎ従うようになったのは、おそらくはいいことなのだと思う。
お家騒動ほど醜く生産性のない争いはない。
リグは搬入当初よりも更に風通しの良くなったバースの広大な実家で、暇を持て余していた。
魔法を操る賢者たちの家に剣士の居場所は無きに等しい。
師となる者もおらず、教えを乞う者もいないここでは自分やライムは完全に部外者だ。
そうぼやいていたらエルファにリグもライデインの特訓すればいいじゃないと誘われたが、生憎と魔法の修行に励む予定はない。
ルーラさえ使えればそれでいい。
幸いルーラはアレフガルドに来ても変わらず使えるから何の問題もない。
リグは神殿の入口に立つと、改めてぐるりと周囲を見回した。
バースとエルファは今は魔力を高め呪文の精度を上げるための修行をしている。
ルビスの塔でのプローズの力を目の当たりにし、このままではいけないと奮起したのだろう。
あれに近付くことは即ち狂気に触れることのような気もするが、エルファはともかくあのバースが珍しくやる気になったのだから余計なことは言わないでおく。
いい加減マヒャド以外の呪文もまともに唱えてほしかったのだ。
これを機にイオナズンもぜひ精度を上げてもらいたい。
「あら、リグも迷子？」
「自分の居場所が見つかんないんだよ。ライムはわかる？」
「まさか。・・・ここには来たの初めてだけど、バースと彼はここで育ったのね・・・。すごいお坊ちゃまだったのね、２人とも」
「世間知らずの道楽馬鹿息子ってほんとにいたんだな。ああいう奴らでも天才って呼ばれるこの世界すごいよ」
「そうね。この世界は本当に、私たちが知らないことがたくさん。ルビスのことも賢者のことも、そして、いろんな才能のことも。
ここはとてもいい所だと思うけど、私には少し合わないかな」
「魔力的な意味で？」
「それもあるけど・・・。私にとってここに来るって言うのはまだ少し早い気がするの。私はまだ、プローズのことをほとんど知らないから」
「実の弟よりもライムの方がよっぽど詳しいと思うけど」
上手く言葉にできないが、賢者一族にはまだ隠された何かがあると思う。
それを知ることが決していいことなのかわからないが、少なくともプローズは自分に知られることは許してくれそうだ。
だから、その時が来るまではこの世界にはまだ触れないでいようと思う。
リグはライムの横顔を見つめると、ふっと息を吐いた。
昔からライムの洞察力の高さには驚かされてきたが、アレフガルドにやってきてから更に鋭くなった気がする。
豊富な魔力を持ち強大な呪文を操るアレフガルドの宝とも言われる賢者たちよりも、彼らの心をも見通してしまうライムの方がよほど神に近いように感じた。
さすがは不死鳥の加護と賢者の祈りを受けただけはある。
リグの目には、ライムは人ではないように見えた。
「凡人は凡人らしくやるか。俺、今度こそまともに温泉浸かりたいんだよ」
「いいわね、湯治しましょうか」
今度はもう、二度とライムと離れるものか。
リグはライムの隣に立つと、歩幅を合わせ歩き始めた。