時と翼と英雄たち

ランシール    1





 悪夢に眠りを妨げられたエルファが目覚めたのは、見慣れた船室だった。
ルザミでリグから正体不明の呪文をかけられて、頭が錯乱状態に陥っていたのだ。
頭の中で在りし日のバースと王女が浮かんでは消えていく。
最後にちらりと現れた男には悪寒さえ感じた。
記憶はなくても本能的にその男を恐れていた。
それがいったい誰なのかはわからなかったが、彼が過去に何らかの影響を及ぼしていたことは明らかだった。






「エルファ、起きたの?」




 控えめにドアがノックされ、ライムが入ってきた。
ルザミでおかしくなって彼女に介抱してもらっていたのだが、力尽きてしまったのだ。
それから何度か寝起きを繰り返していたが、リグの呪文の後遺症で本調子には程遠い状況にあった。
メラゾーマよりもイオナズンよりも恐ろしいのはリグだと思ったものである。





「今日の調子はどう?」


「もうだいぶ。・・・リグはどうしてる?」


「海賊船に避難してる。でもそろそろ呼び戻さないといけないわね」





 避難という表現にエルファは小首を傾げた。
手段はともかく入手した宝珠の言霊を分析すると、次のオーブはランシールという町にあることがわかった。
しかしアイシャ率いる海賊団はそこまでは同行できないので、途中で別れることになっていた。
そんな慣れ親しんだ彼らと別れを惜しむのならわかるが、避難とはどういう意味だろうか。
エルファの疑問は数秒後に発生した大きな横揺れで解決した。
そうか、彼が舵を握っているのならば致し方ないだろう。
ついぞ操舵能力に恵まれなかったバースは、習い初めとほとんど変わらないレベルをキープし続けていた。
将来上手くなる可能性も限りなくゼロに近いという。
リグが絶望して逃げ出したくなる気持ちもすぐに納得できた。
さすがに自分は一生懸命努力しているバースを見捨てることはできないが。






「せっかくお姉さんに会えたのに、寂しくなるね」


「そんなことないわよ。だって、元々は諦めてた実の家族だもの。会えただけでも私は嬉しかったわよ」





 ライムの言葉に偽りは感じられなかった。
それに、レーベの両親を愛している彼女だ。
実の姉と再会したことでその絆が切れようはずもなかった。
エルファはライムと共に操舵室へと向かった。
バースには申し訳ないが、そろそろ本気で交代してもらわないと船酔いしてしまう。
それに、リグも帰って来ないという非常に困る事態にもなってしまうのだ。





「バース、私と交代しましょ。あんまり根詰めてやって上手くなるものでもないし」


「お、ライム。てことはエルファも復活したのな。良かった良かった」
 

「心配かけてごめんねバース」


 バースはくしゃりと笑うとエルファの髪を優しく撫でた。
その手が冷たいことにエルファは気がついた。
顔を見ると自慢(?)の美貌が少し青白く、不健康さを醸し出していた。
舵をゴールドドライバー・ライムに任せて甲板へと出ると、エルファは不安げな表情を隠さずにバースに詰め寄った。





「バース無理してるよね。顔色悪いし手は冷たいし」


「あっはは、・・・、まぁほんの少しだけ。思ったよりもリグの呪文が強力で不意打ちみたいな」


「・・・私はまだバースのこと全部思い出せてないから自信はないけど・・・。
 ・・・その、昔賢者やってた頃の勘が戻るまでは、どんどん私を頼ってね。もちろんずっと頼りにしてほしいけど・・・」






 バースはエルファの歯切れの悪い言葉にほんのり苦笑した。
本当は笑いごとではないのだ。
己の未だに戻っていない力を指摘されていた。
彼女がすべて、当時の記憶としてはおそらく最後になるあの場面を思い出したとは思えない。
しかし、同じ賢者業でも今と昔では強さに大きな違いがあることには気付かれてしまった。
素直にエルファの洞察力を褒めることはできそうになかった。





「俺はいつだってエルファを頼りにしてるよ。でも男としちゃ、いつでもどこでも女の子に頼りっぱなしってのはかっこ悪いんだよな」


「格好なんてつけなくてもいいんだよ。それに、わざとかっこつけてる人はすぐにわかっちゃうもんだよ」


「そりゃすごい。ま、俺は素の自分を見てほしいから下手な小細工はしないけど」





 堂々と宣言するバースにエルファは思わず吹き出した。
軽々と海賊船の船べりに飛び移ったバースが手を差し伸べる。
躊躇うことなく彼の手に自分のそれを重ねると、妙に懐かしい気分になった。
もっとずっと前からこの柔らかさを知っていた。
今ほど冷たくはなかったが、よくこうやって手を重ね合っていた。
記憶は心だけじゃない。戻ってきた過去は、バースの手の温もりという体の記憶だったのだ。
そう気づき、エルファはとても心が温かくなった。
嬉しくてたまらなかった。




「バース、私思い出したよ」


「今このタイミングで? 器用になったもんだなー」


「昔もバースとよく手を繋いでた時の温かさ。心じゃなくて、体の記憶なの!」





 バースの目が大きく見開かれた。
一度静かに瞳を閉じる。
そして再び目を開けると、繋いだままのエルファの腕を引っ張りその身体をふわりと抱きしめた。
突然の抱擁に驚いたエルファだったが、抱き締める彼の身体が小刻みに震えていると知ると、彼の背にそっと片手を伸ばした。
過去は思い出しきれていない。
しかし、身体を包み込む懐かしい温もりにエルファはこの上もない幸福感を感じていた。





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