空から降ってきたのは、運命の人でした。










     1.雨雪以外はお断り










 昨日は随分と忙しかった。
人々は妙に浮き足立っていて、城下町を見回る兵の数もやけに多かった気がする。
いつも賑やかな町だが、昨日のそれはどちらかといえばざわざわとした物々しさの方が近かった。
実のところ何が起きていたのかは、足しげく通ってくれる常連たちも話してはくれなかったので今も知らないままなのだが。




「うぅわ、まだ酒くっさ・・・」




 今日はいつもよりも入念に洗った方が良さそうだ。
幸い今日は天気にも恵まれていて、雨をもたらしそうな雲もひとつとして見当たらない。
絶好の沐浴日和だ。
は清らかな水を絶えず落とし続ける滝の傍へと足を進めた。
ぱらりと、水に混じって石のようなものが落ちてくる。
崖の上がどうなっているのかは知らないが、これだけ大きな滝だ。
長い間激しく流れ続けたことにより地盤が少しずつ削れているのだろう。
今はまだ石ころ程度だから当たったところでどうということはないが、そのうち大岩が崩れてきたりする日も来るかもしれない。
願わくば、水浴びの時と被りませんように。
そう呟きながら体を沈めたはふと、頭上を見上げた。
何かが落ちてきている。
それが何かは見えないが、ものすごい速度で滝壺めがけて降ってきている。
つい数秒前に大岩が落ちませんようにと神に祈ったというのに、うっかり間違えて疫病神に祈りを捧げてしまったのだろうか。
これだから神様というのは目に見えなくて困る。
何はともあれ、神頼みが当てにならないとわかった以上は自力でどうにかするしかない。
はみるみる迫ってくる落下物をぼうと見上げた。
逃げなければぶつかるとわかっているのに体が動かないのは、かつてない危険を前に対処する術を体も頭も知らないからだ。
駄目だ、死んだ。
誰かに看取られるでもなく、溺死か衝突による失血死あるいはショック死で死んだ。
脳裏に蘇るのは、思い出せる限りの記憶の数々だ。
楽しかった思い出も忘れたくても忘れられない思い出も、浮かんでは水飛沫とともに消えていく。
あれ? 私思ったよりも思い出少なくない?
もう少し何かあるはずだとない思い出を絞り出すべくしゃがみ込み頭を抱えたの目の前で、ばっしゃあああんと盛大な音と共に水柱が上がった。






「あー終わったー死んだーーー!」




 痛みも何も感じないのは、即死だったからだろう。
あの世もこの世もまるきり同じ景色だが、もしかして大樹経由で瞬間転生してしまったのだろうか。
早い、早すぎる。
死んだ瞬間別の誰かとして新たに生を受けて同じ場所に来るなんて、大樹の仕事が早すぎて過労を疑ってしまう。
は水柱の衝撃で思わず尻餅をついていたことに気付き、そして目の前にぷかぷかと浮かんでいる先程まではなかった何かを見つけて、ゆっくりと腰を上げた。
おそらくこれが落下物の正体だろう。
生まれ変わって早々珍妙な取得物をしてしまうとは、今度の人生もろくでもなさそうだ。
生まれ変わったにしては前世の記憶が鮮明にあるが、死ぬ前も記憶力は抜群に良かったのできっとその名残だろう。
走馬灯の数が少なかったのはあれだ、突然の死を前に気が動転していたからだと思うことにする。
は落下物に近付こうとして、足で石ではない柔らかな何かを蹴飛ばし首を傾げた。
沈んでいるものもあるらしい。
浮いているものよりも、沈んでいる方がお宝の匂いがする。
何を蹴飛ばしたのかも気になるし、先にこちらを引き上げた方が良さそうだ。
は水底に膝をつくと、沈んだ何かへと手を伸ばした。
得体の知れない物をつかむのにはなかなかの度胸がいるが、宝なんてものは多少の無茶と度胸がなければ手に入れられないものだと生前知り合った誰かも言っていた。
水を大量に吸ってしまいなかなか引き上げることができないまだ見ぬ秘宝に苦戦していたは、もうひとつの正体不明の落下物の存在を完全に忘却していた。









「鳥の落とし物ならやっぱり光りものかなあ。でも宝石にしては固くないし、んー・・・」
「て、めぇ・・・!」
「へ?」





 自分の身に何が起こったのか、まったく理解できなかった。
引き上げ作業中だったはずの体はいつの間にか仰向けに押し倒され、挙句逃げられないようにか馬乗りにされている。
今までここで人を見たことがなかったのでこっそり堂々と服を脱ぎ捨て水浴びをしていたのだが、知られてしまってはもうおいそれとは脱げない。
というか今も何も着ていない、生まれたままの姿だった。
おそらくそれはスピード転生を果たした今も同じ状況だろうし、まずい、また終わった。
は首元に突き付けられた水の冷たさとは明らかに異なる殺気を孕んだ冷やかさを感じる凶器に、再びの死を覚悟した。
生き恥を晒すような生き方を強いられるなら、いっそ殺してくれとも思う。
はよほど警戒しているのかはたまた荒れているのか、馬乗りになったまま今にもこちらを殺そうとしている男を、顔を覆っていた腕の隙間から覗き見た。
空に溶け込むような鮮やかで爽やかな空色の髪と鋭い瞳には見覚えがある。
この記憶力、もしかして私ってば実はまだ死んでないんじゃないかなと思うほどにそれはもう、走馬灯にもご出演いただいた人物だ。







「・・・いやこれ一番駄目なやつだ、はっ・・・死んだわ。いいよもう今度こそマジで死なせて」
「てめぇふざけたこと言いやがっ・・・・・・マジか」






 落下物もとい暴漢(仮)も覚えておいてくれてなによりだ。
ちっとも嬉しくない。
は男が飛び退ったのを確認するとむくりと体を起こし、はあとため息をついた。
首には未だにひんやりとした感覚が残っているし、なんなら押さえつけられていた右胸にも手形らしき赤い跡がうっすらと残っている。
もう一度水浴びをし直しても落とせない後味の悪さだ。
は沈んでいた何かをずるずると水中から引き上げた男を見やった。
どうやら先程蹴飛ばしたのは人間だったらしい。
ますます後ろめたい。
は肩を震わせ大きく息を吐いている男の隣にしゃがみ込むと、ぴくりともしない要救護者の両手をぎゅうと握り締めた。





「何してんだよ・・・」
「そんな思いしてまで助けたい人なんでしょ。だったら死なせちゃ駄目じゃん」
「お前には関係ないだろ。ていうか服、まずは服を着てくれ・・・」
「今は手が離せないから無理。それに見慣れてるでしょ」
「・・・・・・」
「あー駄目、もーーー」





 知らなかったとはいえ、生死の境を彷徨っている人物を蹴飛ばした罪悪感はある。
それに助けられる命ならば長く生きられた方がいいに決まっている。
生かしたいと思いここまで頑張ってきた向こう見ずな男もいるのだ。
は少年の顔に手を添えると、躊躇うことなく唇を合わせた。
何度か空気を送っていると、げほげほど咳き込み始める。
ここまでやればとりあえずはひと安心だ。
はようやくまっとうに自発呼吸を始めた少年を見届けると立ち上がった。
もう大丈夫だよと声をかけるべく振り返ると、直後にふわりと肩から服をかけられる。
気にしていたら普通でいられなくなるからと強烈な自己暗示をかけていたが、どうやらそれもここが限界らしい。
みるみるうちに顔が熱くなってきたのがわかり、堪えきれずにしゃがみ込む。
訳ありの知り合いを前にしてだったが、今更ながら恥ずかしくなってきた。
年頃の女が年頃の男にあられもない姿をしかも野外で晒すなど、今こそマジで殺してもらった方がいいかもしれない。





「・・・ようやくその反応かよ。相変わらずマイペースが過ぎるぜ」
「今更で申し訳ないけど、殺してくれる? お願い人助けだと思って」
「今は時間がない。・・・ありがとな、お前は勇者様とオレの恩人だよ」
「は、勇者様・・・? えっ、まっ、カミュ」
もとっととずらかれ! あ、そうだ、もうここでんなことするなよ!」





 勇者って、もしかしてあの勇者なのか。
本当の本当に見つけちゃったのか。
は勇者をひょいと抱え森の中へ消えていったカミュの背中を、見えなくなるまで見送っていた。






見守りたかった人、正直に手を挙げてほしい






目次に戻る