6.特別手当にご用心










 客単価が下がっている。
店を訪ねる客の数や顔ぶれはそう変わらないのに、落としていくゴールドの額だけ下降線だ。
帳簿なんて小難しいものは読めないしそもそも見たことすら数えるほどしかないが、夜毎オーダーを取っていればわかる。
ワイン片手でないと飯が食えないと嘯いていた自称エリート看守様のここ最近のお気に入りは、ずばり水だ。
水が悪いと言っているわけではない、
水も美味しいものは葡萄酒の如しと言うし、もしかしたら彼もエリートを名乗るだけはあるのでただの水もワインのそれと同じ香りとして楽しめる舌の持ち主なのかもしれない。
生憎とこちらは水は水としてしか味わえない平凡な味覚しか持たないので、彼らの見え透いた強がりにはへえーとしか返せないのだが。





「やっぱ悪魔の子捜しで夜通し飲めるような緩さがなくなったから?」




 デルカダール下層の知る人ぞ知るアイドル犬に尋ねても、答えなんて出るわけがない。
はドラコにレッドベリーを差し出すとわんとも鳴かないドラコの代わりにうーんと呻き声を上げた。
生きていくためのお金を稼ぐというのは、とても難しい。
贅沢はしないにせよ、ボロを纏い霞を食べていけるわけでもないので、最低限の文化的生活を送るためにはそれなりの軍資金が必要になる。
ドラコだって、犬嫌いの見張り番を壁際まで吠えたて追いやる仕事で生計を立てているのだ。
多少店の経営が傾きつつあるからと言って、めげているわけにはいかない。
客足は絶えていないのだ。
下がった単価はまた上げさせればいい。
新しいメニューを出したり広告を打ち出してみたり、店内を小奇麗に改装してみたり。




「いや駄目じゃん、先立つもののお金ないじゃん」




 店主はいるだけでいいんだよと言ってくれはするが、人形ではあるまいし本当にいるだけでいいはずがない。
下層の軒下暮らしなんてもっての他だからうちに住みなさいと、倉庫の一角を住居として宛がってくれた恩もある。
脱獄騒ぎで無断欠勤した時もお叱りひとつなかったし、以前からうっすらと勘付いてはいたが、やはり店主は天の使いなのかもしれない。
天の使いが若い美形ばかりとは限らない。
ロマンスグレーなおじさまだって天の使いでいいじゃないか。
その昔は好き嫌いをする兵には厳しく当たる城のシェフだったとか聞くが、そんなものは食べ残しをする方が悪い。
草木も凍てつく極寒の地でかじかんだ手でようやく掘り起こした腐った木の根より不味いものが、この世にあるわけがないのだ。
あの味は今でも覚えている。
大樹に還るのではないかと人生で二度目に思った月のない夜だった。





「わん! わん!」
「あーごめんねードラコ。じゃあお勤め行こっか、今日もよろしく!」





 ドラコに今日も威勢よく吠え立てられた見張り番が、今日もひええと変わり映えのしない悲鳴を上げ持ち場から逃げ去っていく。
彼の不出来な仕事ぶりを職場で愚痴ってもいいが、仮にそうしたところでこちらにメリットは何もない。
下層のマドンナダイアナに弱く、犬にも金にも弱い彼が見張り番としての職務を全うしていないからこそ、この国は歪ながらも成り立っているのだ。
ホメロスが知ったら、きっと彼は下層よりももっと低いところへ追いやられている。
将軍として忙しい日々を送っている彼に具申するには軽すぎる内容だ、やめておこう。
は中層への通路をのんびりと通過すると、金策を考えながら夜の職場へと歩き始めた。



































 食べ物に好き嫌いはない。
今でこそその日食べるものを決めることができるが、それができるようになったのはここ1,2年のことで、それまでは選り好みどころか食べることすら怪しい生活だった。
食べられるものならばなんでもいい。
いや、たとえ人々が口にすることを躊躇うような代物でも、死なずに済むものであれば迷わず口に入れていた気がする。
今だってレッドベリーはそのまま食べるし、たった一晩のたちとの冒険で食べたキャンプ飯も美味しくいただけた。
むしろ、最近の野営での食事はこんなに美味しいのかと驚いたくらいだ。
今なら各地のキャンプ地を巡りながらの旅もできそうな気がする。
聖水をばらまき、魔除けの聖印とかいうありがたいお守りを身につけることが大前提にはなるが。





「行くならここって当てはあるのかい?」
「うーん・・・」
「ここに来るまではあちこちを転々としていたんだろ? だったらここが良かったとかひとつくらいあるだろうに」
「別にいいとこ巡ってたんじゃないから。私は兵士さんたちみたくきちんとした生活してるわけでもないし」




 その生意気さ違いねえといい豪快に笑い飛ばす常連デルカダール兵たちは、ほとんどが市井出身の下っ端だ。
万事に厳しいらしいホメロス隊として働き、くたくたになった体で非番を迎えると店を訪ねてくれるそれなりに付き合いの長い人々だ。
給料日でもない限り派手な散財はしてくれないが、世間知らずだったこの身に城下町のイロハを指南してくれたのは彼らだった。
お高く止まっているように見えなくもないホメロスだが、彼が率いる兵たちのほとんどは努力と実力でその地位を得た者ばかりだ。
そのおかげで若い頃は理不尽な任務も多かったらしいが、それらもすべてやり遂げ自らもまた将軍という大任を手にしたのだから、
ホメロスも周囲以上の努力を重ね続けた人なのだと思う。
驚くほどに昔話をしてくれない彼だから、過去の武勇伝は人伝に聞くしかないのが惜しくてたまらない。
悔しいので、こちらも知る限り一等かっこいいみんなのアイドルホメロス将軍のエピソードは内緒にしているが。





「そういやお前、あれ渡してやれよ」
「えっ、ここでか? でもよくよく考えるとこういうのホメロス様にばれたら俺の首・・・」
「なになに? チップ?」
「あーええと、うちの実家が港町で、この間帰省してて」
「しばらくお店来なかったもんね、寂しかったあ」
「ほほほほんとに!?」
「もちろん! お客さんが来ないとお店立ち行かなくて超悲しい」
「そっそれで! うちの街の名物がスイーツでこれ、キミにその・・・」
「くれるの? 私に?」




 帰省先で季節外れの風でも引いたのか、小刻みに震えている手から小さな包みを受け取る。
中には小さくてころころとした白い何かが入っている。
一粒摘み口に入れたは、生まれて初めて味わった甘い食感に頬を両手で包み込んだ。
好き嫌いできる環境にいなかったから死なないもの以外はなんでも食べるが、実はデザートは大好きだ。
レッドベリーのように酸味があるわけでもなく、ただただひたすら甘い香りが口いっぱいに広がり一瞬で幸せな気分になる。
これは一度に食べきってしまうにはもったいなさすぎる、傷む前に少しずつ食べよう。
はこちらの反応をちらちらとずっと窺っていた兵に、満面の笑みを向けた。





「すごく美味しい! ありがとう、素敵な街に住んでたんだ」
「ダーハルーネって言って、デルカダールとも商船がよく行き来してるんだ。貿易で栄えてる街だから世界中の食べ物も集まって、それで豊かな食文化・・・って難しかったかな」
「うん、全然わかんなかった。へえダーハルーネ、行ってみたいなあ。船で行けるの?」
「民間向けの定期船も出てるはずだよ。キミにあげたのは日持ちするものだけど、向こうに行ったらケーキやシュークリームも山ほど食べられる」
「シュークリーム! 想像もできないけど美味しそう! いいなあ、よし行こう。マスター私ダーハルーネ行きたい!」





 思い立ったらすぐに行動しなければ、時間はあっという間にこちらを置き去りにする。
定期船が出ているならば向かうのは容易い。
この間きつくお灸を据えられたことはもちろん覚えているしあまり心配をかけたくもないが、今回は単身ではなく集団で向かうのだから危険も少ない。
確か定期船には用心棒の類もいたはずだ。
なんだ、少しどころかちっとも危険なところがないではないか。
ひょっとしたら下層よりも治安がいいかもしれない。
そうと決まれば今夜から早速荷造りだ、お金はどれくらい持って行けば足りるのだろう。
客そっちのけで渡航計画を立て始めたを、常連たちが生暖かい目で見守る。
変な焚き付け方をしてしまったが、本当に出て行ったりはしないかと気が気でない。
つい先日上司の機嫌がすこぶる悪かった理由はだ。
彼女が何をやらかしたのかはわからないが、早朝城の自室へと帰ってきたあの日のホメロスはそれはもう酷かった。
それほど心配ならもっと目の届くところへ置いておけばいいのに、なぜ彼はそうしないのだろう。
ホメロスの口利きがあれば、この国ならば何でも好きな仕事に就ける。
下層でのならず者たちの相手も辞めさせればいいだけだし、彼女の自主性に任せていると、このままではきっといつかお互いのためにならないことが起きる。
例えば誰とも知れない男が彼女を横から攫っていったり、ふらりと出かけた先で事件に巻き込まれたり。
次の目的地らしいダーハルーネは治安もいい所なので心配はないが、用心するに越したことはない。





「ホメロス様には出かけるって伝えるんだよな・・・?」
「言ったら絶対に駄目って言われる上に怒られるってわかってるのに、どうして言うの? 平気平気、定期船に乗ってみんなで行けば怖くなーい」





 船旅をするのは久し振りだ。
デルカダールに連れて来られた時は船に乗ったから、それ以来だ。
船酔いをする性質ではなかったと思うが、一応酔い止めは用意しておいた方が良さそうだ。
悪魔の子のせいだとは思わないが、近頃の海が荒れっぽいとは兵たちも言っている。
もしも海に投げ出された時は潔く諦める。
泳法は急ごしらえで身につけられるものではない。





「いーい、このこと将軍には内緒にしてよね。言ったら次からぼったくる」




 ダーハルーネでスイーツを味わってから改めて考えるが、この店でその手の新メニューを提供するのも集客力アップに繋がる高要素だ。
よし、これで渡航の言い分も完璧だ。
は閉店時間となり店を後にする客たちを見送ると、荷造りを始めるべく倉庫へと降りていった。






え? 私がいないのが売り上げ減の原因なの?






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