16.花も心もやがて潤う






 は心配していた。
の調子がおかしい。
彼女愛飲の特製ジュースの材料をかき集め進呈しても、一向に調子が上向かない。
ほんの数日前まで「これを飲むと調子がいいのよ!」と豪語していた明るさは影を潜め、今ははあと憂鬱なため息ばかり吐いている。
ありがとうとしおらしく微笑む表情はまるで、水不足で萎れた花のようだ。



「まあその喩え、喩えじゃなくてマジなんだけどな」
「カミュうううう」
「あーわかったわかった、には何も言ってないって!」
「そんなに気にすることないわ。ちゃんの魅力はこれっぽっちも減ってないんだから!」
「そうですわさま、気に病まれないで下さい。お姉さまは体ごと縮んでしまいましたが、こうして元気いっぱいです」
「そうよ、あたしの劇的変化に比べれば、むしろの胸だけ小さくなったことに気付いたカミュがよっぽど変態なだけよ」
「ベロニカああああ」



 シルビアたちの優しさが、小さくなった胸に沁みる。
減るもんじゃないという言葉があるが、実は減るのだ。
誰の癒しにもならないであろうハンフリーの大胸筋に吸い込まれたのだ。
とのエキシビジョンマッチでも、の背中越しに映るハンフリーの豊かな胸ばかり睨みつけていた気がする。
ちゃんの熱い視線のおかげで勝てたよと屈託笑うの心の、なんと清らかなことか。
せめて彼にだけは、我が身に起こった不運を知らせたくない。
に余計な心配をさせたくない。
彼は心優しい勇者なのだ。
仲間の胸がワンサイズ萎んだ程度のことで、彼の胸まで痛めさせるわけにはいかない。
大丈夫、こちらからボロを出さなければは気付かない。
カミュがせっせと差し入れてくれる草と豆を食べれば、ワンサイズどころかツーサイズアップも夢ではないはずだ。
そう思い密かに筋トレにも励んでいたというのに、その秘密の特訓が今崩壊した。
の澄んだ瞳が、真っ直ぐこちらの胸へと注がれている。
服を着ているのにとても恥ずかしい。
そんなに凝視しないでほしい。
耐えきれなくなったは、ばっと胸の前で両腕を交差させた。



「なんでもない! なぁんでもないから気にしないで! そんなに見ないで!」
「でもちゃん、今胸がって・・・」
「そ・・・そうっ、ダイエット! ダイエットの成果出たかなあ・・・とか!」
ちゃん、隠さなくていいんだよ。僕も協力するから一緒にがんばろう?」
・・・勇者様みたい・・・」
「おう、は正真正銘勇者なんだけどな」



 はて、はいったいどのような協力をしてくれるのだろう。
食べ物の更なる差し入れ、新しいサイズの服の身長、もしかしてぱふぱふ?
は両手をグーパーして気合を入れているを見つめ、首を捻った。





















 これがユグノア、ここがの生まれ故郷だというのか。
この世に生を受けた者には、必ずどこかに生誕の地がある。
その認識が本人にあるのかどうかはさておいて、勇者出生の地がユグノア王国というのは有名は話だ。
世が世であれば国民皆こぞって2階の窓から国旗だのを振り王子の帰還を盛大に迎えるだろうに、今この地で待っていたのは無数の瓦礫と、我が物顔でのし歩く魔物ばかりだ。
話に聞いていたよりも、ずっと酷くてずっと寂しい。
は、瓦礫と魔物に踏み潰され無残に散った花だったものにそっと触れた。
高熱に晒されていたのか、触れた瞬間に花が音もなく崩れ去る。



「うぅわ、ひっど・・・」
「16年前、世界一の歴史を誇るユグノア王国は魔物の大軍勢に襲われたった一晩で滅びたそうよ・・・。ユグノア王や王妃・・・、そして、偶然訪れていたデルカダールの王女様も魔物に殺されたと聞いているわ」
「へえ・・・」
「ちょっと、あんたまさか知らなかったの?」
「いやいや、そのくらいは知ってるって。小さいのに滅茶苦茶おてんばなお姫様だったって将軍とかグレイグ将軍から聞いてたし・・・」
「お前、デルカダール寄りの情報吹き込まれてないか? 洗脳とかやりそうな奴だったしな、あいつ」
「将軍は私にはそんなことしないもん!」



 他の人にはどうだかわからないけれど、と言いかけて口を噤む。
ユグノアを滅ぼしたのは間違いなく魔物だ。
魔物でなければこんな惨状にはならない。
ユグノアが滅び、デルカダールの王女が喪われたのは勇者であるが生まれたからなのだろうか。
勇者の誕生を恐れた魔物たちが、まだ赤子のを抹殺するために大軍勢を寄越した?
だから、祖国が滅亡するに至った理由であるは呪われし悪魔の子となってしまった?
ふざけた話だと思う。
ろくな学もない一介の酒場の看板娘でも彼らの道理に無理があることがわかるのに、世界の、いや、デルカダールの王たちは何を血迷っているのだろう。
洗脳されているのは国王たちなのではないかと疑ってしまう。



ちゃんはあの人たちのこと、信頼してるんだね」
「うう・・・ごめんね」
「いいんだ。そんな人たちのところからちゃんを攫ったのは僕たちの方だし、今は一緒にいてくれるだけで嬉しい」
たちと旅してると、将軍たちがなんか変だなって思うことはあるよ。あるけど、それはそれとして将軍いなかったら私確実に野垂れ死んでたし、ここまで健康的に育ててくれたのは将軍だから、なんかこう、もっと決定的なことがあれば将軍離れできるんだけど・・・」



 そんな出来事は、起こらない方がいいに決まっている。
どんな粗相もトラブルも盛大なため息とお説教だけで済ませてきたホメロスと訣別してしまうほどの何かなんて、きっと2人の間だけでは収まらない大きな事件のはずだ。
は辛うじて生き永らえている草花に、そっと手をかざした。
大地に、息吹を。
萎れていた花が、ほんの少しだけ首をもたげた気がした。






















 が悪魔の子に洗脳され攫われたとの第一報を受けた時、初めに浮かび上がったのは疑念だった。
ホメロスは、を実の子どものように可愛がっている。
ホメロスからの様々な愛情を溢れ出るほどに注がれていることに気付かず、彼の名を呼ぶことすらしないの無神経さに腹を立てている狂信的なホメロスファンもいるほどだ。
もっともこちらはこちらで、『お前ばかりグレイグ将軍グレイグ将軍と名前を呼ばれ苛々する』と、理不尽な八つ当たりを受けていたのだが。
贔屓のホメロスが、果たして易々とを悪魔の子一行に奪われるような下手を打つだろうか。
確かには頭が決して良くはない。
だが、デルカダール下層で逞しく生活する度胸はあるし、生き抜くための知恵は身につけていた。
ホメロスはむしろ、甘やかしすぎていたようにさえ思える。
は、彼女の意思でホメロスから距離を置いたのではないだろうか。
あるいは、悪魔の子の甘言を甘言とわかった上で、伸ばされた手を振り払わなかったのではないだろうか。
知り合った時から、彼女は変わった子だと思っていた。
拾われる前のことを何も話さない、誰も知らない。
訊こうともしなかったホメロスの心を操っていたのではないだろうか、彼女が常備しているその辺に生えている草を調合することで。
一度勧められて飲んでみたことがあるが、あの味は酷かった。
何がどうなっての膝枕で介抱されていたのか記憶が定かでないほどに、人勢で初めて味わう未知の味がした。
やはりお前もやられたかグレイグ、鍛錬が足りないようだなと豪快に飲み干し鷹揚に笑っていたホメロスの命知らずの胆力に恐れ慄いたくらいだ。
ホメロスは、を見つけ次第連れ戻せと言っていた。
奪還できたとして、彼はをどうするつもりだろう。
事ここに至っては、いくらホメロスが庇い立てしようと今まで通りの生活は送れないはずだ。



「グレイグ様、見えました」



 グレイグは闇夜に飛び立っていった無数の蝶の群れを見送ると、表情を引き締めた。
あれは確か、ユグノアに伝わる鎮魂の儀式だと本で目にしたことがある。
悪魔の一族が今更何をと思わないでもないが、死んでいった国民たちに罪はない。
弔ってくれる者がいることで、彼らは新たなる生へと旅立つことができるのだ。
間違いない、悪魔の子たちはここに居る。
グレイグは無言で大剣を天に掲げた。
軍勢が、音もなく動き始めた。






「ていうかなんでお姉さんは減ってないの!?」「は?」




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