ソルティコやダーハルーネとは違う、のんびりとした漁村だ。
おっとりとした気質の住民、浜辺をうろつく魚待ちの猫、砂浜を元気に駆け回る子どもたち。
さすがにここには悪魔の子の噂も入ってきていないらしい。
は浜辺のハンモックに寝そべり、うとうとと眠気と親睦を深めていた。
誰の目も気にしなくていい環境は久し振りだ。
いかつい武装をしたデルカダール兵もここにはいない。
屈強な肉体を有しているであろう漁師たちは、今は巨大イカ退治に出払っているという。
たちの加勢は間に合っただろうか。
巨大イカとの戦いは船上も激しく揺れるからと、格別の配慮をもらいナギムナー村で留守番をしている。
留守の間に人魚伝説でも調べようかと初めこそ気合充分だったが、村の雰囲気を見て調査はやめた。
人は、自らの価値観にはまらない得体の知れない存在に恐怖する。
勇者を悪魔の子呼ばわりするのと道理は似ていると思う。
この手の伝説には、必ず基となった実話がある。
真実を知る者はごくわずかで、世間に流布されていくのは枠にはまらなかった部分が殊更に強調された眉唾物だ。
人が何かを怖れるのは悪いことではない。
正しく怖れることで危険から逃れることができるのなら、それに勝る防衛はない。
デルカダール下層で様々な生業に従事する人々と言葉を交わし、中層で諸国を巡察する兵たちの話を聞き続けてきたにとって噂話とは、実話よりも身近な存在だった。



「ねぇねぇ、お姉ちゃんはどうして一緒に行かなかったの?」
「お姉さんはここでみんなの帰りを待つのがお仕事なの」
「ふぅん・・・。まあ、お姉ちゃん腕っぷし強くなさそうだもんね」
「子どもって辛辣だよね」



 暇してるなら遊ぼうよとハンモックごと揺すられ、眠気が一目散に逃げだす。
子どもは無邪気で加減を知らない。
ハンモックを吊るしていた細い木はみしみしとしなり、ゆったりと体を包み込んでくれていた網も嫌な軋み音を立てる。
このままではまるで重量オーバーが原因かのように網が破れてしまう。
木はまた生やし直して誤魔化すことができるが、特殊な製法で編まれている網は修繕できない。
もはやハンモックを壊すことが目的へとすり替わったのか、子どもたちがせーのと一斉に声を上げハンモックを突き飛ばす。
ぶちぃと網が切れる盛大な音が砂浜中に響き渡り、体がサラサラの砂の上に放り出される。
体の痛みはないが、子どもたちの一致団結と集団活動の末に千切れてしまったハンモックの成れの果てを見ると心が痛む。
は立ち上がると、もはや何も包み込むことができなくなった網だったものを見下ろした。



「あーあ、破けちゃった。キナイに直してもらわないと」
「キナイすごくない?」
「キナイはお姉ちゃんみたいにおしゃべりじゃないけど手がよく動いて、なんでも直してくれるんだよ」
「ふむ、じゃあ帰ってきたらお願いしてみよ。木はあれと同じのでいい?」
「え? うん・・・」
「わかった、じゃあそっちは私が生やしとく」



 船から降りて落ち着いた状態で草を食べたおかげで体の調子も良い。
海辺に生えているしおかぜ草は、草のはずなのに程良い塩気があってスイーツの後ならいくらでも食べられそうな味だった。
はヤシの木に歩み寄ると手を当てた。
生やしたことがない木だが、できないことはなさそうだ。
は手の中に落ちてきた小さな塊をポケットに仕舞うと、わあわあと賑やかな声を上げている子どもたちの元へ駆け戻った。
いつまでも遊んでくれないつれない美人に癇癪を起こしているのかと危惧したが、子どもたちは海に向かって手を振り歓声を上げている。
父ちゃんたちが帰って来たよぉ!
出港した時よりもシルビアの船がズタボロになっているのは気のせいだろうか。
船着き場に到着した船へ上がり込んだは、航海中の自身の定位置の床がごっそり抜けている光景に悲鳴を上げた。































 盛り場に加わるのも随分と久しい気がする。
ほんの少し前まではオーダーを受けては酒をひたすら提供する側だったが、今ではもてなされる主役級の扱いを受けている。
私、船に乗ってすらなかったんだけどな。
特製のしおかぜ草ジュースソーダ割をカウンターで飲んでいたは、いいじゃないのとシルビアに肩を叩かれ、でもと言い募った。



ちゃん乗ってなくて良かったかもよ。クラーゴン戦はかつてないくらい船も揺れたし、ちゃんも見たでしょ。アタシの船の名誉の負傷」
「見た。いつも私が座ってる辺りの床が抜けてた」
「イカの足がちょうどそこを叩いてね・・・。ちゃんがいなかったのは寂しかったけど、ついて来てくれてたら大怪我してたかもしれないから今日は村を守ってもらって正解だったと思うわあ」
「言われてみれば、私は村で子どもたちの笑いのターゲットにされてた・・・」
「でしょう! お父さんたちがイカ退治に出て不安がってた子どもたちを楽しませてくれるなんてちゃん、やるじゃな~い!」



 褒められたことが嬉しくて、調子に乗ってしおかぜ草ソーダも勧めてみる。
笑顔でやんわりと、アタシはまだ残ってるからと遠慮される。
確かに戦闘明けのシルビアに今必要なのは後味スッキリしおかぜ草ソーダではなく、一口全快特濃薬草ジュースだ。
ハンモック破壊事件のドタバタで待機組としての務めを疎かにしてしまっていた。
南国の朗らかでのんびりとした環境で羽を伸ばしすぎた。
は漁師たちと踊り始めたシルビアを見届けると、キナイを探し始めた。
酒場で酔っ払いたちから仕入れた情報によると、キナイは賑やかな場所はあまり好きではないらしい。
イカ退治に出た船の様子を気にしていたとも聞いたので、船着き場にいるとみて間違いないだろう。
祭りの夜にあえて人気のない場所を選ぶとは、キナイは高度な交友テクニックを持っているのかもしれない。
は薄暗い船着き場へ足を向けた。
船の傍の灯りの隣に、男がひとりでしゃがみ込んでいる。
キナイなの?
小さな声で問いかけると、男がゆっくりと振り返る。
ロミアが頬を染めながら語っていた、やや逞しくやや爽やかで、やや凛々しい姿の青年が怪訝な表情でこちらを見つめている。
長閑な田舎ではまずもってお目にかかれない都会育ちの美女に気後れしていると見た。



「ハンモックの網が破けちゃって、直してもらえたらなって」
「ああ、あんたもそこに船で来た旅の人か。帰ってきたらなくなってるとは思ったけど、大方子どもたちの相手をさせられてたんだろ」
「たはは・・・」



 網を受け取ったキナイが、隣に座れるように体をずらす。
口数も少なくはないし親切な男だ。
は空いたスペースに体を滑らせると、慣れた手つきで網を繋いでいくキナイの指を見つめた。
針の糸を通すことすらままならない自分にとって、キナイのすべての作業が神業のように思えてくる。
布の服でも剣でもなんでもトンカンする鍛冶とも訳が違う。
あっという間に元通りになった網を、キナイがほらと言って手渡す。
広げて見ると、無残に破けていた部分がどこだったかわからないほど丁寧に修繕されている。
すごいすごいと歓声を上げたに、キナイは照れ臭そうに笑った。



「あんたみたいな美人に褒められると悪い気はしないな」
「ほんとにありがとう~! 子どもたちにも直してもらったって明日ちゃんと言っとくね」
「このところは客が来ることも少なかったから、子どもたちも退屈してたんだ。やんちゃばっかりで済まないが、ここにいる間は付き合ってやってくれ」
「もちろん! あ、ひとつ訊いてもいい?」
「何だ?」
「キナイ、ロミアって名前の女の子知ってる?」
「ロミア? 知らないな・・・」
「そっか、ありがと!」



 キナイが嘘をついているとは思えない。
だが、ずっと入り江で待ち続けているロミアが嘘を言うはずもない。
ロミアが語られる人魚伝説の魔物のように狡猾な生き物ならばとも考えたが、彼女からは負の感情は感じなかった。
ロミアは、キナイではないキナイをずっと待っている。
まだしばらく船の修理を続けると話すキナイと別れ、たちを探すべく酒場へと向かった。
が駆け去った先とは逆の方角から、とベロニカ、マルティナが船着き場のキナイの元へ向かっていた。






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