今はまだ臆病風




 暑いよおと、床に転がった美波が苦しげな声を上げる。
美波が呻き声を上げるたびに夏休みの宿題を進める手を止め、うるさいですよと嗜める。
もう脱ぐものないようと続けざまに放たれた声に、そっと声の主を顧みる。
心配だったから見ただけだ。
決して服を脱ぎ散らかしたひとつ屋根の下に住む綺麗なお姉さんのあられもない姿を拝みたかったからではない。
言わなければ本音は誰にも伝わらない。
剣城は机の下から美波の腹部を見つめると、音を立てないようそっと椅子から降りた。
猛暑の中、エアコンの設定温度を上げた人類初の男として歴史に名を刻むところだった。



「日本の夏ってこんなに暑かった? 京介くん、部屋に修也呼んだりしてないよね」
「この家に俺以外の男を入れたりしませんよ」
「そんなルールあったんだ」
「ここは俺と美波さんの家なんで」
「わかったわかった。あ〜んでもマジで暑いいい、京介くんいなかったらTシャツすら脱いでる」
「脱いでいいですよ」
「するわけないじゃん」
「まあ俺は今の格好もそれはそれで好きかもしれませんけど」
「え? 京介くん今どこにいるの?」



 テーブルへ視線を移したらしい寝転がったままの美波が、空の椅子に気付いたらしく狼狽えている。
起き上がって探せばいいものを、暑さでただでさえ明晰ではない頭脳が参っているらしい。
起き上がるという発想に至らないようだ。
暑がっている美波に少しでも涼んでもらいたい。
剣城は周囲を見回した。
稲妻町商店街で配られていた団扇が視界に入る。
団扇を手に取り、美波の足元にしゃがみ込む。
ほんの少しめくれ上がったTシャツと腹部の間に流れるように、狙いを定めて団扇で風を送り込む。
涼しい~!
寝転がったまま美波が嬉しげに手を叩いた。



「どこにいるのかわかんないけど、京介くんありがとう~!」
「いえ、俺の方こそありがとうございます」
「どういたしまして? ていうか何が?」
美波さん」
「ん?」
「俺がいいって言うまで絶対に起き上がらないで下さい」
「うん?」



 団扇の柔らかな風に弄ばれた薄手のTシャツが、風を孕み腹部のさらに奥へと視線を誘う。
仰向けに寝そべる美波の腹の先には、穏やかに上下する緩やかな膨らみがある。
CMでよく見る一体型のやつだなと、そこまで考えて我に返る。
本当の本当に、美波に涼んで気持ち良くなってほしかっただけだ。
扇いだ先で何が見れるかなんて考えが及ぶほど中学生は賢くないし、ゲームメーカーでもない。
でも、見えてしまったら当然覗き込むに決まっている。
嬉しい誤算というか刺激が強すぎるというか、めちゃくちゃ体が熱い。
涼しいね〜と喜ぶだけで状況確認をしない美波美波だ。
こんなに無防備でいて、美波はよく今まで無事だったと思う。
鬼道や豪炎寺はそれはもう苦労しただろう。
できれば苦労人にカテゴライズされるのではなく、苦労させる側になりたかった。
やはり絶対に男を家に上げてはいけない。
鬼道ですら駄目だ。
いろんな意味で一触即発の環境を知られたら、問答無用で美波と引き離される。
美波は好奇心旺盛で我慢のブレーキが壊れやすい思春期男子の獰猛性を過小評価している。


美波さん」
「ん~?」
「何かあったら責任取って下さいね」
「ええ、急になに・・・」



 手近にあったタオルを、美波の腹を覆うように狙いを定めて投げる。
投げても蹴ってもエースストライカーなので、タオルは見事に剥き出しになった美波の腹に被さる。
やだぁ見えてたの京介くん!
ようやく自らの格好に気付き声を上げた美波にそうだよと言い捨てると、剣城は廊下へ飛び出した。





宿題見てあげよっか? 理科以外だけどね!




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