18.翼もぎたてエンジェル
事件が2つほど一気に発生した。
いや、3つだ。
目の前で人が消えた、しかも2人も。
手品なのか必殺技の1つなのかはよくわからないが、確かに消えた。
1人で勝手に消えるのならば別にどうだっていい。
問題は、奴が美波をテイクアウトしたことだ。
常日頃から欲しいなら持って帰っていいと豪語していたが、まさか本当に持って帰るキチガイが出てくるとは。
豪炎寺はぽつりと残された美波のカバンを拾い上げ、頭をめまぐるしく動かした。
事件その1はアフロディのシュートの強烈さだ。
あそこまで簡単に円堂が吹っ飛ばされるとは思わなかった。
事件その2は、美波がアフロディに連れて行かれたことだ。
しかもあんな方法でなど、今でも信じ難い。
事件その3を考え、豪炎寺は先程目の前で見た光景を忘れることにした。
この間は初めて人が美波に恋に落ちる瞬間を見たが、今度は美波が訳のわからない輩にキスされているところを見てしまうとは。
幼なじみとして気まずいとか目に毒とかそういうことではなく、純粋に嫌だった。
「豪炎寺くん、どうして美波ちゃんが・・・?」
「俺にもわからない。敵を作りやすい性格じゃなかったと思うんだが」
「探すか? さすがにあんな消え方されちゃやばいだろ」
「いや、いい。探すあてもないし時間の無駄だろう」
「・・・意外と落ち着いてるんだな。もっと取り乱すかと思ってたんだけど」
「美波に振り回されるのは慣れているし、振り回されるのは好きじゃない。鬼道も気に病むな。それが影山の思う壺だ」
そう、自分でも意外なほどに落ち着いていた。
風丸が言うように、もっと率先して取り乱すものだと思っていた。
生きているうちに成長したのかもしれない。
もしくは、実はものすごく怒っていて、けれどもそれを感情として表に出す方法がわかっていないだけだとか。
後者の方がしっくりとくる気がした。
美波がいなくて嬉しいと思ったことはなんだかんだで一度もないし、雷門中へ引っ越してきたのも夕香の病院があるということもあるが、
雷門中へ通うと彼女の両親から聞き出したからだった。
サッカーとの縁は断ち切ろうとしたが、なぜだかたかが1人の女の子との縁は切ろうにも切れなかったのだ。
縁が腐れすぎて、切るための鋏が使い物にならなくなったのかもしれない。
もっとも、これを言うと間違いなくストーカー扱いされるので、今後も一切他言するつもりはないが。
「どうしたお前たち」
「監督! ・・・その、世宇子のアフロディが来て葉山を連れ去っちゃって・・・」
「俺は気にしてないです。それよりも円堂、特訓を続けよう」
世宇子戦になれば、否が応にでも美波は出てくるだろう。
無事ならばとりあえずそれでいいのだ。
後で叱りつければいいだけだ。
今度ばかりはさすがの美波も大人しくなるだろうし、やたらと人を不安にさせる病気も治るはずだ。
豪炎寺は既存の練習を全否定された円堂を見つめ、約束を守るためにも更なる鍛錬を重ねると決めた。
影山総帥から指令を受け連れ帰って来た女の子は、女神でも天使でもおそらくは人間でもなく、悪魔だった。
可愛いのは眠っている時と顔と声だけで、彼女が目覚めて以降は非常に扱いに困った。
泣き喚いてこの世の終わりのような叫び声を上げてくれる方がまだいい。
ところがこの少女ときたら、試合まで帰してくれないんならバスルーム完備の部屋とセンスのいい服と美味しい食事を用意しろとのたまってきた。
それさえ用意してくれれば試合まで大人しくしてあげようじゃないのとは、とても誘拐された人間が言う言葉とは思えない。
「・・・君は自分の立場をわかってるのかい?」
「わかってるわかってる。私は何も悪いことやってないし、被害者が加害者に大きく出ていいのは当たり前でしょ」
「・・・私がいつ君に危害を加えた? むしろ今の君の方が私たちを傷つけているよ」
「天使の唇奪おうとした時点で犯罪でしょ。私、金髪のイケメンはここ8年くらい間に合ってるから、別にそういうおもてなしいらない」
神よ世宇子よと育てられてきた彼らを、美波は第一印象からして嫌っていた。
第一印象は肝心なのだ。
鬼道と初めて会った時、こちらが彼の学生証を持っていなければ今日まで仲良くはなれなかっただろう。
初対面の時点で葉山家は潰されていた。
半田とだって、最初にああいうジョークを飛ばしたから今の関係があるのだ。
豪炎寺との初顔合わせなどは奇跡だった。
あちらから話しかけてきてくれたのだ。
今話しても誰も信じてくれなさそうだし、もしかしたら彼自身も当時の出会いを黒歴史だと認定しているかもしれないが、
初めての母国に戸惑ってばかりだった自分に手を差し出してくれたのだ。
サッカーに興じて若干泥で汚れた手だったが、当時の美波には、彼の手がおとぎ話でお姫様に手を差し伸べる王子のそれのように思えたものだった。
豪炎寺たちのことを思い出していた美波は、ふと寂しくなり俯いた。
先程までわあわあと騒いでいたのに急に大人しくなったことが不思議だったのか、アフロディが美波の肩に手を伸ばす。
すると美波はざざっと身を引きアフロディから距離を置いた。
「・・・別に取って食うつもりはないんだけど・・・」
「第一印象あれの奴に何言われても信じられるかっての。
いーい、練習の邪魔はしないし教えてくれること教えてもらったら後は試合まで大人しくしといてあげるから、とっとと私の言うこと聞きなさい。聞けないってんだったら今すぐ解放してよね」
「おい、なんでこんな子連れて来たんだよ・・・」
「・・・総帥の思し召しだ。そうでなくても神のアクアの存在を知っている彼女を野放しにはできない」
なぜ、よりにもよって彼女が神のアクアの存在を知ってしまったのだろう。
これも神が与えたもうた試練というやつなのだろうか。
仕方なく与えたというか強奪された部屋に引き篭もった美波の姿を思い出し、アフロディはため息をついた。
少し目を離している間に、様々な出来事が起こったらしい。
円堂は相変わらずマジン・ザ・ハンドのことしか考えていないし、美波がいなくなったせいか鬼道の調子もおかしい。
影山の呪縛から解けたかと思えば今度は友人が連れて行かれたのだから、気に病むのも仕方がないのかもしれない。
しかし、今は落ち込ませている場合ではなかった。
凝り固まった思考を解すには気分転換しかない。
響木はわいわいと合宿を楽しんでいる選手たちを眺め、気分転換として一応の成果を挙げていると確認した。
「わあ、豪炎寺先輩料理上手ですね!」
「よく妹に作っていたし、美波とも一緒に作ったりしてるからな」
「一緒にご飯食べてるんですか?」
「たまにそうしている。この間はトンカツを作ったな・・・」
「そうですか・・・。・・・お兄ちゃんも負けらんないな・・・」
この兄妹はやはりどこか変わっている。
負けるとか負けられないとか、何かと美波絡みになるとライバル心を剥き出しにしてくる。
勝つも負けるもないと思うのだが、今はとりあえず鬼道たちに勝っているらしい。
勝っても嬉しくないのはきっと、その勝負が美波に関係しているからだろう。
「そういえば前からずっと思ってたんですけどっ」
「何だ?」
「美波さんの抱きつき癖、あれってずっと前からそうだったんですか?」
「・・・気が付けばああなっていた。ただ、俺は抱きつかれたことはない」
「どうしてでしょう? 私の見立てによれば、その試合で最も活躍し、かつイケメンプレーヤーだと思うんですが・・・」
「じゃあ俺は活躍してないとみなされてるんだろう。・・・鬼道にはもう抱きつかないと言っていたから安心しろ」
「そんな、どうしてお兄ちゃんをまた不幸のどん底に叩き落すようなことを!?」
やっぱり手強いです、幼なじみって鉄板ですもんねと訳のわからない感想を残し去っていった春奈を見送り、再びジャガイモの皮むき作業に戻る。
鬼道兄妹が羨ましい。
早く目覚めた夕香と一緒に話をしたい。
昔のように楽しく遊びたい。
サッカーを見て歓声を上げていた夕香は可愛かった。
夕香は美波にも実の姉のように懐いていたから、また3人で一緒に遊ぶのも楽しいだろう。
夕香が目を覚ませば美波の勘違いも甚だしかった後悔や苦しみも完全になくなるだろうし、一気にいい事が舞い込んでくる。
いい事を少しでも増やすために、今度の決勝は絶対に勝たなければならない。
ベンチはもちろんスタンドにも美波がいないのは寂しいが、後でとくと自慢してやるのもいい。
寂しいと思っていたのか。
なんだかんだで結構美波のことを気にかけていたのか、無意識のうちに。
豪炎寺は口元をふっと緩めると、急に騒がしくなった壁山の元へと駆け寄った。
![]()
目次に戻る