おねだりハニーと鬼嫁候補
非常に気まずい場面に遭遇してしまった。
幼なじみが、女の子にキスをせがまれているシーンにぶち当たってしまった。
うわあ、超気まずい。
女っ気がなくて浮いた話も聞かず、サッカーと妹一辺倒だった我が幼なじみに、キスをせがまれるまでに懇意にしている女の子がいるとは思わなかった。
美波は用具倉庫の陰から豪炎寺と見知らぬ少女の密会現場を出歯亀していた。
かなり身長差があるように思われるが、豪炎寺は上手くキスすることができるのだろうか。
果たして彼に、そんな甲斐性はあっただろうか。
美波はドキドキしながら豪炎寺の一挙一動を見守っていた。
黙っていれば絵になるのだから、イケメンというのは人生得をしている。
半田を見てみろ、フツメンにはこれといった人生の特典はないではないか。
半田の唯一で絶対の特典は、よくできた親友がいるという点だけだ。
「ていうかあれ、誰・・・?」
可愛い彼女がいることなどちっとも教えてくれなかったので、美波の脳内名簿に豪炎寺の想い人の名前はない。
汗臭く焦げ臭く、そして更に水臭い奴だ、いつ作ったのかくらい教えてくれても良かったのに。
それにしても、彼女をこさえておきながら週末自宅に連れ込まれていたとは思わなかった。
接触事故が起こらなくて良かった。
このメス猫とか言われなくて良かった。
泥棒猫になったつもりもないのに勝手に愛人扱いされ、おそらくは今逃せばもう二度と訪れないであろう幼なじみの春を一気に厳冬に変えるところだった。
というよりも、彼女持ちの分際で彼女でもなんでもないただの可愛い幼なじみを家に上げる豪炎寺の感覚がおかしいのだ。
美波は今日から金輪際、豪炎寺の家に上がらないと心に決めた。
「はっ、というかキスをせがんじゃってるあたり、もしかして私が思ってる以上のとこまで進んじゃってる仲だったりしないでもない!?」
「葉山」
「うわっ、何その生々しい関係・・・! うわわわわわわ、そういうのって少女マンガの世界だけかと思ってた!」
「葉山、お前こんなとこで何やってんだ?」
「純粋無垢でマジ天使なピュアピュア美波ちゃんに大人の階段なんてまだ見えない・・・!」
「おーい葉山、地球に戻ってこーい」
ぽんと肩を叩かれ、美波はぎゃあと悲鳴を上げた。
さっきからぶつぶつごしょごしょ何言ってんだ、どっか頭でも打ったのかと失礼千万な問いかけを連発する半田をうるさいと一喝する。
今、とてもいいところなのだ。
幼なじみが大人の階段を登るところを激写したいのだ。
そうだというのにこの半田は、もしかしてお前にはまだ早いと暗に目を塞いだつもりなのだろうか。
美波は半田を引きずり教室まで戻ると、大変一大事とまくし立てた。
「大変って何が」
「なんとびっくり、修也に彼女がいた!」
「へえ・・・」
「しかもしかも、さっき校舎裏で彼女さんにキスせがまれてた! マジびっくり、修也のキスってせがむほどにいいもんなの!?」
「えっ、ツッコミ入れるとこそこなのか!? ていうかなんでそれを俺に訊く!? そういうのお前の方が詳しいだろどう考えても!」
「詳しいわけないじゃん、私と修也そんな爛れた関係じゃなーい!」
うわあ、これからどんな顔して会うか超悩むと身悶えしている美波を呆れて見つめていると、教室に噂の豪炎寺が帰ってくる。
豪炎寺を視界に捉えた美波の顔色がさあっと変わり、がたりとあからさまに机を引く。
突然の美波の避け方に、豪炎寺が訝しげな表情を浮かべる。
離された机を手元に引き寄せ、あうあう呟いている美波に顔を近付ける。
今日はいつも以上に落ち着きなく挙動不審だが、顔色も悪いしどこか具合でも悪いのだろうか。
そう思い額に手を伸ばすと、ぱしりと手を払われる。
本格的に、何が原因かもわからないまま美波に尋常でなく避けられている。
美波は豪炎寺からやや目を逸らし、早口で切り出した。
「わ、私もう今週から修也のお家行かない! おまじないもやめる! あとあとえっと・・・・・・」
「待ってくれ美波、俺が何かしたのか?」
「してた! しそうなの見ちゃった!」
「だから何を見たんだ。まさか、また勝手に俺の家の粗探ししたのか!?」
「ちーがーう! 違うけどなんか、なんか、修也が遠い・・・・・・」
「美波!?」
修也って呼ぶのもやめた方がいいかな、うん、やめた方がいいかもしれない。
ふふふふと乾いた笑みでおぞましい提案を口にする美波の肩を、豪炎寺はがくがくと揺さぶった。
ダブルショックとは、こういうことを言うのだろう。
豪炎寺はちょっと目を離した隙になされていたスキンシップに衝撃を受けていた。
何なのだこれは。見せしめか、それとも拷問か。
豪炎寺は美波に抱きついているヒドリを引き剥がすと、何をやっているんだと声を荒げた。
美波は抱き枕ではない。
風丸とハグすることにすらあまり好感を抱いていないのに、どうして風丸以外の奴が無意味に美波に抱きついているのだ。
こっちなんて、もう触らない宣言をされたのに。
ずるい、じゃない、酷い、でもない、理不尽、そう理不尽だ。
こちらが何をしたというのだ。
何もやっていないのに触らないで宣言をされ、ハグをした相手には笑顔を向けている。
豪炎寺はぶうぶう文句を垂れている美波に詰め寄った。
2歩詰め寄れば、2歩美波が後退する。
今まではまずありえなかったステップに、豪炎寺の心に矢が突き刺さった。
「そうやって誰彼構わず抱き合って、世の中危険な奴もいるってわからないのか」
「ヒドリくんだっけ? ヒドリくんのどこが悪人に見えるの! ねえヒドリくん、悪い人じゃないよね?」
「本当に悪い奴が自分で悪人だと言うわけないだろう。ヒドリ、美波に係わるな」
「やだ、美波ちゃんとハグする!」
「あっ、もしかしてヒドリくんは修也と結構なお友だち!」
「うん!」
「じゃあちょっとお伺いしたいことあるから面貸して?」
いいとも悪いとも言う前に、美波がずるずると小柄なヒドリを引きずっていく。
いったい美波はヒドリに何を訊くつもりなのだ。
そもそも美波は彼女を知っているのか。
会話内容が気になりたまらず後をついていくと、ストーキングを目聡く見抜いた美波が近付かないでと声を上げる。
近付かないでって、不審者でもないのに何だその言い方は。
拒絶するにももう少し柔かい言葉遣いもあるだろうと窘めたかったが、すぐにこちらに背を向けた美波には何も言えなくなる。
次に何かやったら、今度は話しかけるなと禁止事項が追加されそうな気がする。
これ以上の禁止は駄目だ、豪炎寺修也の何かが崩壊してしまう。
しつこい追っ手を追い払ったことを確認すると、美波はにこりとヒドリに笑いかけた。
「私のこと知ってる?」
「豪炎寺の恋人に見せかけた幼なじみさん?」
「当たり! ねえねえ、修也の彼女さんってどんな子か知ってる?」
「えっ」
「私、今日見ちゃったのよ・・・。かくかくしかじかまるまるしかく、修也がキスおねだりされてた!」
「げ・・・・・・」
まずい、見られていた。
どう思うヒドリくん何か知ってる感じと無邪気に尋ねてくる美波の顔を直視できない。
キスをせがんでいたのがウィッグをつけた剣飛鳥だよ☆とは口が裂けても言えない雰囲気だ。
美波は、仮に相手を知ったとしてどうするつもりなのだろう。
私の幼なじみに手を出したメス猫は粛清しちゃおうとか言い出すのだとしたら、ますますボロが出せなくなる。
見た目とは大きく乖離したなかなかにエキセントリックな性格の美波と言われているから、泥棒猫なんかミンチにしちゃおうくらいは軽く言ってのけるかもしれない。
ミンチは嫌だ、猫は食べても美味しくない。
ヒドリの心中を慮ることなく、美波はうーんと呟くと首を傾げた。
「いるならいるって言ってくれてもいいのにね。審美眼はある修也だから、たぶんまともな子を彼女にしてるだろうし」
「そう、かな?」
「当たり前じゃん。はっ、それともまさか、あんな可愛い見た目の癖して実は超金遣いの荒いとかいった、中身が残念なタイプだから私にカミングアウトできてないとか!?」
「違うよ! 普通の子だよ!」
「んん? ヒドリくんもしかして詳しいこと知ってたりする?」
しまった、墓穴を掘った。
自分自身のイメージダウンは避けたかったから思わずフォローしてしまったが、美波は何か気付いてしまったりしたのだろうか。
豪炎寺の話によれば、サッカーの戦術以外における美波は頭のネジが2,3本は確実に足りていないらしい。
しかし、有事の際の乙女の勘ほど鋭く冴え渡るものはないのだ。
現に今の美波を見てみろ。
多くのサッカー部員の中から自分をご指名してきたではないか。
頭のネジが足りないということは足りない部分を他の能力が補っていて、その他の能力というのが勘ということだってありうるのだ。
「美波ちゃん、それ最後まで見てたとか・・・?」
「ノン、見てたら途中で半田に会って引き上げた。キキキスとかそんな、愛情表現しすぎだってば!」
「・・・美波ちゃんがハグしてるのもよっぽど・・・」
「ん? 何か言ったヒドリくん」
「言ってません」
ボロを出したつもりはないが、これからも充分用心しておこう。
豪炎寺には伝えた方がいいのだろうか。
しかし、伝えると今度はこちらの身が危なくなる気がする。
板挟みが辛すぎる。
美波の出歯亀根性が怖すぎる。
豪炎寺がどこまで美波の禁止令に耐えられるのかが楽しみだ。
それから、美波は本当の本当に自分が女だと気付いていないのだろうか。
気付いてくれないのだろうか。
そんなに色気がないのだろうか。
まあいっか、気付かれないための男装だし、男でも美波はハグをしてくれる!
ヒドリは秘密の話し合いが終わり風丸にぴったりくっつき始めた美波にハグをせがむべく、飛鳥時代とも合わせると本日3度目のおねだりを実行すべく駆け出した。
「彼女と美波、どっちを選ぶか決められない」「エロゲの主人公みたいなこと言ってんじゃねぇよ豪炎寺、爆発しろ」