慌ててふためく泡アワー




 週末恒例の夕香とと3人での夕食を済ませる。
明日はあかねちゃんのお家に遊びに行くんだあと楽しそうに言う夕香の話に耳を傾け、学校での出来事を聞いてはうんうんと頷く。
お兄ちゃんたちはどこ行くのと無邪気に尋ねられたのでこれまたいつものようにサッカー観戦と答えると、いいなあデートラブラブだぁと羨ましがられる。
デートでもないしラブラブでもないが、何度訂正しても変わらないのでもう訂正することも諦めた。
隣に座るの笑顔が引きつっているのもいつものことだ。
夕香相手には大人の対応が一応できるらしい。
精神年齢はそう変わらない気もするが、このあたりは年の功というやつなのだろう。
伊達に母親扱いされているわけではなさそうだ。
しかし今日の夕香も可愛かった。
豪炎寺は脱衣所で服を脱ぐと、暖かな照明の灯った浴室を見やった。
最近は一緒に入っていなかったが、たまにはいいだろう。
とばかり入っていて少し焼き餅も妬いていたし、久々に入って文字通り兄妹水入らずの時を過ごしたい。
豪炎寺はそっと浴室の扉を開けた。
ふわふわのバブルバスに茶髪が浮いている。
こちらに背を向けているが、声をかければ絶対に振り向く。
だが、声をかける前にぎゅっとしたいな、よしそうしよう。
豪炎寺は夕香が気付いていないことにふっと頬を緩めると、名前を呼び後ろから抱き締めた。





「夕香、お兄ちゃんと一緒に久し振りに入ろっか」
「・・・・・・」
「夕香?」
「・・・人違いじゃないですかー? 私、夕香ちゃんじゃないんだけど」
「・・・・・・まさか」




 豪炎寺は腕の中に閉じ込めた体に指を這わせた。
ああ本当だ、確かに夕香はまだこんなに骨格がしっかりしていない。
柔かさも少し違う気がする。
本能か好奇心か、指がより柔らかな部分を求めするすると肌を滑る。
あ、他よりも格段に柔かい部分にちょっとだけ触れた。
ここはもしかして。
もしかしてそこだろうかと頭が正解を弾き出そうとした直前、豪炎寺の頭に洗面器が直撃した。




「いつ離してくれるのかなあって思ってたら、こっちが何もしないのいいことに好き勝手・・・! 何なのさっきから、人を夕香ちゃんを間違えてんじゃないわよ!」
「・・・やっぱりか・・・。触り心地が夕香じゃなかったからそんな気はしてたんだが・・・」
「私だと思ったのいつ! ほんっと何なの、まさか夕香ちゃんにいつもこんなことやってんの?」
・・・、今日バブルバスで良かったな」




 洗面器片手に怒鳴り散らしていたがぴたりと口を噤む。
油が切れかけたからくり人形のように首を動かし、ゆっくりと視線を自身の体へと落とす。
見る見るうちに茹蛸状態になっていくに身構える。
保険のため一応、見ていないし見えていなかったぞと口添えする。
の口がゆっくりと開く。
まずい、悲鳴を上げられたら夕香とお隣さんに迷惑がかかる。
風呂場は声が響くのだ。
あらお隣の豪炎寺さんとこ何やってるのかしらと妙な勘繰りをされ、あらぬ噂を立てられたくはないのだ。





「い、い・・・いや「、うちはマンションなんだ。昔と違って今はマンション住まいなんだ。・・・わかるな?」
「むぐっが、むぐっがががむむむむ!(わかった、わかったから離して!)」
「・・・落ち着いたか?」




 こくこくと頷くに安心し、口を塞いでいた手を外す。
手が離された瞬間、はもう一度洗面器を豪炎寺にぶちかました。
額にクリーンヒットし床にうずくまると、が浴槽の中から変態と叫んだ。




「停電事件の時といい今日といい、どうしてそうほいほいとお風呂場に近付くの! まさかいつも覗いてんじゃないでしょうね」
「覗いてたら夕香との区別はその時点でついてるだろう。本当にわからなかったんだ、触るまで」
「あああこっち向かないで! いーい、絶対こっち見ないでよ、絶対だからね!」




 見たら蹴るからねと言われ、戯れにどこをと尋ねると再び洗面器が降ってくる。
これだけ叩かれると、明日はたんこぶができていそうだ。
たんこぶができてしまうとヘディングの感覚が鈍るので困る。
豪炎寺は片手を上げに制止を求めると、黙ってシャワーを浴び始めた。
とりあえずの怒りは鎮まったのか、も大人しく入浴モードに戻っている。
ちょっと後ろを向けば、一糸纏わぬ姿のがいる。
ここは男として振り向いておくべきだろうかと、心の中で天使と悪魔が戦闘を始める。
駄目だは綺麗な存在だから何があっても汚しちゃいけないと人としての正論を振りかざす天使に対し、どうせ見ても力の差ではどうすることもできないんだから見ないだけ損だ、
見もできないのにどうしてここにいるんだ我慢は体に良くないんだぞと悪魔が脳を甘く誘惑する。
駄目だ、のことを考えているから天使と悪魔が戦うのだ。
ここはひとつ、いつものように1人で風呂に入っているという自己暗示をかけることにしよう。
首を動かせないのはそう、寝違えたからだ。
強力な自己暗示をかけていた豪炎寺の耳にの声が飛び込んできたのはその時だった。
ああもうこの子はどうして、これ以上ないほどのバッドタイミングで声をかけるのだ。
せっかくあと少しで無我の境地に達しようとしていたのに、は実はサキュバスか何かの生まれ変わりなのではないだろうか。
そうかもしれない、だから虫がふらふらと寄ってくるのだ。
の問いを無視するわけにもいかず、豪炎寺は何だとぶっきらぼうに訊き返した。




「いや、大したことじゃないんだけどさあ」
「だから何だ」
「がっしりしてきたよねえ修也。私、修也みたいな細マッチョ体型好きだよ」
「・・・・・・人には見るなと言っておいて、やけにじっくりと観察してるんだな」
「だって修也隠してないじゃん。背中ごしごししてあげよっか? えーっと、お背中流しましょうか、だっけ」
「だったら俺も洗ってやろうか、背中」
「えー、修也痛そうだからやだー。てか絶対に痛くするでしょ」
「さっき触ったくらいだったら痛くないだろう。・・・じゃなくて、何言ってるんだ」




 ふざけるのはやめろと言いかけると、背中をすうっと撫でられ豪炎寺はわっと声を上げた。
背骨に沿うように、細い指が上下しているようだ。
触れるか触れないかといった微妙なタッチがこそばゆくて声を堪えていると、が浴槽の淵を叩きながらけたけたと笑い声を上げる。
くすぐったぁいなんて無邪気に訊いてくるにやめろと強く言うと、また背筋を指が這う。
くすぐったいなどという生易しいものではない。
これはもう、ぞくぞくする感覚に到達している。
こんな触り方、いったいどこで覚えてきたのだろうか。
なんという生殺しだ。
豪炎寺の心に、一度引っ込んでいたはずの天使と悪魔が再び現れた。
悪魔は悪魔のままで変わらないが、唯一の頼みの綱、天使の様子がおかしい。
物事には限度があるんだとぷくぷく怒っている天使は、よく見ると堕天使だ。
あ、駄目だ、我慢することが馬鹿馬鹿しくなってきた。
豪炎寺は背中に悪戯を続けているの手をつかむと、ゆっくりとの名を呼んだ。
げ、と呟かれた声は意に介さずゆっくりと体を後ろへ向ける。
洗面器なんて怖くない。
正直ぶちかまされた頭は痛いが、背中への攻撃に比べるとどうということはない。




「え、ちょ、やだごめんねちょっとやりすぎたからマジやめて」
「ちょっと? だいぶの間違いだろう、どうしてくれるんだ
「元はといえば修也が勝手に入って来たのが悪いんでしょー! 私悪くないもん、だからほら、手離して?」
「嫌だ」




 人を説教する時はやはり、面と向かってでなくてはいけない。
背中越しの説教はどうも効き目がわかりにくくていけない。
くるりとの方を向いた豪炎寺は、方向転換したと同時に体当たりしてきたを慌てて抱きとめた。
風呂場でスペシャルタックルをしてくるなど聞いていない。
そもそも危険ではないか。まずないとは思うが、倒れたらどうするのだ。
いや、そんな起こらなかった危険性よりも、今まさに起こっている危険について考えるべきだ。
豪炎寺はとりあえず抱きとめたの体を引き剥がすべく、腕に力を込めた。
だが、そうしようとすると逆にぎゅうと背中に爪を立てられ邪魔をしてくる。
何なんだこの状況。
豪炎寺は、きつく目を閉じているにどうしたんだと声をかけた。




「・・・っと! 遠くにいるより近くにいた方が裸見られなくて済むかなと思って! あっ、見ないでね、見ちゃ駄目だからね!」
「わかった。わかった、見ないから離れてくれ」
「ほんと? じゃあそのまま後ろ向いて」
「わかったわかった。頼む、当たってるからやめてくれ。これ以上俺をどうしたいんだ!」




 何度も確認をしてくるを宥めすかすと、ようやく離れてくれる。
ハグに対して抵抗がないと、こうも人は大胆になれるのか。
今まで気付かなかったし頓着もしなかったが、ハグをしている時当たっていないのだろうか。
当たっているだろう、特に風丸とのハグだと確実に。
豪炎寺はがシャワーを浴び一足先に風呂を出たことを確認すると、壁にごーんと頭を打ちつけた。
ただでさえ生殺し状態だったのに、とどめとばかりに抱きつかれ(にとっては攻撃だが)ますます収拾がつかなくなった。
がこちらの異変に気付かなかったから事なきを得たが、もしもと思うとぞっとする。
本当に、は自分を何だと思っているのだろう。
人畜無害な幼なじみのサッカーバカとだけ思っているのならば、それは大間違いだ。
こちらだってれっきとした男なのだ。
その気にあればあの場でさくっと・・・と考え、豪炎寺は再び壁に頭を打ちつけた。
すべての発端は俺で、途中から完璧にが悪くて、でも結局はやっぱり俺が悪いのか。
ごめん、停電事件の時はなんとかなったが今日は無理だ。
でも、とりあえず生身のには迷惑をかけないようにするから。
俺も鬼道のこと言えないな。
豪炎寺はようやく1人きりとなった浴室で、深く長くため息をついた。






































 「あれ? 豪炎寺背中どうかしたのか? 引っかき傷?」
「ああ、ちょっとが爪を・・・」
「・・・・・・うん豪炎寺、やっぱお前ら付き合ってるとは思ってたけどまさかそんなことまで・・・。生々しいもんな、お前らの会話夫婦みたいで。
 でもさ、あいつと必然的に係わんなきゃいけない隣人の俺の身も考えてくれる?」
「違う、違うぞ半田。そんな目で俺を見るな、これはただ風呂場でち「風呂場でと何だと?」
「「鬼道・・・!?」」







「・・・風丸、と抱き合ってる時当たってないのか?」「そんなこと気にしてたらハグは文化になってないだろー」




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