大人のおままごと
信じられない光景を見た。
愛しの彼女が他の男と寄り添って歩いている。
しかも相手の男は、今も昔も油断ならないかつてのチームメートにして友人だ。
豪炎寺は、クリニカル・クラークシップとして赴いている病院で見かけた恋人の浮気現場を凝視していた。
どうしよう、とても仲睦まじい恋人同士にしか見えない。
ひょっとして、自分と歩いているよりもお似合いに見られているのではないだろうか。
隣を歩いても、体が触れそうになるほど密着して歩いたことがない豪炎寺には自信がなかった。
というよりも、何をやっているのだあの2人は。
自分がここにいると知った上での狼藉というのであれば、こちらにも考えがある。
具体的に何をするかは今から考えるわけなのだが。
「豪炎寺、豪炎寺!」
「・・・・・・」
「おい豪炎寺、聞いてんのか!」
同期生にゆさゆさと体を揺さぶられ、ようやく我に返る。
そうだ、今は勉強中だった。
校内の整備された歩道を周囲に見せつけるかのようにゆっくりと歩いているたちのことは気になるが、気になるのであれば家に帰ってから問い詰めればいいだろう。
病を患っているのであれば、それはそれで大問題だ。
「ていうかあの人さ、鬼道財閥の若社長じゃね?」
「はー、若社長とかいうセレブにもなればあんなに綺麗な愛人囲えるわけかー」
「プロサッカーチームのオーナーやってて美人囲ってて、人生挫折とか知らないだろうなあの人」
難問奇問だらけの試験を突破して、医者の卵として華々しい学生生活を送っている彼らも充分挫折を知らないと思うのだが、今ここでそれを言うのはやめておこう。
鬼道はそれなりに挫折をしたり壁にぶつかったりしてきた。
今だって、溢れる才能を持っていながらも若さゆえに侮られ、なかなか苦戦を強いられているという。
豪炎寺はかつてのチームメート、そして友人として鬼道の人生を応援していた。
を傍に侍らせるのは全力で阻止したいが。
人の恋人を愛人に見立て、囲うのはやめていただきたいが。
もっと言えば、恋人の知らないところでコンタクトを取ってほしくない。
つくづく独占欲の強い男だと思う。
があまりにも甘えてこないから尚更、振り向かせたくて構ってほしくてあれこれと策を弄している。
そして、やればやるだけ敬遠されるという脅威の悪循環に陥っている。
「あー! お前レポートやった!? 論文出した!?」
「・・・終わり次第寝る」
論文作成が終わり次第を追い詰め、それが終わり次第と寝よう。
豪炎寺は今晩のスケジュールを手早く脳内で立てると、実習へ戻るべく白衣を羽織り直した。
ちょっぴり頭とお腹と体がだるかっただけなのに、やたらと心配され病院へ連行された。
寝てれば治るよと言い張ると、1人で寝ていて何かあったらどうするんだと叱責された。
どうするも何も、ベッドから起きられなくて少し遅れると電話したところ、30分足らずでリムジンを飛ばし現れ自宅へ乗り込んできた男が言う言葉とは思えない。
は座り心地抜群の鬼道の私有リムジンに座り、再び鬼道から叱られていた。
自分1人の体ではないのだからもっと体調管理には気を付けてもらわなくては困ると言われると、鬼道の言う通りなので頷き反省するしかない。
鬼道としても、大事な商売道具に何かあってはと思うと気が気でないのだろう。
「ちょっと具合悪いだけなのに鬼道くんってば大げさだよー」
「どんな病気も初期症状は軽い。重症になった時にはもう手遅れということもよくある」
「鬼道くんお医者さんみたーい」
「医者は豪炎寺だろう。あいつは元気にしているのか?」
「ぐりとぐらっていうのを今やってるらしくて、なんだか実習先の病院で頑張ってるらしいよ」
「ぐりとぐら? 小児科か?」
「さあ? 私難しいことよくわかんないし、一緒に住んでるってだけでほとんど毎日すれ違いだから話する時間なくてさ」
「すれ違ってるくらいなら別れたらどうだ。自分で言うのも何だが、俺はなかなかお買い得だと思うぞ」
「うーん、どうしよっかなあー」
「今の仕事はもちろんやめなくていい。毎日送り迎えもするし、下手に畏まる必要もない」
どうだ考えてみる気はないかと隣にゆったりと座っている鬼道に問われ、シートに投げ出していた左手をそっと握られる。
週刊誌にフライデーされるほどの有名人ではないしやましいこともしていないが、一応恋人がいる女性相手に何ふり構わぬアタックをするのはどうだろう。
鬼道の紳士的なアタックは今に始まったことではないから特段驚きはしないが、うっかりするとこのままテイクアウトされてしまいそうで緊張してしまう。
商売道具として見ているのか友人もしくは想い人として見ているのか、そこの切り替えをもう少しはっきりとしてほしい。
企業のトップが従業員に手を出すのは、あまり世間体がいいとは言えない。
昔から様々な人物に不本意にも馬鹿だの頭ぶっ飛んでるだのと言われてきたが、さすがに大人になって成長すると物事の善悪と社会的規範も理解できるようになったのだ。
ボスである鬼道に逆らうとたちどころに生活困窮者になることくらい、家計簿を開くまでもなくわかる。
それもこれも、甲斐性なしの恋人がいつまでもダラダラと学生生活をやっているからだ。
養ってもらい尽くしてもらう生活を理想としていたにとって今の状況は、とてもじゃないが受け入れられるものではなかった。
まさかあの豪炎寺がヒモになるとは、これがかつてのイナズマジャパンのエースストライカーの成れの果てだとは未だに信じられない。
信じたくもない。
「あー、なんか鬼道くんに迫られてたら熱出てきたかも・・・」
「このまま俺の家まで走らせようか? が眠るまで傍にいて看病していたい」
「いやいや、お家帰りますよ? 明日はちゃんと出てくるから大丈夫大丈夫。いやあ、遠征じゃなくて良かった」
「無理はするな。明日、何か口当たりのいいものを差し入れて持っていく」
「わ、ありがと! 私メロン食べたいな!」
マンションの前で車から降ろしてもらい、薬が入った袋をぶんぶん振り回しながら部屋へと入る。
当たり前だが、まだこの時間に豪炎寺はいない。
最近は本当に忙しいようで、返ってくるのはいつも日付が変わる頃だ。
体を壊さないかと心配になってしまうくらいにハードワークをしているように思う。
いくら医者の卵で薬は飲み放題、注射も打ち放題でも病気にならないに越したことはない。
サッカーをわいわいとやっていたあの頃とはもう違うのだ。
いくら毎晩体を鍛えていようと、現役ではないのだからあまり自分の体力を過信しない方がいい。
老いはあっという間に訪れるのだ。
「ふー、きっつー・・・。寝よ」
いつ帰って来るともわからない不規則ライフサイクルの恋人の帰りを待つつもりは端からない。
は寝室のベッドに横たわると、もそもそと布団を被った。
がちゃがちゃと玄関の鍵が開く音が聞こえるが、起き上がるのも億劫なので放っておく。
お帰りなさいと笑顔を振り撒いて出迎えるほど初々しい仲でもない。
明日は鬼道がきっと美味しいメロンを持って来てくれる。
メロンだけではなく、気の利く鬼道のことだから空気清浄機や加湿器といったハードも用意してくれるかもしれない。
仕事前か仕事上がりに食することになるであろうメロンの味を想像していると、リビングからただいまと言う疲れを含んだ声が聞こえてくる。
ここは無視だ、寝たふりだ。
はいつもよりもかなり早い同居人の帰宅の挨拶を聞こえなかったものとして処理すると、更に深く布団に潜り込んだ。
「、今日病院に来ただろう」
「・・・・・・」
「、寝たふりをしているのはわかっている。どこか具合が悪いのか? 診せてみろ」
「・・・すー・・・・・・」
「布団と服剥ぐぞ。病人だから何事もなく1日が終わると思うな。なんでもいいからとにかく剥がせろ」
「豪炎寺先生こわーい」
しつこく迫る豪炎寺に観念し、渋々布団から顔を出す。
どこが悪いんだ風邪か腹痛か頭痛かと矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる彼をうるさいと一喝し、風邪とだけ答える。
病気だというのは、卵とはいえ一応は医者を志す者なのだから知っていてもおかしくない。
しかし、なぜ病院に行ったことまで知っているのだ。
まさかストーキング行為、もしくはGPSでもつけているのか。
なんでと尋ねると、豪炎寺は俺の実習先だと答えた。
「言っただろう、クリ・クラとしてそこに行ってるって」
「だから、いきなりぐりとぐらの話出されても私そのストーリー覚えてないってば」
「ぐりとぐらじゃない、クリ・クラ、クリニカル・クラークシップだ。どうして俺の話をちゃんと聞かないんだ」
「聞いてほしいんだったら少しは楽しい話すること。宿題くらいとっとと終わらせなよ。修也いつからそんな悪い子になったの」
昔はこちらが早く宿題をやれとせっつかれ叱られていたのに、いつの間にやら立場が逆転していたらしい。
夜遅くまで起きて何をしているのだろうか。
勉強をしているとばかり思っていたのだが、まさかパソコンでやらしいAVでも鑑賞しているのだろうか。
こんなに美人な恋人がいるのに欲求不満とは何事か。
胸が足りないのが気に食わないのか。
それとも色気か。
はっ、だから奴は夜な夜な揉んほにゃらら。
は布団を剥がそうと四苦八苦している豪炎寺の顔に枕を投げつけた。
「修也の変態、色情魔! 保険の勉強ばっかりして!」
「医学部だから仕方ないだろう。こそ何なんだ、いきなり俺を変態扱いして」
「満遍なく色んな勉強しないからでしょ! 私今日具合悪いの、だからおやすみ!」
「やっぱり悪いんだろう。待ってろ、すぐに診てやる」
「いーやーだ!」
ごねるの体を押さえつけ、床に転がった鞄からいそいそと聴診器を取り出す。
雰囲気を出すために白衣も羽織ってみると、やだやだとぐずっていたの態度が豹変する。
お医者さん嫌いと呟くと、は再び布団に潜り込んだ。
「さあ先生に診せてみなさい」
「・・・・・・」
「・・・」
「私そのプレイやだ、一番嫌い。大体なぁにが先生よ、そう呼ばれたいんなら先に宿題片付けること!」
「レポート終わらせたらいいのか?」
「ううん。今日ちゃんとしたお医者さんに診てもらったからもういい」
「鬼道と? 愛人扱いされてたぞ」
「似たようなもんでしょ、手を出されてないだけで。ということでレポートファイト、おやすみなさい」
愛人疑惑を否定も肯定もしない大らかすぎるの額をこつんとい指で弾き、寝室から一度撤退する。
確かにレポートはやらなければならない。
やらなければ明日からやっていけない。
豪炎寺はパソコンを開くと、宿題に続きを取り組み始めた。
の容態も気にはなるが、あれだけの暴言が吐ければまず大丈夫だろう。
を診察した医師は腕が確かだし、公私に渡りのスポンサー化している鬼道が万全にケアをしたに決まっている。
本当に、こちらの看護手段を先に封じてしまうような手厚すぎるフォローは自粛していただきたい。
恋人としても医者の卵としても立つ瀬がないではないか。
それが向こうの狙いだとは思えなくもないが。
豪炎寺は、鬼道のサッカーに留まらない戦略家としての手腕には一目置いていた。
スポンサー企業に見限られ、サッカー関係者にも見捨てられた消滅寸前の弱小サッカークラブに目をつけ買収し、周囲の視線に晒されないことを好機と捉え人の恋人を勝手に連れ去り。
今や押しも押されぬ優勝候補へと成長したチームの背後に誰がいるのかわからないほど、豪炎寺はサッカーと疎遠になっていなかった。
「・・・よし」
最後のページに参考文献を書き加え、パソコンを閉じる。
やっと終わった。
これでやっとと眠れる。
照明を絞った薄暗い寝室へと忍び足で入り、そろりと布団を捲る。
寒いのか、きっちりと体に布団を巻きつけていてなかなか上手く捲れない。
それでも諦めきれず毛布と格闘していると、豪炎寺の顔面を再び枕が強襲した。
「私眠いの、具合悪いのほっといて!」
「宿題終わらせたんだ、今度はが俺の言うことを聞く番だ」
「もうやーだー、寝るうううううー! 明日仕事なの!」
「どうせ昼からだろう。最近ずっとそれを理由にして、いい加減俺も我慢できない」
「可愛い看護師の卵でも引っかけてくりゃいいでしょ。医者とナースプレイものってよくあるじゃん」
「、ナース服着てくれるのか? 俺としては手術衣の方がいいんだが、が言うなら今度買ってこよう」
「やだやだそんなの聞きたくない! 布団剥がさないで、ひゃっ、何その冷たいのやぁん!」
「心音が速いですがどうしたんですがさん」
「しゅしゅしゅ修也が変なとこに変なの当てるからでしょ!」
「これは変なものじゃない、聴診器だ。そしてここは変なところではなくての左胸、俺は好きだ」
「開き直れば何言っても許されるってわけじゃないの!」
動きが鈍ったことをいいことに、豪炎寺がここぞとばかりにから布団を没収する。
ぎしりとベッドを軋ませ、布団の代わりにに覆い被さる。
もうやだ寝かせろ私病人なのという哀願めいた命令には、嫌だと即答する。
酷いいじわると詰る言葉すら、変態の色情魔にとってはただの褒め言葉に過ぎない。
さすがはだ、何を言うべきかきちんと心得ている恋人の鑑のような子だ。
「処方薬は俺、1日3回触れ合うこと。わかったか?」
「私日本語わからないある」
「わからなくても大丈夫だ。心で伝わるし、今から伝える」
「ほう、だから今までずっと無口だったんだ・・・じゃなくて! もうほんとマジでやめよう修也、私修也のプレイに巻き込まれたくない」
「俺に任せてくれ。絶対に後悔はさせないから」
「明日寝坊したら、修也の学校の友だちに修也の性癖全部ばらす」
「起き上がれないくらいにやるから大丈夫だ」
どこも大丈夫ではないし、変な自信をひけらかしてほしくない。
はCTスキャンと称しいそいそと寝巻きを剥がし始めたド変態の首を、聴診器で締め上げた。
「・・・こんな私で良かったらしばらくお家に匿って下さい」「わかった。フライデーされる準備は万端だ」